Tuesday 25 December 2012

「命日に展示やライブ フジファブ志村さん偲ぶ」 山梨日日新聞


山梨日日新聞にて、志村正彦君についての記事が掲載されましたので、ご紹介致します。

「命日に展示やライブ フジファブ志村さん偲ぶ」 山梨日日新聞2012年12月25日付記事

関連の写真も掲載されていますので、ご覧になってみて下さい。

吉田高校の生徒さんのコメントが、地元感たっぷりで山日らしく、とても良いと思いました。
日本や世界で有名になった方が、こういう形で「身近に」感じられる記事を書けるのが、地方紙の魅力だと改めて思いました。


こちらは全国紙である毎日新聞の記事です。こちらも併せてどうぞ。

「志村正彦さん;富士吉田出身・早世のロッカー、ファンら追想 市内でライブや展示イベント」
毎日新聞 山梨 2012年12月25日付記事









Monday 24 December 2012

2012年 路地裏ニュース29 実行委員よりご挨拶


皆様、お越し頂きありがとうございました。

おかげさまで、無事終了することができました。
スタッフ一同、本当に感謝しています。
お越しになれなかった皆様、告知が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
次にやるときは、もっと早めに告知します!って、やるの?マサト隊長?

スタッフ、特にうどんチームはあの寒さの中で、ずーっと外で本当にお疲れ様でした。
ファンの皆様のお腹だけでなく、心も満たしてくれたことと思います。うどんチームに拍手!
ファンの皆様のおかげで、夕方5時のチャイムの後に、無事完売することができました。パチパチ!

僕(実行委員のお一人、ツイッターから情報を発信して下さっているKazzさん)からの個人的なお願いです。

今回の企画は、同級生はもちろん、マサト隊長のもと、うどんチームなど縁の下で企画を支えてくれた市役所チームのガンバリで実現しました。
皆さんからメッセージを頂ければ、次の企画につながっていくんじゃないかと思います。
市役所チームのがんばりを認めてもらいたいんです。ホント一言でいいんです。
ぜひ
kikaku@city.fujiyoshida.lg.jp
にメッセージを送って下さい。

皆様にとって、今日一日がステキな日になったことを願っています。

こんなステキな企画を実現してくれたマサト隊長、ありがとう!
それを支えてくれた路地裏の僕たち&市役所チーム、ありがとう!
そして、志村くん、本当にありがとう!
君の歌はいつまでも僕らの心に響いています。

この企画を支えてくれた市民会館、富士急行、富士五湖AGCをはじめライブ出演してくれた皆様、笑顔でご支援くださった志村君のご両親、ありがとうございます。

そして最後に、お越しいただいた皆様と、遠くで想ってくれた皆様、本当にありがとうございました!

2012年12月24日 実行委員「路地裏の僕たち」

2012年 志村正彦君のご命日によせて

フジファブリックファン、志村正彦ファンの皆様。
この3日間、温かいご声援を頂き、ありがとうございました。

今年も、今日という日を迎えました。

イエス・キリストの降誕だけを純粋に考えていた時があったなど、信じられないほど色々な思いが駆け巡る日。毎年、今日という日を冷静に受け止めることは到底できませんが、3年という月日だけは経ってしまいました。

私事で恐縮ですが、今年は初めて志村君のご命日に富士吉田へ行くことが叶わず、あの張り詰めた極寒の空気の代わりに、暖かい南国の風の中で、いろいろなことを考えていました。

何年経っても、悲しみが薄れることはありません。
「亡くなった子の年を数える」と言いますが、子供でなくても数えてしまうということが、よくわかりました。

2年続けて富士吉田で開催された志村正彦展やその他イベントを、発信する機会を与えて頂けた事、私の一生の思い出となりました。
「路地裏の僕たち」実行委員の皆様、本当にありがとうございました。
今年は地元へ帰ることができず、大したお手伝いもできないにも関わらず、私にお声をかけていただき、ありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

フジファブリックの音楽に強く心惹かれ、聞き込むうちに、志村君が山梨県富士吉田市出身だということを知りました。私の強い?郷土愛に、山梨出身だからフジファブリックを応援していると思っていらっしゃる方も多いのですが、それは全く違います。

ただ単に、大好きになったバンドが同じ出身県だったというだけでした。


あれから本当に色々なことがありました。

フジファブリックの音楽が大好きなのは以前と全く変わりませんが、彼の同級生の皆さんや、地元の皆さんとお話を重ねるうちに、「フジファブリック 志村正彦」ではなく、「志村正彦」君という人物がどれほど魅力的な人だったのかを、知ることとなりました。

「こすっからい」(自分の利ばかり気にして、計算高いこと。甲州弁でしょうかね)人の多い世の中、「志村君のために、何かをしたい」と純粋に思い、見返りを求めず、家族と過ごせるお休みを返上し、準備に奮闘する同級生の皆さんの姿を見て、多くのことを学ばせて頂きました。

純粋に志村君を思う同級生。
そしてそんな思いに同級生をしてしまう志村君。

私はこんなフジファブリックが大好きです。
フジファブリックの音楽は、こういうものがなかったらかけなかったのではないかと思います。

自分たちとは全く違う「ミュージシャン」という人生を歩んだ志村君は、今でも友人たちの「スター」です。

今日の一曲は、もちろんこの曲。
「若者のすべて」
二日目の模様です。


路地裏ニュース28 吉田のうどん

吉田のうどん、残り60杯です。
富士五湖文化センターで、夕方5時のチャイムを聞いてから、その後に食べましょう。


路地裏ニューう27 吉田のうどん

富士五湖文化センター(富士吉田市民センター) 
吉田のうどんが残り150食!ん?売り切れないのか?
皆さん、おなかいっぱいでも食べてってください!

(小腹が空いたときにも、吉田のうどんはおいしいですよ!召し上がっていって下さいね。)


路地裏ニュース26 展示会場より

富士五湖文化センター展示会場の入口は、こちらから。
エレベーターに乗る必要はありません。
ただいまお待ちにならずに、ゆっくりご覧になれます。
ご来場頂いたファンの感想は、「全然プチじゃない!」です。
同級生マサト隊長の気合いの結果です(苦笑)

(ファンの嬉しい悲鳴がきこえるようです!プチと思わせておいて、実は...とは。さすがマサト隊長!富士吉田の男は、キメるところ、キメてきます!)

路地裏ニュース25 吉田のうどん販売開始

吉田のうどん、富士五湖文化センターにて販売開始しました。
おなかはコーラでいっぱい?
でもよかったら食べにきてね。

路地裏ニュース24 会場について

富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)での展示は、昨年と会場が違います。展示は、大ホールのロビーを使っています。3階に上がる必要はありません。
月光寺駅からですと、文化センターの裏側になります。
お間違えなくいらして下さい(^_^)

路地裏ニュース23 企画展示

それにしても、企画展示が昨年より規模が大きくなってる気がするんですけど...。同級生マサト隊長の、空振り的な(^_^)気合いがバンバン伝わってくる展示になっていますよ。お楽しみに(^-^)/
(マサト隊長、私には当初「プチ展示」って、言ってませんでしたっけ?!プチが昨年より大規模って、何があったんだ?!)

路地裏ニュース22 会場の混雑状況情報

さてさて、このブログは富士吉田にいる路地裏の僕たち実行委員と、海を超えての連携プレーで、今日一日お伝えしていきます!
これからは会場の混雑状況の情報なども交えながら、お知らせしていきます。
ファンの皆様、実行委員Kazzさんのツイッターに併せて、ツイッターをしていないファンのために、拡散よろしくお願い致します。皆様の暖かい応援、よろしくお願いします!

路地裏ニュース21 ライブ

富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)では、地元アコースティックギタークラブなどによるミニライブも!14時と16時の2回、開催予定です。歌唱力やギターテクじゃなく、地元愛を感じて下さい。
こちらも皆さんに、暖かさを感じて戴きたいです(^_^)

路地裏ニュース20 吉田のうどん

富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)では、吉田のうどんを300食限定、200円で販売しております。クリスマスイブランチが吉田のうどんなんて、ステキですよね?こちらもお早めにお越し下さいね。
販売員もスタッフなので、手際が悪かったらゴメンなさい。
暖かく見守ってやって下さい(^_^)

路地裏ニュース19 展示について

今日12時から17時まで、富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)にて、志村正彦君の衣装、ギターなどの展示をしております。
どのくらいのお客様がいらっしゃるのか、実行委員としても検討つきませんが、お早めにお越し下さいね。
遅いお知らせで、申し訳ありません。

Sunday 23 December 2012

路地裏ニュース18 音の反響


「夕方5時のチャイム」
いつもの丘の忠霊塔は、いくつかの防災無線が反響し合い、聞きづらいようです。
明日は皆で、富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)で、聴きませんか?

路地裏ニュース17 2012年12月23日の富士


「夕方五時のチャイム」は、二日目の今日も静かに静かに、富士吉田の空にこだましました。富士吉田の夕景です。
「路地裏の僕たち」の歌声も、きっと空高く響いていったことでしょう。

どうぞファンの皆様にも、届きますように・・・。

(昨日録画された「夕方五時のチャイム」です)

路地裏ニュース16 下吉田倶楽部



下吉田駅の下吉田倶楽部にて、ライブはじまりました。
まずは「じゅげむ」のオーナー 伊藤さんの「花」からスタートです。
二回目は、17時からです。

皆様、下吉田駅へ急げ~。

路地裏ニュース15 特大パネル


路地裏の僕たちが、特大パネル運び出し中。
全員裸足。真剣です。

さてこの特大パネル、ファンの皆様にご覧いただける時間が刻一刻と迫っているということですね!?実行委員、がんばれ~!!

