Sunday 28 October 2012

志村正彦君のファンの皆様へ


今日はフジファブリックファン、志村正彦君のファンの皆様に宛てて、あるお願いがあります。
皆様の心の中にある、純粋無垢で素直な場所をオープンにして、私の言葉に耳を傾けて頂けたら幸いです。

以下青色の文字で書かれた文章は、昨年開催された「志村正彦展」実行委員の一員であり、同級生の方からのお願いです。

ファンがお供えした色とりどりの花に囲まれて、花畑のようだった正彦のお墓が、今年の夏ぐらいから様子がおかしいのです。
以前は花だけでなく、コーラもコーヒーも煙草も、時にはファンが置いていったCDや手紙などを見かけたこともありました。それを見る度に、「正彦は今でも、こんなに大勢の人に愛されてるんだなぁ」と、彼の友人として嬉しく思っていました。

ところが、ある一部のファンの人が、ご家族に断りもなく、勝手にお墓の管理をしているようなのです。


善意でやっているとは思いますが、正彦のご家族が望んでいないのであれば、今までどおり、そっとしといてもらいたいです。お墓の管理をするのもご両親の生きがいであり、ファンからのお供え物など、迷惑だなんて感じておらず、感謝の気持ちでいっぱいのはずです。

その方がどんなことをしているのかというと、頻繁に富士吉田に来てはお墓参りをし、お墓に供えてある花が枯れないうちに片付けたり、お墓参りのルールをつくり注意文を提示したり、(お供え物はお花とお線香以外は持って帰るなど)灰皿を勝手においたりしています。

また菩提寺に置いてあるノートについても、ファンが挟んだ手紙を勝手に抜き取ったりしているようです。

そのような行動は、ファンとして一線を越えており、自己満足に近いと思います。

その方のガイドにより、志村正彦の縁の地など、富士吉田市を案内してもらっているファンの人達も、多いと思われますが。
その方のルールはあくまで自分でつくったものであり、ご家族の意思ではないことを認識しておいてほしいです。

多分、正彦だったら、「俺のお墓参りは程々でいいから、自分の先祖のお墓をきれいにしなよ」って言いそうかな?

正彦ゆかりの地も、ファンが自分で行くからこそ感じるものがあるわけだし、それを写真に撮ってみたところで、ただの風景に過ぎません。大多数のファンは、写真では伝わらないものを感じるために、富士吉田を訪れたいと思っているのじゃないですか。

「志村正彦展」でも感じましたが、富士吉田市に訪れてくれている志村正彦ファンは、本当に心暖かい愛情のある人達ばかりで、こんなにすばらしいファンが大勢いる正彦は、俺たちの誇りです。
正彦は、みんなの心の中で永遠に生きているはずなので、みんなの志村正彦として、これからも音楽を通じて大切にしていってほしいです。


同級生の方の思いです。

通常、私達がお墓参りに行くのは、自分の先祖や生前親交のあった大切な方のお墓がほとんどです。なぜならお墓とは、ご先祖様や大切な人がご供養されてある場所であると同時に、お参りする人にとって心の拠り所となる神聖な場所だからです。

亡くなった方のご冥福を祈り、自分とその方との絆を感謝する場所なのです。

それは世に名を知られる人の場合でも同様で、当然のことながら、志村正彦君についても例外ではありません。

皆様ご存知の通り、フジファブリック公式の場所では、志村君のお墓の所在や菩提寺について、一切発表はされておりません。
なぜならば、お墓とは本来、神聖でプライベートな場所であるからです。

今まで正彦君のお墓参りをしたことのあるファンは、

「知り合いから教えてもらった」
「ネットで知った」

という、ある意味、間接的なご縁でいらっしゃった方がほとんどだと思います。

ただ、志村君の場合は若くに急逝したということもあり、昔からのファンはもちろんのこと、亡くなった後にファンになった人は、やり場のない気持ちをどうしていいかわからず、お墓参りをすることで、その悶々とした思いを昇華させているのではないでしょうか。

そのファンの気持ちを温かく受け止め、本来ならばプライベートな場所であるお墓ではありますが、訪ねてくるファン達の意を汲み取り、志村家のご家族はじめご親戚の皆様、また菩提寺さまも、お墓参りを見守って下さってきました。

