Sunday, 17 October 2010

富士山と富士吉田の稲作 

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寒冷な気候とミネラルの少ない土壌、また溶岩が固まった石がそこらじゅうから出てくる富士吉田の地は、今まで稲作に向かないと言われてきました。
そんなイメージが強かったので、近年の富士吉田の変わりようには山梨県人の私でも驚きました。

いまや鐘山苑(富士吉田の有名旅館。地元の人はここで結婚式や七五三の披露宴をします)の周りが田んぼでいっぱいになっているではないですか!(あそこは昔から田んぼだったのかな・・・。私の思い違いでしょうか。)

山梨で有名なお米といえば、北杜市武川村でとれる武川米でしたが、最近では富士吉田の「ミルキーウェイ」というお米が2002年にお米の品評会で金賞を受賞。これは、富士吉田の米農家の方々の並々ならぬ努力の賜物です。

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お米を主食とする民族の住む最北の地は日本です。
確かに、中国、韓国、インド、東南アジア諸国もお米を食べますが、日本ほどの寒冷地で栽培をしている国はありません。
タイの稲作風景を見ると、「お米はあんなにいい加減にしていても、できるのか?」と思うと同時に、日本の米農家のご苦労に頭が下がります。
まずタイでは、田んぼにお米をぱらぱらと直播します。小さな稲にしてから植えるやり方もあるそうですが、私の知っているタイ人の水田では全て直播です。
そして、品評会に出したり農協に売る目的でなければ、消毒などしなくても全く問題ないのだそうです。
そして二毛作は当たり前。家の近所にある田んぼにいたっては、稲が無い時をあまり見たことがありません(笑)。
ついこの間まで水牛も現役で働いていましたから、日本の稲作より呑気な雰囲気です。

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日本では元々米の栽培にそれ程適した土地柄ではなかったため、知恵を絞り、品種改良を重ね、あのおいしいお米を作っているのです。天然資源が少なく、天災の多い日本に住む、日本民族の誇るべき知恵です。

富士吉田で栽培されているミルキーウェイは高冷地での栽培に適している品種ですが、富士山が噴火した時に降った火山灰と溶岩石の影響で、富士吉田の土には栄養分とミネラルが不足しています。有機農法と土壌改良の結果、おいしい富士吉田米が収穫できるようになったのです。
その反面、富士山からの雪解け水がないと育たない稲。
ここ35年の大変革が、富士山と富士吉田の関係を表している気がします。

今では物品の流通がよくなりましたが、昔は主食である米や野菜の栽培が困難だということは、大変な問題です。富士山はこのような所でも、富士吉田の人に大きな影響を及ぼしてきました。

「宝永の大噴火(1707年)」を最後に噴火はしていませんが、富士山の噴火がどれほど恐ろしいものか見に沁みて感じていた富士山麓の人々は、「今度また噴火したらどうなるのだろう。」という恐れがいつもありました。それが、富士吉田の地では日本三奇祭の一つ、「吉田の火祭り」に繋がりました。

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吉田の火祭りは毎年8月26、27日に行われる夏の終わりの風物詩です。
御影(お山さん)と呼ばれる御輿を地面に三回落とし、今年も富士山の噴火が無い平穏な一年であるようにと願います。御輿が街中を練り歩いた後、沿道に立てられた松明に火が点され、街は幻想的な雰囲気に包まれます。

この鎮火大祭は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が身の潔白を証明するため、猛火の中で皇子三人を出産したという神話に由来するといわれています。火で火を制するわけです。

富士山の山じまいを告げるお祭りでもあるこの火祭りが終わると、富士吉田の短い夏も終わりを告げるのです。

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フジファブリックの楽曲の大半を作った志村正彦くんの故郷、富士吉田市。
あの素晴らしい音楽は、天才音楽家がこの地に生まれ、富士の自然と富士吉田の風土に育まれたからこそ生まれたもの、といっても過言ではありません。
富士山がいかに富士吉田の人々の心の大きい部分を占めているのか。
フジファブリックと富士山との深い繋がりが(「赤富士通信」や「Sugar!!」のジャケット、また志村会で壇上に何故富士山があったのか)、少し分かったような気がします。

富士山の南斜面から永久凍土が消滅したことにより、富士山の生態系が変わっていくというニュース。木花咲耶姫さまは、どのように見ていらっしゃるのでしょうか。

今日の一曲も、「浮雲」です。
志村君が富士山を眺めながら、一人で音楽の道を志すことを誓った名曲です。


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