Saturday 22 December 2012

「若者のすべて」~空に響け "夕方5時のチャイム"~


富士吉田にいらっしゃったファンの皆様、夕方5時のチャイムを聞けましたでしょうか。
志村君のご家族、ご親戚、ご友人、そしてファンの皆様にとって、忘れられない夕方5時のチャイムとなったことと思います。

私事で恐縮ですが、今年の冬は帰国が叶わず、海の向こうから同時刻に「若者のすべて」を聴いて、志村君の晴れ姿を想像しておりました。
「どんなチャイムだったのかな。」と、いろいろ想像しながら聴いていました。

そんな私のようなファンのために、実行委員の皆様が、思いがけないクリスマスプレゼントを下さいました!
今日、2012年12月22日夕方5時、富士吉田市の防災無線から流れたフジファブリック「若者のすべて」のチャイム音を、正彦君思い出の地にて実行委員が録画して、You Tubeにアップして下さいました!!

志村君の作った曲が、彼の大好きだった富士吉田の地に流れることを見届けることに大きな意味があるのは当然なのですが、「どういう風なアレンジのチャイム音になったのかな。」と、興味のあるファンの方も多いかと思います。

皆様、どうぞお聴きください!



感無量です。
本当に・・・。
志村君、すごいなぁ。
空まで響いたあなたの曲が、聴こえましたか。
富士北麓に、あなたが書いた曲が流れたんだよ。
おめでとう。
本当に、おめでとう。

これから残り二日間、富士吉田へお越しの志村ファンの皆さん、ぜひ吉田の街を楽しんでいって下さいね。


ここで実行委員「路地裏の僕たち」から、皆様にお知らせです。

・昨年とは違い、今年は富士急行線のふじさん特急は、下吉田駅に臨時停車いたしませんのでご了承ください。

・下吉田駅構内にある「カフェ下吉田倶楽部」にも、志村正彦君にまつわるものがプチプチ展示されています。ぜひお立ち寄りください。

・12月23日夜は、月江寺「じゅげむ」にて、シムラナイト協賛開催されます。

・12月20日、志村君の母校、山梨県立吉田高校では、お昼の放送で、「週末、夕方5時のチャイムに、フジファブリックの音楽が奏でられること」がお知らせされました。そして帰りのお掃除時間の放送では、「若者のすべて」が流れました。
志村君、愛されてるな・・・。

・あの「赤いベンチ」ゲット!
昨年の「志村正彦展」できけた同級生トーク、まさか今年も聞けるの!?

・「下吉田 てくてくマップ 志村正彦編」も、配布致します。
もちろん、平成24年用の改訂版です。
23日は、下吉田駅構内のカフェ下吉田倶楽部にて、24日は下吉田倶楽部と、富士五湖文化センター(市民会館)にて、配布いたします。

・24日には、富士五湖文化センター(市民会館)にて、「吉田のうどん」を200円で販売致します。限定300食です。よろしかったら、ぜひ。

以上です。
これから二日間、随時ブログもアップしていきますので、よろしくお願い致します。

富士吉田へいらっしゃったファンの皆様。

昨年の企画展で多くの感動を下さった正彦君の同級生「路地裏の僕たち」に加え、今年は富士吉田市役所若手チームの方々が、長い間、企画し今回のイベントを開催して下さいました。
その一番大きな原動力となったのは、いつも変わらない志村君への思いです。

正彦のために何かをしたい。
ただそれだけの思いで、皆さん頑張って下さっています。

このブログに彼らへのメッセージなど頂けたら、幸いです。私が責任をもって実行委員代表にお渡し致しますので、よろしかったらぜひコメント、メールなどで感想を送って下さい。ご意見、ご感想など、どんな些細なことでも構いません。

どうぞよろしくお願い致します。

Sunday 16 December 2012

2012年 志村正彦さんに関するイベントのご案内



志村正彦ファンの皆様に、今日は朗報をお届けいたします!

2012年12月、志村君のご命日12月24日にちなんで、故郷 富士吉田市にて、期間限定で防災無線の「夕方のチャイム」が、フジファブリックの曲を奏でるチャイム音に変わることが決定いたしました!

「夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて」

「若者のすべて」の有名なくだりですが、ファンの中にはわざわざ富士吉田市の夕方5時のチャイムを聞きにくる方もいるほどです。志村君を思い起こさせるあの5時のチャイムが、志村君ご本人の曲に変わるなんて・・・、なんとステキなことでしょうか。

このようなことが可能になった背景には、志村君のご家族のご理解をはじめ、昨年開催された志村正彦展「路地裏の僕たち」実行委員会を務めた同級生の方々の思い、富士吉田市民の思い、そして何よりも全国のファンの皆様の温かい思いがありました。

また、この3日間に合わせて、様々なイベントが下吉田駅(下吉田倶楽部)や富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)にて、富士吉田市役所若手職員プロジェクトチームと志村正彦展「路地裏の僕たち」実行委員会によって、計画されております。

お越しになられるファンの皆さん、貴重なこの機会にみんなで夕方5時のチャイムを胸に響かせましょう!

詳細は下記の通りです;

チャイム
〔放送日〕 12月22日(土)、23日(日)、24日(月)の3日間

〔放送時間〕 17:00

イベントスケジュール
〔12月23日(日)〕
★下吉田駅(下吉田倶楽部)
富士五湖アコースティックギタークラブなどによるライブ開催
15:00~ (第一部)
17:00~ (第二部)

〔12月24日(月)〕
★富士五湖文化センター(富士吉田市民会館) 1階市民ギャラリー
12:00 ~ 17:00 展示コーナーと吉田のうどんの提供

★富士五湖文化センター(富士吉田市民会館) 2階(大ホール2階入口スペース)
富士五湖アコースティックギタークラブなどによるライブ開催
14:00 ~ (第一部)
16:00 ~ (第二部)


〔実行委員の皆様から、ファンの皆様へのメッセージ〕

・富士吉田市は、厳寒の季節です。
ぜひ暖かい服装でお越し下さい。
半袖短パンは厳禁、ももひき、ヒートテックの下着、手袋、ホッカイロなどは、必需品です。

・防災無線のチャイムについては、富士吉田市内であれば大抵の場所で耳にすることはできますが、志村正彦君の縁の地として有名な場所で防災無線機が設置されているところは、下吉田駅、富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)がお勧めです。

・展示コーナーについては、昨年の12月23日、24日に開催された志村正彦展「路地裏の僕たち」のような大々的な規模ではありませんが、精一杯の展示をさせて頂きます。
ぜひご了承下さいませ。

・最後に・・・ファンの皆様へのお知らせが遅くなってしまったこと、心からお詫び申し上げます。

ではファンの皆様、今年もフジファブリック 志村正彦君一色で盛り上がりましょう!

今日の一曲は、もちろん「若者のすべて」です。
志村君の曲が富士吉田に響き渡るなんて・・・、感無量です。
晴れ姿、聴きたかったな・・・。


Thursday 6 December 2012

「山梨ゆかり 三つの頂」 山梨日日新聞 2012年7月1日付 記事 


ご無沙汰しております。
諸事情により、長いこと更新できずにおりました。

ロイ・クラトーンのお祭り(水神様に、一年水を使わせていただいたことにお礼をする祭り)も終わり、いよいよ乾季かと思いきや、毎日雨が降っております。

ブログを書いているうちにも、雨雲がひろがってきています。
また一雨きそうな予感・・・。もう、降ってきた。

今日は、予定変更してお伝え致します。

「山梨ゆかり 三つの頂」(山梨日日新聞 2012年7月1日付 記事より)

今年の7月1日、山梨日日新聞 創刊140周年を記念して、「『山梨生まれ』を誇る」という特集が紙面でくまれました。

「山梨生まれであることに、誇りと喜びをもとう」

県民でもしらない山梨のいろいろを、山日の記者たちが独自の視点で伝える、とても興味深い特集でした。

その中でも、特に心に残った記事を、今日はご紹介したいと思います。

空晴れ渡る或る日、東京上空から撮られた一枚の写真が、二面にわたり大きく掲載されています。
そこに写るのは、三つの頂き  東京スカイツリー、東京タワー、富士山。


東京スカイツリーのデザインを手がけた設計者の一人が、山梨県甲州市勝沼町出身の土屋哲夫さん。建物の意匠や建物内部の仕様を考えるチームリーダーを務めました。

スカイツリーの建設と運営の中核を担う東部鉄道も、かつて甲州財閥を代表する経営者で、「鉄道王」と呼ばれた山梨市出身の根津嘉一郎さんが、経営を建て直したことで知られています。

次に、東京タワー。
山梨県南アルプス市出身の内藤多仲さんが設計しました。
大阪の通天閣、名古屋テレビ塔も手がけた内藤さん。あだ名は「塔博士」でした。
戦後の復興と成長を象徴する建造物として、日本の発展を見守ってきました。