それは、大勢の皆様の温かいご厚意により、はじめて成り立っていたわけなのです。

お墓以上の適所が思い当たらないファン達は、自分の思いを綴った手紙や、「志村君のために・・・」と持ってきたプレゼント(嗜好品や、小さな贈り物)などを、墓前にお供えしてきました。そしてそれらの品々は、ファンの気持ちに深く感謝する志村家の皆様が、正彦君の代わりに大切に保管してきて下さったときいています。

それがある日を境に、極端に少なくなってしまったのです。

上記で言及されている「菩提寺に置いてあるノート」について。

お参りをすませたファンの皆様はご存知のことと思いますが、菩提寺のご本堂には、或るノートがおいてあります。
これはファンの人達が自由に自分の思いを書き込むためのノートです。
現存する数少ない「志村君とファンが繋がることの出来る場所」として、ファンにとっては心の拠り所となっている大切なものです。

ご住職の深い理解を賜り、ご厚意で置いてくださってあります。法要や年中行事などご多忙にも関わらず、いつ伺ってもご家族皆様で温かく迎え入れてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

「あたたかい心も やさしい思いも 行いになって はじめて見える」

菩提寺の門に、掲げてあった言葉です。
仏法を自ら見せて下さる菩提寺の皆様。
ぜひ皆様のご負担にならぬよう、時間帯(早朝、夕方5時以降は避けるなど)に配慮をするなどして、ファンの皆様、報恩と致しませんか。

また、志村正彦君に宛ててあるこのノートは、菩提寺と志村家の方々が管理をし、保管すべきものであるということを、ぜひファンの皆様一人一人にご理解頂きたいと思います。
家から書いてきた手紙を貼ったり、長い時間をかけて志村君への思いを直接ノートに書き込むファンもいます。

皆さんの思いの詰まったノートは、手紙と一緒です。

ファンの皆様は、志村君がファンに頂いたものを、どれほど大切にしていたか知っていらっしゃるでしょう。
特に手紙は、彼にとって特別なものでした。

2009年3月16日付の「志村日記」を読んでみて下さい。

「手紙を下さい。手紙は勇気づけられます。お恥ずかしながら。インディーズの頃から今までファンの皆様から頂いた手紙は全て取って置いてあります。一通たりとも捨ててません。家に保管してあります。」


お墓参りにいらっしゃる志村正彦ファンの皆様。

志村家のお墓には、正彦君の他に志村家のご先祖様も供養されています。
お墓にお供えしてある花、お線香、その他の品々は、全て正彦君と志村家のご先祖様のためにお供えしてあるものです。

お墓を管理し、片付けるのは、志村家のお勤めです。


皆様と同様、一ファンである私が、同級生の方のお願い文に添えて、このようなことをいうのは差し出がましいと重々承知しておりますが、志村君のファンだからこそ、黙って見過ごすわけにはいかないと思いました。

ファンの皆様、どうぞお願い致します。

良識ある行動をもって、志村君への感謝の気持ちとしませんか。

人間には「想像する・推察する」という、素晴らしい能力があります。
最愛の家族や友人を亡くした方の気持ちは、どういうものか。

どうぞお察し下さい。

宜しくお願い致します。

Thursday 25 October 2012

山梨の県民性


先日いろいろネットを見ていたら、興味深い記事を見つけたのでご紹介致します。
「山梨県の県民性」についてです。

最近は「カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW」という番組がテレビに登場するなど、各県にしか通用しない常識や食文化などが話題になっています。
この番組を見ていると、

「え?なんで不思議なんですか?じゃあ、ほかの県の人達は、どうするんですか(笑)」

「じゃあ、これを他にどうやって食べるんですか?」

と、その食べ物や習慣がトピックになること自体が理解できないという反応を示す地元の方が、多いですよね。
でも、あれは当然のことです。

他県(特に東京などの大都市)に進学したり、赴任したり、結婚したりして、初めて分かることも多いものです。
私の経験から言いますと、周りから指摘されて初めて気付くパターンが多いです。
ましてやその県で生まれ育ち、同県出身の人と結婚しずっとその県に住んでいれば、尚のこと、地域限定の文化や食に気付く機会は少なくなります。

私自身も本当につい3日ほど前に、「おびちょ」(幼児言葉で「お風呂」のこと)が甲州弁だということを初めて知りました・・・。家族を含め、私の周りでは普通に通じていたので、不思議も不自由も感じなかったというのが正直なところです。
幼児言葉のため、もちろん大人同士では使いませんが、山梨出身ではない子に言って「ソレ何?」と聞かれ、初めて発覚。
知らなかった!


