昨日、日本に帰国しました。
千葉・東京・神奈川を抜け、山梨の美しい連なる山並みに差し掛かったとき、ちょうど美しい夕日が見えました。
ふるさとの秋の夕暮れは昔のままでした。
今日は「茜色の夕日」について、書きたいと思います。
とうとうこの時がきたかと、ちょっと緊張しながら書いています。
志村君が「自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはない。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない。」と言い切った「茜色の夕日」。
志村君にとってもファンにとっても、特別な一曲。
今日から何日かに渡って、書いていこうと思います。
清少納言(966-1025)が枕草子の中で、「秋は夕暮れ 夕日のさして山の端 いとちかうなりたるに、 からすのねどころへ行くとて、 みつよつ、 ふたつみつなど 飛びいそぐさへあはれなり」(秋は夕暮れがいい。夕日があかあかとさして、山際に沈む頃、カラスがねぐらに帰ろうと、3,4羽、2,3羽ずつかたまって、急いで飛んでいくのさえ心に沁みる。)と言っています。
平安の頃から、夕日は日本人の心を打っていたのですね。
俳句の世界において「夕焼け」は夏の季語ですが、秋は空気が澄み日が短くなっていくことから、美しい夕日が見られる季節です。
科学的には、太陽の沈む角度により赤・黄・橙の光線が特に散乱し目に届くというのが、美しい茜色の夕日の正体だそうです。
昔から親しまれている童謡にも夕日を扱ったものが多く、「赤とんぼ」、「夕焼小焼」、「夕日」は日本人なら誰でも知っています。
(もしよろしかったら、久しぶりにお聴きください。)
私のふるさと山梨県甲府市では、「諏訪口(西方に連なる山)に夕焼けが出たら、明日は晴れ」と、よく言っていた覚えがあります。
大抵あたっていましたし、地元の知恵に勝るものはありませんから、これも科学的根拠があるのかもしれません。
きっと西が明るいと明日は晴れ、というような地元に基づく天気予報が他地方にもあるのでは?
日本人は夕暮れ時に特別な思いを感じてきました。
逢魔時、夕日が沈むと夜の闇が待っています。(逢魔時についてはこのポストを参考にどうぞ モノノケハカランダ)
昔は街灯などないので、夜になれば真っ暗闇。
旅人はこの時刻、必死に宿へと急いでいたでしょう。
美しい夕日は短時間で終わってしまうため、儚さ、別れ、切なさ、哀れというもののあはれの象徴となってきました。
また、郷愁の念をもつのも日本人です。
佐藤さとる著「わんぱく天国」には、夕日の中で元気に遊ぶ按針塚の少年たちが生き生きと描かれています。
時間を忘れて日が暮れるまで遊び、ふと気がつけば晩御飯の時間になっていて、大急ぎで走って家に帰る。
そんな情景を思い出す方も多いでしょう。
私の知る限り、外国人は「美しい自然現象」として夕日を眺めることが多いのでは、と思います。
ハワイのオアフ島には夕日で有名な「サンセット・ビーチ」という浜辺があり、夕暮れ時には観光客、白人や日系人などで賑やかになりますが、日系2世3世の方々ですら、夕日を「もののあはれ」や、郷愁の念と結びつけて眺めている訳ではないと言っていました。
これも日本で生まれ育った日本人、独特の感情かも知れません。
「茜」色も日本固有の名称のような気がしますが、こちらは西洋、東洋問わず各国で使われています。
茜という植物の根を染料として使って染めた色が「茜色」です。
日本では少し暗い赤色を「茜色」と元来言うそうですが、英語ではやや明るい茜色(日本で言う緋色に近いもの)をMadder Redと呼ぶそうです。
日本の色彩は着物などにも用いられ、色名を眺めるだけでもその奥深さに魅了されます。
では、続きは明日。
1 comment:
故郷の夕暮れを懐かしく想いました(゜゜)蜩の合唱、台所の支度音、まさに茜色の夕日は日本人の心を歌っているんです。。。私も故郷の夕日もう一度ゆっくり見てみたい(p_-)
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