そして富士山。
日本で一番高い山。古くから信仰の対象であり、文化・芸術面でも、日本人の心から切り離すことのできない山です。

首都から見える山梨ゆかりの三つの頂。私達の誇りです。

今日の一曲は、「Sugar!!」。

音楽も歌詞も、切なく心に響く曲です。
一度も休むことも、止まることもなく、上空で光る星めがけ、全力で走り、頂上に登りきった志村君。


東京タワーを見ては、作曲していたと語っていたあなたを、思い出しました。
志村君、あなたはいつまでも、私達山梨県民のスターです。誇りです。
素晴らしい曲たちを、本当にありがとう。

志村君率いるフジファブリック。
首都から見える山梨ゆかりの四つ目の頂として、これからももっともっと羽ばたいて行って下さい。
心から、応援しています。



Saturday 10 November 2012

フジファブリックと色 「蒼い鳥」

前回からの続きです。

「蒼い鳥」の歌詞を、通して読んでみて下さい。

蒼い鳥

可能なら 深い海の中から
鼻歌 奏でてごまかしたい

可能なら さらけてしまえたらいい
蒼さに足止めをされている

今、果てしなく吹き荒れる
風の中 立ってる 時が来るのを待つ

羽ばたいて見える世界を
思い描いているよ
幾重にも 幾重にも

昨日の跡がまた増えている
にらんで踏み潰してしまった

今、果てしなく吹き荒れる
風の中 立ってる 時が来るのを待つ

ゆらめいて 消えそうな光
たぐり寄せて ここにいるよ

羽ばたいて見える世界を
思い描いているよ
幾重にも 幾重にも


こうして歌詞を改めて読んでみると、曲の始めに流れる電子チェンバロのようなアルペジオが自然と頭の中に流れ、「蒼」の深さが伝わってきます。

「深い海の中」
「蒼さに足止めをされている」
「吹き荒れる 風の中」

深みのある蒼の世界の中に、突然「ゆらめいて 消えそうな光」。
蒼を一層引き立たせる光。そんなたよりない光を、たぐり寄せてここにいる。


「悪夢探偵」という映画を、皆さんはご覧になりましたか。

「軽率に死のうとした人が、実際死のうとした瞬間にものすごく恐ろしいものが自分を殺しに来て、一生懸命逃げるはめになる」というのが、この映画のコンセプトです。


志村君はこの作品を観て、

「生きていく中一歩間違ったら陥ってしまいそうな、紙一重のことってあると思うんですけど、その紙一重の先に行ってしまった人たちの様子が観られるなって。『怖いけど覗いてみたい』的な感覚が作品になっている」

塚本晋也監督と作品の方向性を確かめあって、見事に一致し書いたという「蒼い鳥」。
元々フジファブリックの大ファンである塚本監督ですが、

「出来てきたデモテープをきいて、エンドレスでずっと聴いていたというぐらい『悪夢探偵』のムードが全体に異様なほど満ちていたので感心した」

と言っています。

映画のエンディングテーマとして書かれた、「蒼い鳥」。
チルチルとミチルの「青い鳥」と、対照的な「蒼い鳥」。

短調できて、曲の最後にポロロロンと鳴る、鍵盤の長調和音。
暗黒の蒼の中で最後、「救われた」ような気分になるのは、私だけでしょうか。

ぜひ映画をご覧になって、志村君の伝えたかった「蒼」の深さを味わってみてください。

今日の一曲は、もちろん「蒼い鳥」です。
映画の予告編の後には、ぜひ歌詞をご覧になりながら、聴くのをお勧め致します。

次回は「蒼い鳥」のカップリング曲、「東京炎上」の中の「赤」について考えてみたいと思います。


Thursday 8 November 2012

もう11月


今年も残すところ2ヶ月をきりました。
時が経つのは、早いものです。

山梨の家族から「寒くなってきたよ」という言葉を聞くたびに・・・、今年も志村君のご命日が近づいてきたんだなぁ、と思います。
志村君の故郷、富士吉田は、寒い時期の長い土地柄です。それで冬の寒さが志村君のイメージと重なるのでしょうか。

夏に生まれて、冬に天へと帰っていった志村君。
季節の変わり目になると、ふとした瞬間に志村君の音楽が頭をよぎる時があります。


今日は「フジファブリックと色」をテーマに、考えてみたいと思います。

日本人と言うのは、とりわけ色について敏感な民族であるといわれます。
四季の移ろいを通して、多くの色に囲まれてきた日本人は、色彩を楽しむ文化を作り上げてきました。

まず伝統的な日本の着物。
布を染めるためにもっとも使われたのは、植物です。
ベニバナの鮮やかな赤。
刈安の黄色。
紫の語源となったムラサキ。

「和色」といわれる日本の伝統色は、見るものの心を躍らせます。
(「和色」に関しては、こちらのカラーチャートをご覧下さい。和色大辞典
また着物の伝統色に関しては、こちらをどうぞ。着物特有の色・日本の伝統色

平安時代の宮廷の女性たちは、季節ごとに重ね着の組み合わせを変えて、楽しみました。
今の季節ですと、紅葉を表す赤と黄色の組み合わせが好まれ、屋敷の中にいても、外へ出ても風流な装いを楽しんだのです。


「フジファブリックの音楽の中には、日本人が昔から大切にしてきた感性が、ちりばめられている」と、私は感じているのですが、色についても同じことがいえると思います。

楽曲の歌詞や曲名の中に登場する、とても印象的な色の名。

例えば、特に先月は聴いた方も多かったと思われる「赤黄色の金木犀」の「赤黄色」。
赤と黄を混ぜるとできる橙色、要するにオレンジ色のことです。
「橙色の金木犀」や「オレンジ色の金木犀」より、やはり「赤黄色」という色名を使うことにより、曲名の魅力が増しますよね。


次に、「い鳥」の「」。
常用漢字では「青」を使うことの方が多いのですが、「蒼」と「青」は何が違うのか。

「青」の漢字の下部分は元々「丹」で、青や赤の色の顔料を取るための井戸の形から形成されました。よって、ブルー、「あお」の意味に使うのです。

「蒼」は、「あお」(ブルー)に加え、「しげる」という意味も含まれるため、草が生い茂る「あお」の意味もあります。「蒼穹」は「青空」のことですが、「蒼崖(そうがい)」というと「草の生い茂る崖」のこと。
(今では、「青」にも同様の意味を含ませることもあります。)

曲名に「蒼」という漢字を抜擢したことで、鳥の色に時として茂る緑や、澄み渡る青もイメージとして加わり(「天の蒼々たるは・・・」などの蒼なので)、「青」という色に深みが増す効果があるのではと思います。

また「青い鳥」ですと、童話「青い鳥」で兄妹チルチルとミチルが探し求める幸福の「青い鳥」が曲の伝えるメッセージとは異なるので、あえてそれを避けるために、「蒼」を使ったのかなとも、私は思いました。

次回に続きます。

今日の一曲は、「蒼い鳥」。
個人的に大好きな曲です。「悪夢探偵」という映画のエンディングテーマです。
ストーリーを完結するかのように、最後、エンディングで流れてくる「蒼い鳥」。

志村君が全てのサウンドトラックを担当する映画を、一度観てみたかったな・・・。


Sunday 28 October 2012

志村正彦君のファンの皆様へ


今日はフジファブリックファン、志村正彦君のファンの皆様に宛てて、あるお願いがあります。
皆様の心の中にある、純粋無垢で素直な場所をオープンにして、私の言葉に耳を傾けて頂けたら幸いです。

以下青色の文字で書かれた文章は、昨年開催された「志村正彦展」実行委員の一員であり、同級生の方からのお願いです。

ファンがお供えした色とりどりの花に囲まれて、花畑のようだった正彦のお墓が、今年の夏ぐらいから様子がおかしいのです。
以前は花だけでなく、コーラもコーヒーも煙草も、時にはファンが置いていったCDや手紙などを見かけたこともありました。それを見る度に、「正彦は今でも、こんなに大勢の人に愛されてるんだなぁ」と、彼の友人として嬉しく思っていました。

ところが、ある一部のファンの人が、ご家族に断りもなく、勝手にお墓の管理をしているようなのです。


善意でやっているとは思いますが、正彦のご家族が望んでいないのであれば、今までどおり、そっとしといてもらいたいです。お墓の管理をするのもご両親の生きがいであり、ファンからのお供え物など、迷惑だなんて感じておらず、感謝の気持ちでいっぱいのはずです。

その方がどんなことをしているのかというと、頻繁に富士吉田に来てはお墓参りをし、お墓に供えてある花が枯れないうちに片付けたり、お墓参りのルールをつくり注意文を提示したり、(お供え物はお花とお線香以外は持って帰るなど)灰皿を勝手においたりしています。

また菩提寺に置いてあるノートについても、ファンが挟んだ手紙を勝手に抜き取ったりしているようです。

そのような行動は、ファンとして一線を越えており、自己満足に近いと思います。

その方のガイドにより、志村正彦の縁の地など、富士吉田市を案内してもらっているファンの人達も、多いと思われますが。
その方のルールはあくまで自分でつくったものであり、ご家族の意思ではないことを認識しておいてほしいです。

多分、正彦だったら、「俺のお墓参りは程々でいいから、自分の先祖のお墓をきれいにしなよ」って言いそうかな?

