5thアルバム「MUSIC」に収録されている「wedding song」 は、志村君が大森さん(マネージャーさん)の結婚式のために作った曲で、フジファブリックにしては珍しくストレートな語彙で気持ちが表現されています。
フカフカの赤いカーペットを思わせるような重厚なイントロの後、いつもよりかわいい志村君の声と素直な歌い方が印象的です。
素朴で飾らないこの曲は、きっと志村君が大森さんに絶大な信頼と愛情をもっていたからこそ生まれたに違いありません。「大森さんに幸せになって欲しい」という志村君の素直な気持ちが、私たちにも伝わってくる温かみ溢れる名曲です。
今年6月に結婚なさった、志村君の妹さんの結婚披露宴にもこの曲は流れたそうです。
かわいい妹の結婚式に自分の曲が流れて、志村君はちょっと照れていたかな?
妹さん、どうぞ末永くお幸せに・・・。
志村君にとって特別な「wedding song」、今日から何日かにわたって考えてみたいと思います。
「結婚」について、志村君はいろいろなところで語っていました。
純粋に音楽と向き合い続けた志村君は、「歌詞の中の自分と、実際の自分の間に距離があると、リスナーにメッセージが伝わらない。」と、常に考えていました。
背伸びしない志村君の心の叫びが、あの叙情的な歌詞になり私たちの心を打つわけですが、それは志村君の大変な苦労が陰にあったからこそ生まれたのでした。
「ほとんどのアーティストは、結婚して私生活が充実すると、音楽のクオリティーが下がる。それを乗り越えられる器の大きいアーティストは、ほんの一握りだけだ。自分はまだまだ音楽的にそこまで成長していないから、日常生活が満たされてでてくる幸せを歌詞にしても、誰もそれに食らいついてこない。どんなにその歌詞が自分にとってリアルであっても、だめなんだ。」という趣旨のことを、言っています。
それだけ「幸福」を歌にするのは、「寂しさ」や「苦しみ」を歌にするより難しいということです。そして、フジファブリックの歌詞世界のために、自分は歌詞と殉死していると・・・。
ものすごいプロ根性です。
一流の仕事を立派にしている、一流の人間からしかでない言葉だと思います。
これだけ自分の仕事にまじめに向き合っている人、世の中にそうそう居るものではありません。
修験者を思わせるストイックな志村君の思いが、私たち凡人の見える形に昇華されたものがフジファブリックの音楽です。
だからこそ、純粋な子供たちの心を打ち(フジファブリックは子供たちにも大人気)、穢れた大人たちの心に永く眠っていた純粋な魂を呼び起こしてくれる力を持っているのだと思います。
これは他のバンドには無い、フジファブリックの大きな魅力のひとつです。
でも、志村君だって私たちと同じ、血の通う人間です。
いくらそれが仕事のためといえども、「幸せになりたい」という気持ちは私たちと何ら変わりはありません。
志村日記でも、フジファブリックの初代ベーシストの結婚式に出席した時のことを、感慨深そうに書いています。筋の通った人生歩んできて、こうして結婚して、彼はかっこいい。そして、富士ファブリックのメンバーで「茜色の夕日」と「ダンス2000」を演奏できて、幸せな日だったと言っています。
そして、雑誌のインタビューなどで「自分も35歳までには結婚したい」と、言っていましたね。
それを思うと・・・胸がいっぱいです。
幸せな家庭を持つのにふさわしい心の持ち主だったのに・・・。
今までの苦労の分、人よりずっと幸せになる権利があったのに・・・いえ、きっと向こうの世界で、男女なんていう枠を超えたいいご縁に結ばれることでしょう。
志村君らしい「結婚」に関するエピソードといえば、足立君が脱退した時のことではないでしょうか。
「東京、音楽、ロックンロール」の中でも、「メンバーが抜けるのは、ある意味離婚なので家族じゃなくなる。それはとても恥ずかしいし、悔しい。結婚したらずっと一緒にいたい。だからこそ挫折感はあった。」と、言っています。
とても重みのある言葉で、フジファブリックへの志村君の思いが伝わってきますね。
この挫折感につながるというのは、とても日本的な感情です。
日本人の結婚観は、アジア諸国の中でも儒教の影響を受けすぎず、独自の発展を遂げてきました。
明日は、「日本人の結婚観」について考えてみたいと思います。
志村君の言葉がどうして「日本的」なのか、歴史を紐解くとわかります!