山梨県の県民性をネットで調べてみると、「あながち嘘ではないけど、それは個人的な問題では?」という特徴を含む記事もたくさん見つかります。
こちらなど、典型的でしょうか。とことん県民性 県民性コラム 山梨県

「真面目で努力家」
「義理人情に厚い」
「お金に細かくケチ」
「自己中心的」
「見栄っ張り」
などなど。

確かにそういう傾向はあるのかもしれないけれど、これはかなり個人差があるのではないでしょうか。

いろいろ調べるうちに、ある本に行き着きました。
「出身県でわかる日本人診断」(樋口清之 著)です。

生まれも育ちも山梨県、何代遡っても親戚一同、山梨に居るという生粋の山梨県人?の私が読んでも、納得。詳細にわたり説明してあります。

概要は、以下の通りです。


北に甲斐駒、南に富士山、まわりを高い山々に囲まれた山梨県。

昔から水害や、生産性の低い火山灰地に苦しんできた。古くから鉱山を開発したのも、ブドウの栽培をはじめたのも(約300年前、元禄の頃には栽培されていたが、果実栽培で生計をたてるというのは、日本では非常に珍しい)、生産性を高めるため。

富士吉田を中心とする郡内地方は、江戸時代の頃より桑を植えて養蚕を盛んに行い、「甲斐絹」(「かいき」)という名産品を産む。
これを開港した横浜に運んで、財を成す甲州商人が出てきた。

(横浜でも、『~じゃん』という言葉を使いますが、あれは山梨の行商人たちの話す甲州弁『~じゃん』がはじまりです。
皆さん、ご存知でしたか。)

甲斐の国は天領(幕府直轄の領地)となり、政治の貧困をうむ。過酷な自然環境と悪政の中で、生きる道を探すこととなる。

そのため、山梨県の男は、働き者が多い。女は家を守って、養蚕や織物に従事するのが精一杯だが、男は農事に励み、出稼ぎや行商をして骨身惜しまず働いたため。


樋口さんは、「山梨県人の性格を投影する山岳の姿は、美しい富士山ではなく、甲斐駒、八ヶ岳、金鶏山など、のこぎりの歯のような連峰の鋭さ」と表現します。

貧しい土地と閉塞された盆地に生まれ、地域性の強い土地に生きる人々。

また甲州人特有の道徳性があると、初代 根津嘉一郎氏(東武鉄道。詳しくはこちらをどうぞ)を例えに出し、説明しています。

「一生懸命努力して、まともなルートで成功することが美しい」
「一回でもお世話になった人には生涯かけて尽くす」

また、赤尾好夫氏(旺文社 創始者。詳しくはこちらをどうぞ)を、「謙虚で、自分に対するきびしさをもった人だが、これは山梨県人全体を通じていえる美点」といっています。

(富士山頂のご来光 2012年9月)

J Groove Magazine(2004年11月発売)の記事で、志村君もある「山梨の県民性」を言っています。

OUTLAW(1996年結成。山梨県南アルプス市出身。2006年解散。詳しくは、こちらをどうぞ)ってバンドの人達とも話していたんですけど、同じ山梨県出身なんですけど、山梨県人はどうしても「これはこうだから、こうだ」みたいなことがいえないところがあるらしくて。だから自信を持ってこうだと言えない特質みたいなものが出てくるのかもしれない。そういう県民性みたいなのはあるんじゃないですかね。

(インタビュアーに『その節は自分で思い当たります?』ときかれて)
思い当たりますね。

山梨は東京の、一応隣なんですけど、劣等感みたいなやつがありますし。
山梨には日本一の富士山があるって言いながらも、どこかで。
東京は嫌いだ嫌いだと言ってるんだけど、みんな東京に進学しちゃう、みたいなね。
でも結局東京人にはなれないというか、今でも。
東京によそ者で来てるって感じなんです。
だから、いつか帰ろうと思ってるのは山梨なんですけどね。
鋭いご指摘、その通りだと思います。
多くの山梨県人、同意して下さるのでは・・・?