正彦ゆかりの地も、ファンが自分で行くからこそ感じるものがあるわけだし、それを写真に撮ってみたところで、ただの風景に過ぎません。大多数のファンは、写真では伝わらないものを感じるために、富士吉田を訪れたいと思っているのじゃないですか。

「志村正彦展」でも感じましたが、富士吉田市に訪れてくれている志村正彦ファンは、本当に心暖かい愛情のある人達ばかりで、こんなにすばらしいファンが大勢いる正彦は、俺たちの誇りです。
正彦は、みんなの心の中で永遠に生きているはずなので、みんなの志村正彦として、これからも音楽を通じて大切にしていってほしいです。


同級生の方の思いです。

通常、私達がお墓参りに行くのは、自分の先祖や生前親交のあった大切な方のお墓がほとんどです。なぜならお墓とは、ご先祖様や大切な人がご供養されてある場所であると同時に、お参りする人にとって心の拠り所となる神聖な場所だからです。

亡くなった方のご冥福を祈り、自分とその方との絆を感謝する場所なのです。

それは世に名を知られる人の場合でも同様で、当然のことながら、志村正彦君についても例外ではありません。

皆様ご存知の通り、フジファブリック公式の場所では、志村君のお墓の所在や菩提寺について、一切発表はされておりません。
なぜならば、お墓とは本来、神聖でプライベートな場所であるからです。

今まで正彦君のお墓参りをしたことのあるファンは、

「知り合いから教えてもらった」
「ネットで知った」

という、ある意味、間接的なご縁でいらっしゃった方がほとんどだと思います。

ただ、志村君の場合は若くに急逝したということもあり、昔からのファンはもちろんのこと、亡くなった後にファンになった人は、やり場のない気持ちをどうしていいかわからず、お墓参りをすることで、その悶々とした思いを昇華させているのではないでしょうか。

そのファンの気持ちを温かく受け止め、本来ならばプライベートな場所であるお墓ではありますが、訪ねてくるファン達の意を汲み取り、志村家のご家族はじめご親戚の皆様、また菩提寺さまも、お墓参りを見守って下さってきました。

それは、大勢の皆様の温かいご厚意により、はじめて成り立っていたわけなのです。

お墓以上の適所が思い当たらないファン達は、自分の思いを綴った手紙や、「志村君のために・・・」と持ってきたプレゼント(嗜好品や、小さな贈り物)などを、墓前にお供えしてきました。そしてそれらの品々は、ファンの気持ちに深く感謝する志村家の皆様が、正彦君の代わりに大切に保管してきて下さったときいています。

それがある日を境に、極端に少なくなってしまったのです。

上記で言及されている「菩提寺に置いてあるノート」について。

お参りをすませたファンの皆様はご存知のことと思いますが、菩提寺のご本堂には、或るノートがおいてあります。
これはファンの人達が自由に自分の思いを書き込むためのノートです。
現存する数少ない「志村君とファンが繋がることの出来る場所」として、ファンにとっては心の拠り所となっている大切なものです。

ご住職の深い理解を賜り、ご厚意で置いてくださってあります。法要や年中行事などご多忙にも関わらず、いつ伺ってもご家族皆様で温かく迎え入れてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。

「あたたかい心も やさしい思いも 行いになって はじめて見える」

菩提寺の門に、掲げてあった言葉です。
仏法を自ら見せて下さる菩提寺の皆様。
ぜひ皆様のご負担にならぬよう、時間帯(早朝、夕方5時以降は避けるなど)に配慮をするなどして、ファンの皆様、報恩と致しませんか。

また、志村正彦君に宛ててあるこのノートは、菩提寺と志村家の方々が管理をし、保管すべきものであるということを、ぜひファンの皆様一人一人にご理解頂きたいと思います。
家から書いてきた手紙を貼ったり、長い時間をかけて志村君への思いを直接ノートに書き込むファンもいます。

皆さんの思いの詰まったノートは、手紙と一緒です。

ファンの皆様は、志村君がファンに頂いたものを、どれほど大切にしていたか知っていらっしゃるでしょう。
特に手紙は、彼にとって特別なものでした。

2009年3月16日付の「志村日記」を読んでみて下さい。

「手紙を下さい。手紙は勇気づけられます。お恥ずかしながら。インディーズの頃から今までファンの皆様から頂いた手紙は全て取って置いてあります。一通たりとも捨ててません。家に保管してあります。」


お墓参りにいらっしゃる志村正彦ファンの皆様。

志村家のお墓には、正彦君の他に志村家のご先祖様も供養されています。
お墓にお供えしてある花、お線香、その他の品々は、全て正彦君と志村家のご先祖様のためにお供えしてあるものです。

お墓を管理し、片付けるのは、志村家のお勤めです。


皆様と同様、一ファンである私が、同級生の方のお願い文に添えて、このようなことをいうのは差し出がましいと重々承知しておりますが、志村君のファンだからこそ、黙って見過ごすわけにはいかないと思いました。

ファンの皆様、どうぞお願い致します。

良識ある行動をもって、志村君への感謝の気持ちとしませんか。

人間には「想像する・推察する」という、素晴らしい能力があります。
最愛の家族や友人を亡くした方の気持ちは、どういうものか。

どうぞお察し下さい。

宜しくお願い致します。

Thursday 25 October 2012

山梨の県民性


先日いろいろネットを見ていたら、興味深い記事を見つけたのでご紹介致します。
「山梨県の県民性」についてです。

最近は「カミングアウトバラエティ 秘密のケンミンSHOW」という番組がテレビに登場するなど、各県にしか通用しない常識や食文化などが話題になっています。
この番組を見ていると、

「え?なんで不思議なんですか?じゃあ、ほかの県の人達は、どうするんですか(笑)」

「じゃあ、これを他にどうやって食べるんですか?」

と、その食べ物や習慣がトピックになること自体が理解できないという反応を示す地元の方が、多いですよね。
でも、あれは当然のことです。

他県(特に東京などの大都市)に進学したり、赴任したり、結婚したりして、初めて分かることも多いものです。
私の経験から言いますと、周りから指摘されて初めて気付くパターンが多いです。
ましてやその県で生まれ育ち、同県出身の人と結婚しずっとその県に住んでいれば、尚のこと、地域限定の文化や食に気付く機会は少なくなります。

私自身も本当につい3日ほど前に、「おびちょ」(幼児言葉で「お風呂」のこと)が甲州弁だということを初めて知りました・・・。家族を含め、私の周りでは普通に通じていたので、不思議も不自由も感じなかったというのが正直なところです。
幼児言葉のため、もちろん大人同士では使いませんが、山梨出身ではない子に言って「ソレ何?」と聞かれ、初めて発覚。
知らなかった!


山梨県の県民性をネットで調べてみると、「あながち嘘ではないけど、それは個人的な問題では?」という特徴を含む記事もたくさん見つかります。
こちらなど、典型的でしょうか。とことん県民性 県民性コラム 山梨県

「真面目で努力家」
「義理人情に厚い」
「お金に細かくケチ」
「自己中心的」
「見栄っ張り」
などなど。

確かにそういう傾向はあるのかもしれないけれど、これはかなり個人差があるのではないでしょうか。

いろいろ調べるうちに、ある本に行き着きました。
「出身県でわかる日本人診断」(樋口清之 著)です。

生まれも育ちも山梨県、何代遡っても親戚一同、山梨に居るという生粋の山梨県人?の私が読んでも、納得。詳細にわたり説明してあります。

概要は、以下の通りです。


北に甲斐駒、南に富士山、まわりを高い山々に囲まれた山梨県。

昔から水害や、生産性の低い火山灰地に苦しんできた。古くから鉱山を開発したのも、ブドウの栽培をはじめたのも(約300年前、元禄の頃には栽培されていたが、果実栽培で生計をたてるというのは、日本では非常に珍しい)、生産性を高めるため。

富士吉田を中心とする郡内地方は、江戸時代の頃より桑を植えて養蚕を盛んに行い、「甲斐絹」(「かいき」)という名産品を産む。
これを開港した横浜に運んで、財を成す甲州商人が出てきた。

(横浜でも、『~じゃん』という言葉を使いますが、あれは山梨の行商人たちの話す甲州弁『~じゃん』がはじまりです。
皆さん、ご存知でしたか。)

甲斐の国は天領(幕府直轄の領地)となり、政治の貧困をうむ。過酷な自然環境と悪政の中で、生きる道を探すこととなる。

そのため、山梨県の男は、働き者が多い。女は家を守って、養蚕や織物に従事するのが精一杯だが、男は農事に励み、出稼ぎや行商をして骨身惜しまず働いたため。


樋口さんは、「山梨県人の性格を投影する山岳の姿は、美しい富士山ではなく、甲斐駒、八ヶ岳、金鶏山など、のこぎりの歯のような連峰の鋭さ」と表現します。

貧しい土地と閉塞された盆地に生まれ、地域性の強い土地に生きる人々。

また甲州人特有の道徳性があると、初代 根津嘉一郎氏(東武鉄道。詳しくはこちらをどうぞ)を例えに出し、説明しています。

「一生懸命努力して、まともなルートで成功することが美しい」
「一回でもお世話になった人には生涯かけて尽くす」

また、赤尾好夫氏(旺文社 創始者。詳しくはこちらをどうぞ)を、「謙虚で、自分に対するきびしさをもった人だが、これは山梨県人全体を通じていえる美点」といっています。

(富士山頂のご来光 2012年9月)

J Groove Magazine(2004年11月発売)の記事で、志村君もある「山梨の県民性」を言っています。

OUTLAW(1996年結成。山梨県南アルプス市出身。2006年解散。詳しくは、こちらをどうぞ)ってバンドの人達とも話していたんですけど、同じ山梨県出身なんですけど、山梨県人はどうしても「これはこうだから、こうだ」みたいなことがいえないところがあるらしくて。だから自信を持ってこうだと言えない特質みたいなものが出てくるのかもしれない。そういう県民性みたいなのはあるんじゃないですかね。

(インタビュアーに『その節は自分で思い当たります?』ときかれて)
思い当たりますね。

山梨は東京の、一応隣なんですけど、劣等感みたいなやつがありますし。
山梨には日本一の富士山があるって言いながらも、どこかで。
東京は嫌いだ嫌いだと言ってるんだけど、みんな東京に進学しちゃう、みたいなね。
でも結局東京人にはなれないというか、今でも。
東京によそ者で来てるって感じなんです。
だから、いつか帰ろうと思ってるのは山梨なんですけどね。
鋭いご指摘、その通りだと思います。
多くの山梨県人、同意して下さるのでは・・・?