今年6月に結婚なさった、志村君の妹さんの結婚披露宴にもこの曲は流れたそうです。
かわいい妹の結婚式に自分の曲が流れて、志村君はちょっと照れていたかな?
妹さん、どうぞ末永くお幸せに・・・。
志村君にとって特別な「wedding song」、今日から何日かにわたって考えてみたいと思います。
「結婚」について、志村君はいろいろなところで語っていました。
純粋に音楽と向き合い続けた志村君は、「歌詞の中の自分と、実際の自分の間に距離があると、リスナーにメッセージが伝わらない。」と、常に考えていました。
背伸びしない志村君の心の叫びが、あの叙情的な歌詞になり私たちの心を打つわけですが、それは志村君の大変な苦労が陰にあったからこそ生まれたのでした。
「ほとんどのアーティストは、結婚して私生活が充実すると、音楽のクオリティーが下がる。それを乗り越えられる器の大きいアーティストは、ほんの一握りだけだ。自分はまだまだ音楽的にそこまで成長していないから、日常生活が満たされてでてくる幸せを歌詞にしても、誰もそれに食らいついてこない。どんなにその歌詞が自分にとってリアルであっても、だめなんだ。」という趣旨のことを、言っています。
それだけ「幸福」を歌にするのは、「寂しさ」や「苦しみ」を歌にするより難しいということです。そして、フジファブリックの歌詞世界のために、自分は歌詞と殉死していると・・・。
ものすごいプロ根性です。
一流の仕事を立派にしている、一流の人間からしかでない言葉だと思います。
これだけ自分の仕事にまじめに向き合っている人、世の中にそうそう居るものではありません。
修験者を思わせるストイックな志村君の思いが、私たち凡人の見える形に昇華されたものがフジファブリックの音楽です。
だからこそ、純粋な子供たちの心を打ち(フジファブリックは子供たちにも大人気)、穢れた大人たちの心に永く眠っていた純粋な魂を呼び起こしてくれる力を持っているのだと思います。
これは他のバンドには無い、フジファブリックの大きな魅力のひとつです。
でも、志村君だって私たちと同じ、血の通う人間です。
いくらそれが仕事のためといえども、「幸せになりたい」という気持ちは私たちと何ら変わりはありません。
志村日記でも、フジファブリックの初代ベーシストの結婚式に出席した時のことを、感慨深そうに書いています。筋の通った人生歩んできて、こうして結婚して、彼はかっこいい。そして、富士ファブリックのメンバーで「茜色の夕日」と「ダンス2000」を演奏できて、幸せな日だったと言っています。
そして、雑誌のインタビューなどで「自分も35歳までには結婚したい」と、言っていましたね。
それを思うと・・・胸がいっぱいです。
幸せな家庭を持つのにふさわしい心の持ち主だったのに・・・。
今までの苦労の分、人よりずっと幸せになる権利があったのに・・・いえ、きっと向こうの世界で、男女なんていう枠を超えたいいご縁に結ばれることでしょう。
志村君らしい「結婚」に関するエピソードといえば、足立君が脱退した時のことではないでしょうか。
「東京、音楽、ロックンロール」の中でも、「メンバーが抜けるのは、ある意味離婚なので家族じゃなくなる。それはとても恥ずかしいし、悔しい。結婚したらずっと一緒にいたい。だからこそ挫折感はあった。」と、言っています。
とても重みのある言葉で、フジファブリックへの志村君の思いが伝わってきますね。
この挫折感につながるというのは、とても日本的な感情です。
日本人の結婚観は、アジア諸国の中でも儒教の影響を受けすぎず、独自の発展を遂げてきました。
明日は、「日本人の結婚観」について考えてみたいと思います。
志村君の言葉がどうして「日本的」なのか、歴史を紐解くとわかります!
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