「貧しい土地と閉塞された盆地」で、「地域性の強い土地」に生きるため、人と人との繋がりが非常に強いのが山梨の特徴であり、最大の魅力だと、私は個人的に感じています。
何代も続く人と人との結びつきは、とても強いものです。
曽祖父の代からの付き合いという人達は、結構周りに大勢います。

このような過酷な環境下ですから、皆と助け合って生きていかねばなりません。困っているときには助け合わねばなりませんし、昔は村八分になれば、死活問題です。

集落の皆と仲良く、波風たてずにやっていきたいと思うゆえに、主義主張をはっきりとすること、特に皆と違う意見をはっきりいうことを避けるようになったともいえるでしょう。
その影響は、今でも色濃く残っていると思います。

山梨県人が目立ちたがり屋を蔑むのも、こんな背景からなのかもしれません。

今日は、フジファブリックの音楽の魅力からは少し脱線しましたが、志村君がインタビューで言っていた意味を、考えてみました。

今日の一曲は、「黒服の人」。
だんだん寒い冬が近づいてきます。
富士吉田の冬の寒さが、思い出されます。



Tuesday 16 October 2012

「秋盤」にこめられた思い



富士吉田の金木犀は散ったというのに、甲府ではやっと咲きだしたとのこと。
2012年9月の世界平均気温が、史上最高だったそうですから、無理もないのかもしれません。

金木犀の香りは独特で、木の所在をこの季節になって初めて気付くことも少なくありません。まさに秋を感じる花です。
今年は桂花茶(金木犀の花が入ったお茶)を飲みながら、日本の秋を想像することにします。

さて、今日もツイッターで片寄明人さん(Great3)や今村圭介さん(東芝EMI)のお二人がつぶやいていらっしゃいましたが、「秋盤」はやはり本職の方たちも認める名曲だと思います。
この季節になると思い出すファンも多いと思いますが、他の季節に聴くとまたそれはそれでなんともいえない趣があり、一瞬にして秋へとタイムワープするようです。

「赤黄色の金木犀」(カップリング曲「虫の祭り」)がリリースされた2004年秋に発売された様々な雑誌記事から、今日は抜粋して書きたいと思います。



2003年の秋深まった頃、「赤黄色の金木犀」は、志村君がぽっと書いた曲として誕生します。
曲作りとは全く違うことをしている時、例えば道を歩いている時などに、その風景を切り取ってパーッと書いて曲にする、というパターンが多い志村君ですが、「赤黄色の金木犀」も典型的なそのひとつ。

パッとイメージ出来た瞬間に、その風景の中にある言葉を綴っていく感じ。
やっぱり、天才ですね・・・。

この曲の雰囲気で、秋を錯覚してもらいたいと思い、書いた曲なのだそうです。外を歩いている時などに今、体験していなくても、この曲の雰囲気を思い出して欲しい。

意識して、リズムをちょうど自然に歩く速さにしてあり、「特に外で聴いて欲しい曲」とおススメしていますが、秋のひんやりとした空気の中で聴きたい曲ナンバーワンである所以は、これかもしれません。

音楽的には、フジファブリックにしては珍しく、ギターが引っ張っていく仕上がりになっているとのこと。本当にそうですね。



そして、志村君は自分の中の「秋」を語り始めます。

志村君の「秋」は、彼の原風景の中にありました。

山梨では、秋になると街のあちらこちらで、落ち葉を燃やして焚き火をします。なぜかそれは夕暮れ時で、今考えて見ると大人が仕事終え、落ち葉を掃き集め、最後の一仕事として燃やしていたからかもしれないと思いますが、真相はどうだったのでしょう。

志村君はこの落ち葉焚きのにおいと共に思い出す、街中が煙がかった風景が、小さい頃の記憶として残っているそうです。
東京は東京で秋のにおいもあるけれど、それとは別物で、自分の「秋」のイメージははこれだと言い切っています。

「虫の声」も、イメージはふるさと、富士吉田にあるそうです。

ご実家の隣にあった古い家の庭で(今は、そこに違う建物が建ってしまったので、虫は見かけなくなったと言っています)、見かけたり聞こえたりした虫たちが、「秋の虫」というと思い浮かぶのだと言っています。

四季盤を聴くと、富士吉田を思い出すのは、志村君が抱いていたこういうイメージが深いところを流れるからなのですね。納得です。
なんとも言葉に表現出来ない秋の気忙しさや物悲しさ、匂いや風景を、若い世代に伝えるロック。
名曲です。