「貧しい土地と閉塞された盆地」で、「地域性の強い土地」に生きるため、人と人との繋がりが非常に強いのが山梨の特徴であり、最大の魅力だと、私は個人的に感じています。
何代も続く人と人との結びつきは、とても強いものです。
曽祖父の代からの付き合いという人達は、結構周りに大勢います。

このような過酷な環境下ですから、皆と助け合って生きていかねばなりません。困っているときには助け合わねばなりませんし、昔は村八分になれば、死活問題です。

集落の皆と仲良く、波風たてずにやっていきたいと思うゆえに、主義主張をはっきりとすること、特に皆と違う意見をはっきりいうことを避けるようになったともいえるでしょう。
その影響は、今でも色濃く残っていると思います。

山梨県人が目立ちたがり屋を蔑むのも、こんな背景からなのかもしれません。

今日は、フジファブリックの音楽の魅力からは少し脱線しましたが、志村君がインタビューで言っていた意味を、考えてみました。

今日の一曲は、「黒服の人」。
だんだん寒い冬が近づいてきます。
富士吉田の冬の寒さが、思い出されます。



Tuesday 16 October 2012

「秋盤」にこめられた思い



富士吉田の金木犀は散ったというのに、甲府ではやっと咲きだしたとのこと。
2012年9月の世界平均気温が、史上最高だったそうですから、無理もないのかもしれません。

金木犀の香りは独特で、木の所在をこの季節になって初めて気付くことも少なくありません。まさに秋を感じる花です。
今年は桂花茶(金木犀の花が入ったお茶)を飲みながら、日本の秋を想像することにします。

さて、今日もツイッターで片寄明人さん(Great3)や今村圭介さん(東芝EMI)のお二人がつぶやいていらっしゃいましたが、「秋盤」はやはり本職の方たちも認める名曲だと思います。
この季節になると思い出すファンも多いと思いますが、他の季節に聴くとまたそれはそれでなんともいえない趣があり、一瞬にして秋へとタイムワープするようです。

「赤黄色の金木犀」(カップリング曲「虫の祭り」)がリリースされた2004年秋に発売された様々な雑誌記事から、今日は抜粋して書きたいと思います。



2003年の秋深まった頃、「赤黄色の金木犀」は、志村君がぽっと書いた曲として誕生します。
曲作りとは全く違うことをしている時、例えば道を歩いている時などに、その風景を切り取ってパーッと書いて曲にする、というパターンが多い志村君ですが、「赤黄色の金木犀」も典型的なそのひとつ。

パッとイメージ出来た瞬間に、その風景の中にある言葉を綴っていく感じ。
やっぱり、天才ですね・・・。

この曲の雰囲気で、秋を錯覚してもらいたいと思い、書いた曲なのだそうです。外を歩いている時などに今、体験していなくても、この曲の雰囲気を思い出して欲しい。

意識して、リズムをちょうど自然に歩く速さにしてあり、「特に外で聴いて欲しい曲」とおススメしていますが、秋のひんやりとした空気の中で聴きたい曲ナンバーワンである所以は、これかもしれません。

音楽的には、フジファブリックにしては珍しく、ギターが引っ張っていく仕上がりになっているとのこと。本当にそうですね。



そして、志村君は自分の中の「秋」を語り始めます。

志村君の「秋」は、彼の原風景の中にありました。

山梨では、秋になると街のあちらこちらで、落ち葉を燃やして焚き火をします。なぜかそれは夕暮れ時で、今考えて見ると大人が仕事終え、落ち葉を掃き集め、最後の一仕事として燃やしていたからかもしれないと思いますが、真相はどうだったのでしょう。

志村君はこの落ち葉焚きのにおいと共に思い出す、街中が煙がかった風景が、小さい頃の記憶として残っているそうです。
東京は東京で秋のにおいもあるけれど、それとは別物で、自分の「秋」のイメージははこれだと言い切っています。

「虫の声」も、イメージはふるさと、富士吉田にあるそうです。

ご実家の隣にあった古い家の庭で(今は、そこに違う建物が建ってしまったので、虫は見かけなくなったと言っています)、見かけたり聞こえたりした虫たちが、「秋の虫」というと思い浮かぶのだと言っています。

四季盤を聴くと、富士吉田を思い出すのは、志村君が抱いていたこういうイメージが深いところを流れるからなのですね。納得です。
なんとも言葉に表現出来ない秋の気忙しさや物悲しさ、匂いや風景を、若い世代に伝えるロック。
名曲です。

今日の一曲は、「赤黄色の金木犀」。
金木犀がまだ咲いていない地域の方も、散ってしまった地域の方も、今咲いている地域の方も、
ぜひ楽しんでお聴き下さい。

Monday 8 October 2012

虫の祭り 


ご無沙汰しております。
今日のバンコク、朝から雨が降ったり止んだり、青空と雨空が半々に見えていて、変な天気です。これがもしや、数日前からタイ人が恐ろしげに語っている「嵐」の余波でしょうか・・・。

日本では、各地で今秋一番の冷え込みを記録したとききました。山梨県東部富士五湖(富士吉田のある地方)では、今日の最高気温が18度。
今日の富士山は冠雪しているそうですね。
山から吹き降ろしてくる冷気の運んでくる雪の匂いを嗅ぐと、山国の人間は季節が冬に向かって足早に過ぎていっているのを身に沁みて感じます。

今日は、「虫の祭り」について。

2004年9月29日、フジファブリックの通算3枚目のシングル「赤黄色の金木犀」のカップリング曲としてリリースされました。ちょうど金木犀の季節に合わせて、リリースされたのですね。

以前書いた記事はこちらですが(2010年10月11日付 「虫の祭り」)、今日は主に歌詞についてみてみたいと思います。
作詞作曲 志村正彦、編曲フジファブリックです。

フジファブリックのB面曲は、すべてA面になることができる実力派の曲ばかりですが、特に「四季盤」のカップリング曲は名曲揃いだと個人的に思います。
「赤黄色の金木犀」について、「匂いが香ってくるような曲にしたい」と、以前志村君は語っていましたが、嗅覚をくすぐるA面に併せて作ったカップリング曲は、想像の中で聴覚を呼び起こすという粋な手法が使われています。


恋人が去っていってしまった部屋に、一人残された自分。開けてある窓からカーテン越しに入り込むのは、秋の風だけではなく虫達の声。
祭りの様に賑やかに、花火の様に鮮やかに、聞こえてくる。

歌詞に登場する「花火の鮮やかさ」は視覚で、「祭りの賑やかさ」は視覚、聴覚、触覚で感じるものですが、聴覚で感じる「虫の音」を表現するためにこの二つの言葉を選ぶ志村君の文才には、いつも感動させられます。

その上、祭りも花火も言わずと知れた夏の季語であり、秋を代表する虫の音を描写するために使おうとは、凡才は思わないでしょう。そこが他の誰にも真似できない、志村君のセンスだと思うのです。


「にじんで 揺れて 跳ねて 結んで 開いて 閉じて 消えて」いくものは、なんだったのでしょう。

花火だったのか。
虫の音だったのか。
祭りだったのか。
それとも、祭りの様に過ぎ去った記憶の中にある何かだったのか。

あえてそれが何であるかを限定せずに、リスナーが自分の経験と記憶と想像力の中で、自分なりの「何か」をあてはめることのできる歌詞こそが、フジファブリックがフジファブリックである所以です。


一青年が、アパートの一室で(たぶん一階)、独り別れた恋人のことを考えながら部屋にいるという、よくありそうなシチュエーションを歌っているのですが、この曲を聴くと、なぜか不思議と懐かしい気分になります。
きっとこの曲の根底に流れるものが、もっともっと深いところから来るものだからではないかと思うのです。

ファブリックの作り出す音楽は、西洋にルーツのあるロックというジャンルでありながら、日本人が昔から愛でてきた「季節の移ろいから感じる色彩や音」が、大切に歌われています。そこが私たちの感じる懐かしさであり、心地よさであり、感激させられる元なのではと思いました。

「四季盤」含めフジファブリックの1stアルバム「フジファブリック」は、日本の音楽史に残る名盤だと思います。
もっともっと評価が上がっても、いいのでは?!!
ぜひ多くの方に一度でいいから聴いて頂きたいと、切に願って止みません。

今日の一曲は、「虫の祭り」です。
富士吉田では、金木犀が咲いているとききました。皆さんの街ではいかがですか。虫の音も、金木犀の花も、今から来る厳しい季節の前に、私たちを和ませてくれますね。

(「結んで開いて」の一節は、幼稚園のお遊戯の時間によく歌った童謡「むすんでひらいて」を思い出します。志村君が好きな歌だったのだろうか・・・。)

Thursday 20 September 2012

流鏑馬(やぶさめ)祭り 2012 小室浅間神社

昨日19日、山梨県富士吉田市下吉田にある小室浅間神社(地元の人達は、「下浅間」と呼ぶ)で、恒例の流鏑馬(やぶさめ)祭りが執り行われました。

祭りの由来などは、昨年記事に致しましたので、よろしかったらご覧になって見て下さい。
2011年9月18日付記事 Fujifabric International Fan Site 「小室浅間神社 流鏑馬祭り 2011」

今年も山梨日日新聞WEB版にて、今年の例大祭の様子が動画で見られます。
雨があがって良かったですね!

