Monday, 4 October 2010

茜色の夕日 Part2



今日は、いよいよ曲の本筋に触れたいと思います。

文化的背景を分析し説明することで、日本語の分からない外国に居る方々にフジファブリックの世界をより深く味わってもらいたい、というのがこのブログの大きな目的の一つであります。

そのため、今日は日本のファンにはご存知の方も多いとは思いますが、「茜色の夕日」ができるまでのいきさつを考えてみたいと思います。

この曲は2002年にインディーズでリリースされた1st ミニアルバム「アラカルト」、2004年リリースのプレデビューアルバム「アラモルト」、2005年9月にリリースされた「FAB FOX」とCD音源としては3バージョンあります。
それだけフジファブリックとして思い入れが深い曲であり、また彼らの音楽的変遷が感じられる曲のひとつです。

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FAB BOOKの中で、志村正彦くんは「地方から上京してきて、春、夏が過ぎ、大したこともなく秋を迎えた。そんな時、自分は素晴らしい音楽に出会って救われた。だから特にロックファンだけではなく、同じような境遇にいる普通の大学生、普通の人たちに聴いてもらえたらいいな。」という趣旨のことを言っています。

そして2008年5月31日に山梨県富士吉田市富士五湖文化センターで行われた凱旋ライブで、志村君が歌ったあの「茜色の夕日」ほど美しいものはありませんでした。

前回のポストで説明しました「夕日を眺めた時の日本人の心情」も、合わせてご参考ください。


東京で夕日を見ながら、いろいろふるさとのことを思い出している。
沢山の思い出が、淡々と少しずつ思い出されてくる。

それは、日曜日の朝、一人道を歩いたことだったり、初恋の「君」のことだったり、どうしようもない悲しみであったり、子供の頃の短い夏が終わる時の寂しさであったり。
郷愁の念にかられます。


志村君は、山梨県下でも指折りの名門校に通っていました。
その中でも成績優秀者だった彼が、どのような覚悟をもって「ミュージシャン」を自分の職業として将来やっていこうと思ったのか。

ミュージシャンも含めて芸術家というのは、人に感動を与える素晴らしい職業でありますが、やはり「不安定な」仕事であるというのも事実です。
いくら自分がいいと思うことをしていても、いつ芽がでるかわからないし、芽がでるとしてもそれがいつになるかは全く分からない。

一生世間が認めてくれないこともありますし、人気が出なければ安定した収入は望めないわけです。
山梨ではいまだに「長男格」という思いも強く、志村家の長男がそれを全部分かっていて、なぜ「ミュージシャン」を選択したのか。

このままいけば有名な大学に入ることはほぼ確実であるのに、なぜそれを選択しなかったのか。

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その理由として志村君は、「いつでもつまらなそうな周りの大人をみて、自分はそういう大人になりたくなかった。」と言っています。
また、「大した努力をしないで、適当に生きているのは嫌だ。」とも、言っています。
このまま高校を卒業して、まあまあいい大学に入って卒業し、まあまあいい会社に入って定年まで・・・。
それに甘んじる自分がもうすでに見えているから、そちらの道を選択すればそうなるに決まっている。
だから、自分が打ち込める大好きな音楽の道を選んだと言っていました。
苦労の多い険しい道をあえて選択したのです。
「生きる」ことに、とても真面目な方だったに違いありません。


日本の社会は白人社会のように、個人の合理主義的な「自己責任」のみで成り立っているわけではなありません。上手くいかなかったからといってすぐに諦めて地元に帰ってくる、そう間単にはいかないのです。

都会に比べて地方にはまだ、日本古来の「恥の文化」がいくらか残っていると思います。
江戸時代の薩摩藩(鹿児島県)などが有名ですが、日本では自分で何かをしでかし、それが世間では受け入れられないとみなされた場合、その罪は本人だけが背負い刑罰に処されれば終わり、ではなく家そのものの「恥」となるわけです。
そのため、罪を犯した本人が切腹をしてお上と世間にお許しを乞うことにより、家は免罪されるのです。

世界の先進国の中でも類を見ないほどの日本の治安の良さは、日本古来の恥に対する美意識と伝来した儒教が上手く相互作用して可能になっているとドナルドキーン博士は言っています。
物事が物理的には許されても、精神的には許されない。
そんなところがまだ山梨にはあるのではないでしょうか。

ご両親思いだった志村君、彼の純粋さと優しさゆえになかなか他人には言えない苦しみが数多くあったと思います。

その覚悟で上京したものの、予期していた以上に道は険しく、なかなか思うように進まない。
そんな時に、大好きだった山梨を思い出して作った曲がこの「茜色の夕日」です。



明日は「富士五湖文化センターとフジフジ富士Q 茜色の夕日」へと続きます。

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