今日の一曲は、「赤黄色の金木犀」。
金木犀がまだ咲いていない地域の方も、散ってしまった地域の方も、今咲いている地域の方も、
ぜひ楽しんでお聴き下さい。

Monday 8 October 2012

虫の祭り 


ご無沙汰しております。
今日のバンコク、朝から雨が降ったり止んだり、青空と雨空が半々に見えていて、変な天気です。これがもしや、数日前からタイ人が恐ろしげに語っている「嵐」の余波でしょうか・・・。

日本では、各地で今秋一番の冷え込みを記録したとききました。山梨県東部富士五湖(富士吉田のある地方)では、今日の最高気温が18度。
今日の富士山は冠雪しているそうですね。
山から吹き降ろしてくる冷気の運んでくる雪の匂いを嗅ぐと、山国の人間は季節が冬に向かって足早に過ぎていっているのを身に沁みて感じます。

今日は、「虫の祭り」について。

2004年9月29日、フジファブリックの通算3枚目のシングル「赤黄色の金木犀」のカップリング曲としてリリースされました。ちょうど金木犀の季節に合わせて、リリースされたのですね。

以前書いた記事はこちらですが(2010年10月11日付 「虫の祭り」)、今日は主に歌詞についてみてみたいと思います。
作詞作曲 志村正彦、編曲フジファブリックです。

フジファブリックのB面曲は、すべてA面になることができる実力派の曲ばかりですが、特に「四季盤」のカップリング曲は名曲揃いだと個人的に思います。
「赤黄色の金木犀」について、「匂いが香ってくるような曲にしたい」と、以前志村君は語っていましたが、嗅覚をくすぐるA面に併せて作ったカップリング曲は、想像の中で聴覚を呼び起こすという粋な手法が使われています。


恋人が去っていってしまった部屋に、一人残された自分。開けてある窓からカーテン越しに入り込むのは、秋の風だけではなく虫達の声。
祭りの様に賑やかに、花火の様に鮮やかに、聞こえてくる。

歌詞に登場する「花火の鮮やかさ」は視覚で、「祭りの賑やかさ」は視覚、聴覚、触覚で感じるものですが、聴覚で感じる「虫の音」を表現するためにこの二つの言葉を選ぶ志村君の文才には、いつも感動させられます。

その上、祭りも花火も言わずと知れた夏の季語であり、秋を代表する虫の音を描写するために使おうとは、凡才は思わないでしょう。そこが他の誰にも真似できない、志村君のセンスだと思うのです。


「にじんで 揺れて 跳ねて 結んで 開いて 閉じて 消えて」いくものは、なんだったのでしょう。

花火だったのか。
虫の音だったのか。
祭りだったのか。
それとも、祭りの様に過ぎ去った記憶の中にある何かだったのか。

あえてそれが何であるかを限定せずに、リスナーが自分の経験と記憶と想像力の中で、自分なりの「何か」をあてはめることのできる歌詞こそが、フジファブリックがフジファブリックである所以です。


一青年が、アパートの一室で(たぶん一階)、独り別れた恋人のことを考えながら部屋にいるという、よくありそうなシチュエーションを歌っているのですが、この曲を聴くと、なぜか不思議と懐かしい気分になります。
きっとこの曲の根底に流れるものが、もっともっと深いところから来るものだからではないかと思うのです。

ファブリックの作り出す音楽は、西洋にルーツのあるロックというジャンルでありながら、日本人が昔から愛でてきた「季節の移ろいから感じる色彩や音」が、大切に歌われています。そこが私たちの感じる懐かしさであり、心地よさであり、感激させられる元なのではと思いました。

「四季盤」含めフジファブリックの1stアルバム「フジファブリック」は、日本の音楽史に残る名盤だと思います。
もっともっと評価が上がっても、いいのでは?!!
ぜひ多くの方に一度でいいから聴いて頂きたいと、切に願って止みません。

今日の一曲は、「虫の祭り」です。
富士吉田では、金木犀が咲いているとききました。皆さんの街ではいかがですか。虫の音も、金木犀の花も、今から来る厳しい季節の前に、私たちを和ませてくれますね。

(「結んで開いて」の一節は、幼稚園のお遊戯の時間によく歌った童謡「むすんでひらいて」を思い出します。志村君が好きな歌だったのだろうか・・・。)