ブログ形式の面白い記事もあります。
山梨のなう 山梨情報ぶろぐ 神事としてのやぶさめ 小室浅間神社 流鏑馬祭り (富士吉田市)
昨年2011年の記事ですが、とても細かく出ていて興味深いものです。

吉凶占いの結果が、気になるところですね。富士吉田の皆さんにとって、良い一年になってくれるようお祈りしています。

今日の一曲は、「お月様のっぺらぼう」。
「あー ルナルナ お月様のっぺらぼう」
幻想的な歌詞に加えて、この音楽。病み付きになります。
今年も中秋の名月が近づいてきます。9月30日、雨が降らないといいな。


Tuesday 18 September 2012

Loftとフジファブリック パート2


今日のバンコク、久々に晴れております!貴重な晴れ間です!!長雨が上がったら、急に空が秋めいてきました。トンボとツバメが野原を飛び交い、乾季が近いことを教えてくれています。

昨日よりひき続き、今日も「Loftとフジファブリック」です。


フジファブリックは、Loftグループが運営しているレーベル「SONG-CRUX」出身のアーティストで、バンドの歴史を語るとき忘れてはならない存在です。
今でも根強いファンを誇る二つのミニアルバム「アラカルト」「アラモード」は、SONG-CRUX時代にリリースされたもの。

これだけでなんとなくLoftがどういう感じなのか、伝わってくるような気がしませんか・・・?!


LoftのHPはこちらです。
Rockin' Communication 新宿 Loft
FOOD&DRINKでは、志村君おススメのオムライスもありますね!



フジファブリックを原点から知る方が、Loftの樋口寛子さんです。
樋口さんは、Loftから数多くのバンド(フジファブリック、メレンゲ、音速ライン、nobol等)を世に送り出してきました。
Twitterでは樋口寛子さんのお名前で、また「スタッフHのブッキング制作・企画ブログ」と題してブログもしていらっしゃいます。
スタッフHのブッキング制作・企画ブログ

ファンの皆さんの中にはご存知の方も多いと思いますが、志村君が亡くなってすぐの日付、2009年12月28日に樋口さんがお書きになった記事をご紹介させて頂きます。
只純粋に音楽が大好きで、ひたすら音楽をやりたかった志村君。目をキラキラさせてギターを持っている志村君の姿が目に浮かぶようです。
2009年12月28日 私の青春 ゼロ年代 

2011年12月に開催された「志村正彦展」に関する記事も、とても温かいもので、胸がいっぱいになります。
2011年12月25日 志村正彦展 富士吉田

このほか、ブログ内検索で志村君を検索してみると、多くの記事が出てきますのでご覧になって見て下さい。
私の手元にあるRooftop(Loftプロジェクト発のマガジン)は、「アラカルト」と「アラモード」がリリースされた時のインタビュー記事が主なのですが、その他「フジファブリック コーナー」と題した特設コーナーで自主企画(『倶楽部AKANEIRO』など)、ライブインフォメーションや、昔のフジファブリックのオフィシャルHPアドレス(旧 フジファブリック オフィシャルHP 移転済みです)の紹介、チケット情報などなどが、お知らせされています。

関係者のコメント付きの「メレンゲ/フジファブリック 新宿ロフト&下北沢シェルター 出演履歴」は、当時の面影を知ることのできる記事ですので、ぜひご覧になってみて下さい。
メレンゲ フジファブリック 新宿Loft&下北沢シェルター 出演履歴 
ちなみに下北沢SHELTERも、Loftグループです。

最後に、新宿Loftでの縁がきっかけで、後に大親友となったメレンゲ クボケンジ君と志村君の対談を二つ併せてご紹介したいと思います。

Rooftop 2004年11月15日付 メレンゲ×フジファブリック ヴォーカリスト対談 クボケンジ(メレンゲ)×志村正彦(フジファブリック)

Rooftop 2009年11月 原点に戻って改めて見える景色 クボケンジ(メレンゲ)×志村正彦(フジファブリック)

奥田民生さんがきっかけで、志村君が音楽の世界に入ったように、フジファブリック 志村正彦に影響を受けて音楽の世界を志す若者たちが、これからきっと出てくることでしょう。そんな彼らにとって、Loftと樋口さんの存在は、心の拠り所となるに違いありません。

志村君の、フジファブリックの原点、Loftです。

今日の一曲は、「アラカルト」から「線香花火」。

「線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら 
最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ」

夜のしじまに揺れる線香花火の火。あのわびしさは、どこからくるのでしょうね・・・。

Monday 17 September 2012

Loftとフジファブリック


今朝のタイ バンコク、所々道が水没しております。雨が降り続き、今年も洪水になるのかとドキドキする毎日です。
昨年洪水が発生した地域(我が家のある地域も含む)では、ヤスデが異常発生し、ジメジメ気分が余計どんよりとなっています。

「Clock」の一節、
「晴れなら気分良好 雨なら逆に下降 
天気に左右上下 振り回されちゃうよ」

本当にそうだな、と思います。


さて、気を取り直していきましょう!


今日はるーふとっぷ瓦版(2003年8月号)の記事からです。

Rooftopとは、皆様ご存知のようにLoft Project発のマガジンです。ウェブ版もあります。
Rooftop

「フジファブリック」でウェブ内検索をすると、2004年11月に行われたメレンゲ クボケンジ君と志村君の対談など、懐かしい記事も色々でてきますので、ご覧になって見て下さい。

フジファブリックを語るとき、Loftの存在を忘れることはできません。
ご存知の方も多いかと思いますが、フジファブリックはLoftグループが運営しているレーベル「SONG-CRUX」出身のアーティストだからです。

志村日記などにもちょこちょこと出てくる新宿Loftに関する記事(他のバンドのライブを見に行った、おいしい食事などなど)を読むと、Loftが如何に特別な場所だったかが伝わってきます。

ファンにはお馴染みの「赤富士通信」も、元はと言えばSONG-CRUX時代に、フジファブリックと樋口寛子さんが一緒に立ち上げ、毎月発行していたものでした。

今日ご紹介するLoftグループフリーペーパー「るーふとっぷ瓦版」2003年8月号、ページの上半分がフジファブリック、下半分がメレンゲと使われております。
フジフジ富士Qで「今日出演バンドの中で、フジファブリックと一番古くからの付き合いがあるのがメレンゲです。」と紹介されていた通り、こんな昔から紙面を同じくして一緒に活躍していたのですね。



2003年7月11日(金)にはタワーレコード新宿店にて、7月13日(日)にはタワーレコード大阪店にて、2ndミニアルバム「アラモード」インストア・ライブが行われました。その様子を志村正彦君と「レーベルスタッフ H」こと樋口寛子さんが書いています。

志村君によるレポートと樋口さんの書くレポートが、絶妙でおもしろい!!
引用させて頂きます。

2003年7月11日(fri)@タワーレコード新宿店
まず一日目のタワレコ新宿店のインストアにはとてもたくさんの人が来てくれて驚きました。リハーサルから見に来てる方もいたりして、とても緊張しました。ただ、内容の方が良くなく悔しかったので、また新宿店でインストアをやってリベンジしたいです。終わった後は、延々と続いていくサイン会に驚きました。買って頂きありがとうございました。(志村)

人の多さに樋口さんも、びっくりしたと書いています。そんなお客さんの姿を見ていたら、徹夜作業で苦労したこともすっかり忘れ、喜ばしい出来事だったと印象深そうに締めくくっています。


そして7月13日(sun)@タワーレコード大阪店

遂に来ました大阪・梅田店。東京を深夜1時に出発し、道が空いていたので、9時過ぎには到着しました。11時にタワレコ・インストア会場に入れたのですが、少し遅れたほうが大物っぽいかなぁと思い、13時に入りました(笑)。ライブの内容ですが、新宿店での反省も含めて頑張りました。良かったと思います。大阪も本当にたくさんの人が来てくれました。また宜しくお願い致します。(志村)

樋口さんによると、この頃のフジファブリック、睡眠時間もろくにとれない連日過密スケジュール。それでもライブになるとテンションが上がり、いろんな意味で「フジファブリックは強くなった」と言っています。久々にフジの生音が聞けると、リハの時から店内がワサワサしていたのと、早めに着いた一行皆でファーストフードで朝食をとったのが、スタッフとして印象的だったそうです。



その後、2003年8月7日(木)、新宿Loftにて行われた「フジファブリック セカンドミニアルバム『アラモード』発売記念ライブ」と続くわけですが、ここでもメレンゲがゲスト出演しています。

Rooftopでのメレンゲの書くフジファブリックへのコメント、フジファブリックが書くメレンゲ バンド紹介も、素の言葉で楽しさ満載です。

フジファブリックのメンバーの誰がこのコメントを書いているかは不明ですが、
「ドラムの山ちゃんさん(この「さん」をつけるところが、志村君っぽいなぁと私は思うのですが・・・)は、男の中の男」
「ベースのツヨシさんは酔っ払うと手が付けられない」
といった後で、
「クボ氏については敢えて何も言いません・・・。メレンゲの音楽は素晴らしいと思うのですがね・・・。」。

これに加えてRooftop2003年7月号、志村正彦君とクボケンジ君、大森元気君(残像カフェ)の3人が、「アラモード」発売記念ライブにあたってしている対談もおもしろい!


