日本人の結婚形態は、独自の歴史をたどってきました。
今日は、それをちょっと見てみましょう。
今からおよそ1,000年前の平安時代、貴族社会では夜だけ夫が妻の家に通う「通い婚」といわれる結婚生活が主体でした。一夫多妻制で、夫は複数の女性の家に通いました。
紫式部の世界最古の長編小説といわれる「源氏物語」など、日本の中古文学をみてもわかります。
安部清明に関する本では、この一夫多妻制によって起こる女の嫉妬をめぐって、陰陽道の呪術が大活躍しています。
13世紀の鎌倉時代に入ると、武士が権力を握るようになります。
より強い武力をもつ家が栄えた時代、嫁が婿の家に入るスタイルが主流となっていきます。女は家を守り、お家繁栄のため強い男子を産み、立派に育てることが求められるようになったのです。
江戸時代にもまだこの形式は変わりませんが、加えて家同士の関係というものが重んじられるようになったため、本人の意に沿わない結婚も増えました。江戸の町人と武士階級の文化、また大阪の商人文化で多少差がありますが、どの階級でも「家」というものが重んじられる結婚であったことは共通しています。
そして第二次世界大戦以降、結婚の形は大きく変化しました。
1946年、新憲法が公布され、「自由」という言葉が謳われました。
「男女の自由な意思」に基づく結婚の理念のもと、二人の気持ちが尊重される「恋愛結婚」へと移行していきました。
これは結婚式にも大きな変化をもたらしました。
戦前までは、神社で挙げる神前結婚式が日本の主流でした。日本古来の宗教である神道の神様の前で、結婚する二人が誓いを交わすものです。
新郎新婦がお神酒を酌み交わす三々九度、結婚式の特別な祝詞、羽織袴の新郎と白無垢の花嫁。
神社は厳かな空気に包まれます。
花嫁さんが着る全身白一色の「白無垢」は、穢れの無い純真さを示す神聖な色と神道では考えられています。
無垢な心で、嫁ぎ先の色に染まります、という意味が込められているのです。
披露宴の最中に花嫁が衣装を着替える「お色直し」は、「嫁入りしたお家の色に染まりました」という意味があります。そのため、色のある衣装に着替えるのです。
日本のクリスチャン人口は、全人口の1パーセント程ですが、毎年70万組を越えるカップルの60パーセント以上がキリスト教式で結婚式を挙げるといわれています。多くの日本人女性にとって、真っ白なウエディングドレスを着るのが憧れということも理由の一つですが、神仏習合で宗教に寛容な日本人はその点柔軟に考えます。
また、キリスト教式の結婚式は、「両家」が結ばれるというより「二人」が主役という印象が強いですよね。
自由な意思による結婚を印象づける意味合いもあると、考えられています。
それにしても、結婚式で初めて賛美歌を歌う新郎新婦も多いという事実に、眉をひそめる外国人も多いです。
そして両家そろっての記念写真。
新郎の親戚は新郎側、新婦の親戚は新婦側にと左右対称に両家が整列し一枚の記念写真を撮るというのは、日本的な風習です。ここにも「家と家が結びつく」という、日本人の考え方が背景にあります。
記念写真に込める日本人の思いは、こちらの記事をご参照ください。
やはりこの人生のビッグイベントを、目に見える形で残したい気持ちの表れでしょう。
こんな風にみてみると、志村君の言葉の数々がどうして日本的かわかりますね。
家を重んじる日本の感性が、感じられませんか。
本人たちの意思のみが関与する西洋の結婚に比べ、日本では今でも「家」の意識が強いのが特徴です。
明日も引き続き、「日本人の結婚観」について考えてみたいと思います。
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