Loft発信の情報を見て感じるのは、志村正彦という人は只々純粋に音楽が大好きで、音楽をしていたかった人だったんだな、ということです。インディーズ時代は、きっと肉体的にも経済的にもとてもハードな時期だっただろうと察しますが、どの記事を読んでもキラキラ光り輝いている志村君がいます。

亡くなる1ヶ月ほど前の2009年11月12日、新宿Loftにて「SHINJUKU LOFT 10th Anniversary~Premium Live Event 2009 原点回帰~」に他のバンド多数と出演しているフジファブリックですが、その模様は樋口さんのブログをご覧下さい。
輝いています。

スタッフHのブッキング制作・企画ブログ 「無事終了しました」2009年11月13日付


今日の一曲は、「アラモード」から「花屋の娘」。
2004年4月13日、新宿Loftで行われたライブです。

いまだに根強い人気を誇る、フジファブリック感炸裂の曲です。歌詞の奇抜さが注目を浴びがちですが、各楽器の奏でる音と志村君の声に耳を傾けてみませんか。
全然違った魅力が溢れているのに気付かされ、フジファブリックの音楽の深さに打ちのめされます。

Wednesday 12 September 2012

2012年 富士山初冠雪


今日は違う記事を書いておりましたが、「富士山 初冠雪」のニュースが入ってきたので、急遽変更です。

MSN産経ニュース 2012年9月12日 「富士山が初冠雪」

平年より、18日早いのですか。
毎日暑いと思っていても、季節は確実に変わっていきます。

「日中は暑くても、朝晩が涼しくて、吉田の秋ですよ。」と、つい先日、富士吉田のお知り合いから便りが届いたばかりでした。

「富士吉田 富士山初化粧宣言」でたのでしょうか。

個人的には、山日の写真の方が好きなので、併せて載せておきます。富士吉田の初秋が匂うような、いい写真です。

山梨日日新聞 2012年9月12日付 「富士山が初冠雪」

こちらの富士山ライブカメラからも、運が良いと初冠雪が見られるかもしれません。

富士五湖テレビ 富士山と富士五湖の観光情報局 富士山ライブカメラ


夏は夏で、また秋は秋で大好きな私なのですが、この夏の終わりから秋にかけては、なぜか無性に淋しくなる季節であります。
この言葉にできない寂しさはなんなのでしょうね。


そこらじゅうでうるさいぐらいに鳴いていたセミたちが、ふと気が付くとずいぶんまばらに鳴くようになっている。乾いたセミの死骸が熱風に吹かれ、道に転がっている。
夕暮れ時外へ出て、「ずいぶん日が短くなってきたな」と気が付き、夜になると長い間なりを潜めていた虫たちの声が、ずいぶん賑やかにきこえてくる。

夏の終わりです。

今日の一曲は「虫の祭り」。
夏の風物詩である祭りや花火の賑やかな風景を、秋の虫たちの声を表現するために使う志村君。このコントラストがなんともいえない。「赤黄色の金木犀」とのカップリング曲ですが、フジファブリックの生んだ名曲の一つだと思います。

やはり天才ですね、志村君。

次回の記事は、「アラモード」についてです。


Thursday 30 August 2012

2周年



このブログを初めてから、今日で2年になりました。

2年前の今日、いてもたってもいられなくなって始めたこのブログ。
この2年の間に、多くの方々との出会いがありました。

やはり一番思い出深かったのは、2011年12月に開催された志村正彦展です。2000人もの方々が日本中から、世界中から、山梨県富士吉田の地に来て下さって、本当に感慨深い2日間でした。実行委員会の皆様、本当にご苦労様でした。

今日ここまでブログを続けてこられたのも、読者の皆様のおかげだと思っています。
いつもご声援いただき、ありがとうございます。力不足で悩む日々ですが、皆さんに支えられここまで続けてこられました。

心から感謝すると共に、これからもフジファブリックを世界中の皆さんに知ってもらえるように、活動を続けていきたいと思っております。

フジファブリックの魅力は、色褪せないどころかますます輝きを増しています。志村君が亡くなってからファンになった人達の数は、増え続けていくことでしょう。
彼が遺してくれた掛け替えのないものを大切に、これからもがんばりたいと思います。

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

今日の一曲は、「ロマネ」。
思い出の市民会館です。


Monday 27 August 2012

帰国


お久しぶりでございます。
タイへ戻ってまいりました。今日は思いのまま書いていく番外編と致します。

久しぶりのタイは雨季真っ只中。毎日夕方になると、土砂降りの雨が降っております。今朝もどんより曇り空。雨季はまだまだ、12月まで続きます。

山梨では、たっぷり充電できました!やっぱりふるさとに勝るところはありません。
この夏私が実家にいる間、山梨県ではいろいろなことがありました。

(富士山と本栖湖 2012年8月撮影)

まず、富士吉田市出身の米満達弘選手(レスリング)が、ロンドンオリンピックで金メダルを獲得。
山梨県出身者として、初めての個人競技金メダリストとなり、地元富士吉田では凱旋パレードも行われました。闘い方も男らしかった!卑怯なプレーが目に付いた今回のオリンピックで、日本人の美徳を世界に見せてくれた人の一人だと思います。

そして辻村深月さん(山梨県笛吹市出身)が、直木賞を受賞。
笛吹役場には、横断幕が掛かっていましたっけ。

悲しいニュースもありました。

山本美香さん(山梨県都留市出身)が、シリアにて銃撃戦に巻き込まれ亡くなりました。
女性や子供の目から、戦争の愚かさと平和の尊さを伝えて下さっていたジャーナリストとして、各国政府やメディアにも訃報が大きく取り上げられるほど、崇高なお仕事をなさっていた方です。心からご冥福をお祈り致します。

当たり前のことながら人の営みとは関係なく、毎日美しい朝日は昇り、日は暮れていきます。梅雨が明け、照りつける太陽のもと蝉があちこちの木陰で鳴き、夕暮れ時になるとサーッと涼しい風が吹いてくる。
甲府地方、今年は8月10日過ぎには朝晩の風が涼しくなってきました。お盆を過ぎ、吉田の火祭りが終わったら、もう夏も終わりです。


日本に帰る度、いろいろなことを考えるのですが、今日はその中からひとつつぶやきたいと思います。

カラオケの採点マシーンのこと。

日本では、この機械で何点採れるかということが結構重要らしいと初めて知りました・・・。お恥ずかしい・・・。プロの歌手とタレントが競う番組を、初めて見たりもしました。
細かいテクニック(しゃくり、ビブラートなど)まで点に加算され、日本のテクノロジーには驚きです。

特に何も考えず見ていて、ふと気付いたことがありました。それは、高得点を叩き出す人達の歌を聞いていても、不思議なことに特別何も感じないということです。「うまいな」ただそれだけ。
なぜでしょう。

曲、歌手を知らないから?
歌詞を深く読み込む時間がないから?

きっとそれは単純に、心がこもっていないからではないでしょうか。

こういう番組に限っては、上手に歌って高得点を出すことが歌い手さんの唯一の注目事ですし、当たり前のことなのですが、これほどまで違うとは思いませんでした。
聴衆の心を動かす歌手は、歌唱力にプラスアルファがなければだめだということなのだと思います。

その歌い手さんが、その曲を通して何を伝えたいのか。
それには歌い手さんの人柄だけでなく、過去・現在のすべてがその曲の中に溶け出してこそ、本当の意味で「いい歌」になるのではないでしょうか。

フジファブリックの魅力のひとつは、志村君の声だと私は思っています。
他の人には決して真似できない、世界でたった一つの志村君の声。寂しすぎるから考えたくはないけれど、もう録音でした聞けない彼の声。

フジフジ富士Qで、錚々たるミュージシャンたちが歌った後に素直に感じたことは、

「志村君の声が聴きたい」

最後の最後に「若者のすべて」が志村君の声で流れたとき、「結局これを聴きに来てたのかな。」と感じずにはいられませんでした。

志村君が自分自身で書いた歌を歌うわけですから、最強ですよね。
そんなことをふと考えました。

(一宮の桃 2012年7月撮影)

今日の一曲は、「虫の祭り」。
山梨では日が暮れると、もう虫が鳴いています。人間が自分たちの用で忙しくしているのを横目で見ながら、季節はきちんと過ぎてゆきます。
秋は大好きな季節ですが、夏から秋になるこの時期だけは言葉にならない寂しさがあります。その寂しさは、次回「若者のすべて」にて。


Saturday 28 July 2012

富士吉田の街でちょっと一息・・・コミュニティーカフェ さくら in 老人福祉センター



皆様、大変ご無沙汰をしております。
山梨へ戻ってまいりました。
連日猛暑が続いている甲府ですが、朝晩は涼風が吹き、一日中熱い熱帯タイとの違いを実感。
今年は例年に比べて、蝉の数が少ないような気がしている今日この頃です。

諸事情により、しばらくの間ブログを休止する旨をお伝え致しましたが、今日は富士吉田からフジファブリックファンに朗報がありますので、久々に更新することと致しました。

昨年末、志村正彦展が開催されるにあたり、企画が持ち上がった当初の会場が富士吉田市立老人福祉センターであったのは、ファンの皆様の記憶に新しいことと思います。

この老人福祉センターに、今年4月、「コミュニティーカフェ さくら」が、地域の方々をはじめ多くの方々の交流の場として、オープン致しました。
当センターで開催する9つの教室(七宝焼、木工、カラオケ、大正琴などなど)に通う生徒さんや、地元下吉田の方々だけでなく、観光名所を県内外から訪れる観光客の皆様が、ホッと一息つける場所として親しまれています。

(コミュニティーカフェ さくら)

そしてこの度、センターの所長さんはじめ地元の皆様の御厚意により、フジファブリック 志村正彦ファンがカフェを利用することを、快く許して頂きました!

「いつもの丘」忠霊塔からも、志村家の菩提寺からもほど近い所にある老人福祉センター。
疲れた脚を休ませるには、最適の場所です。
珈琲倶楽部オリジナル「ふじやま ぶれんど」のおいしいコーヒーなどを楽しみながら、ホッと一服。

旅の疲れが癒されます。

老人福祉センターへのアクセスはこちらをご覧下さい。
富士吉田市立老人福祉センター

(土日は休館日ですので、8月5日の河口湖湖上祭にあわせていらっしゃる方は、ご注意下さいね。)

そして、志村ファンにとってはもうひとつ、嬉しいニュースが!
カフェ内にある展示コーナーに、志村正彦君にまつわる2~3点が展示されることが決定いたしました!!

どんな物が展示されるのかは・・・乞うご期待!
展示物は定期的に変える予定だそうです。
楽しみですね!

(七宝焼の教室の生徒さんの作品)

このカフェの最大の魅力は、やはり地元の皆さんとの交流ではないかと、私は思います。

富士吉田市内にある志村君思い出の場所を散策していると、道を行き交う地元の方々が、優しく声をかけて下さることがあります。
私も数回そんな経験があり、そのたびに
「この街の、この方達に囲まれて志村君は育ったんだな。だからこそ、あの曲が書けたんだろうなぁ・・・。」
と感激し、五感を駆使して曲の中で感じる富士吉田を再確認している自分に、改めて気づいたりします。

まさに志村君のホームグラウンドの中に位置するこのカフェには、マーちゃん(地元の大人たちが、正彦君を呼んだ愛称。同級生は「マー」と呼びます)を幼少時から知る近所の方々も立ち寄るため、運が良ければいろいろ興味深いお話を聞かせて頂けるかも知れません。

また、こちらのカフェにも志村君へのメッセージノート(ファンの皆さんが、志村君への思いを綴ることができるノート)を置いていただけることとなりました。

昨年の企画展、また志村家の菩提寺においてあるノートと同様、正彦君のご両親が全て大事に保管して下さるそうです。志村君が亡くなった後にファンになり、ファンレターの宛先をどこにしようかと悩んでいらしたら、こちらのノートに思いを綴ってみてはいかがですか。

(カフェから臨む庭)

カフェの窓から見える緑の木々、そのこずえでさえずる小鳥たち、窓から吹き込むちょっとひんやりした心地よい風、地元の皆さんとの歓談。このカフェでは、すべてがごちそうです。


最後にひとつ、ファンの皆様にお願いがあります。

このたびのお誘いは、全て、老人福祉センターの所長さんはじめ、志村君を愛する地元の方々の御厚意によるものです。

「私たちの街から出た偉大なミュージシャンのために。
そしてそのファンのために。
訪れる皆さんが、富士吉田で楽しい思い出を作るお手伝いができたら・・・。」という温かい思いからはじまったことです。

そのお気持ちに報いるべく、志村正彦ファンとして、ぜひ節度ある行動をもって、地元の皆様へのお礼として下さい。
どうぞよろしくお願い致します。

展示物の写真撮影などは、カフェをご利用になるほかの方々への迷惑にもなりますので、どうぞご遠慮下さい。

皆様の宝物になるような、楽しい夏の思い出ができますように・・・。


今日は富士吉田の市制祭です。下吉田の中心街をメインに、とてもにぎやかになっていることでしょう。
「水飴と綿飴」の歌詞を、ふと思い出しました。


私も山梨でたっぷり充電して、たくさんの情報を集め、また歌詞の英訳も記事を書くのも、がんばります!

今日の一曲は、「陽炎」です。

やっぱり富士吉田の夏は、これで決まり!!


Friday 29 June 2012

記事の更新ができなくなります

諸事情により、明朝から8月下旬までの2ヶ月間、インターネットができない環境に行くこととなりました。 そのため記事の更新ができなくなりますので、ここにお知らせ致します。 だからといって、フジファブリックから縁遠くなるような私ではありません。 逆にこの機会を利用して、昔ながらの鉛筆と紙、分厚い辞書を使って、歌詞の英訳に励みたいと思います。情報過多の環境にいるよりも、神経と魂が研ぎ澄まされて、もしかしたらもっと良い英訳が出来るかも!? 夏の間、山梨の実家で自然に帰りパワーアップして、戻って参りますので、どうぞこれからもよろしくお願い致します。

Friday 8 June 2012

お月様のっぺらぼう


ここのところ、フジファブリックの歌詞の英訳に集中しております。
毎回のことですが、志村君の書く歌詞は奥が深い!・・・深すぎる。「凡人の私には、とてもできないな。こんな大役をなぜ自ら・・・。」と、思う時もありますが、できるだけ志村君の使う言葉を崩さないように訳すのみであります。
能力の有無は別として、フジファブリックワールドを心から愛していることだけは確かなので、情熱一筋かんばろうと思います。

昨日は「花屋の娘」、そして今朝は「お月様のっぺらぼう」を訳していました。スーパームーンのこの時期に、ぴったりですね。



今日は、「お月様のっぺらぼう」です。初期の頃のフジファブリックらしい、いい曲です。

ミニアルバム「アラモード」(2003年6月21日リリース 詳しくはこちらを フジファブリック 「アラモード」)に収録されています。このアルバムがリリースされてから、もう9年も経つのですね。「アラモード」には、この他にも「花屋の娘」「追ってけ追ってけ」「消えるな太陽」「環状七号線」「笑ってサヨナラ」など、初期のフジファブリックを代表する曲が入っています。

夜遅く、一人ウトウトしながら夢うつつの世界を表現した幻想的な歌詞です。

では外国のファン向けに、まずは「のっぺらぼう」の説明から。
一般的に外見は普通の人間、でも振り返ってみると顔には目も鼻も口もないという日本の妖怪のことです。元々は妖怪の名前でしたが、凹凸がなく、すべすべした物体の形容にも用いられるようになりました。


西洋ですと、Nursery Rhyme (Mother Goose) の絵本などでお月様に顔が描かれ、擬人化されることも多いですね。志村君が知ってか知らずか、そこをあえて「のっぺらぼう」ということで、暗い夜空に白くのっぺりと?輝く印象を強くする効果があるのかな、と個人的には思いました。

「あー ルナルナ お月様のっぺらぼう」

この「ルナルナ」という言葉。
英語にも「Luna」「lunar」という月に関連する言葉がありますが(Lunaはローマ神話に出てくる月の女神)、元を辿れば月を表すラテン語の「luna」からきています。

中世以前のヨーロッパでは、月は不吉なものとして捉えられることが多かったようで、「満月の夜には殺人鬼が出る」「狼男に変身する」などの伝説が生まれました。この背景の中で、「lunatic」(狂気の、精神異常の、常軌を逸した)という英単語が生まれたのも理解できます。

この歌詞の場合には、語呂合わせ、言葉遊び的に使われているのだと思いますが、歌詞の与える不思議な感覚はそういうところに帰するのでしょうか。



「嵐がやって来そうな空模様」
前の「飴」と「雨」が韻をふんでいるだけかと思いきや・・・、

「あの空を見た 遠くの空には 虹がさした」
ご存知のように、虹は日の光がないと現れない自然現象です。夜の闇に光る月と、雨上がりに光る虹とが、昼と夜の美しいコントラストを描いています。

夢の中での出来事のように、あるいは宮沢賢治のいう心象スケッチのように(心の中に描き出される姿・形、心に浮かぶ像をまるでスケッチするように書き綴ること)、言葉が綴られていきます。
志村君だけが持ち得る天性の才能を感じる一曲だと思います。

英訳という作業を通して、志村君の書いた歌詞と真正面から向き合い、考え、感じることの幸せを、今朝改めて感謝しました。
フジファブリックとの出会いをありがとう。
こんな素晴らしい機会を頂いて、ありがとう。
そしてこんな素晴らしい曲たちを、私達に遺してくれてありがとう。
ただただ、感謝です。

今日の一曲は、「お月様のっぺらぼう」。
歌詞を見ながら、お聴き下さい。
志村君の「一人旅」、ぜひご一緒にお出かけ下さい。