Friday, 21 January 2011

Bye Bye -Puffyとフジファブリック

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オーストラリアのファンからの、「フジファブリックと他のジャパニーズ・ミュージシャンとの関係について、紹介してください!」というご要望にお答えしまして、これから折を見て少しずつお伝えしていきたいと思います。
初回の今日は、Puffyとフジファブリックについてです。

ご存知のように、Puffyはフジファブリックと同じ事務所の先輩です。
大貫亜美と吉村由美の二人が出会い、95年にユニットを結成。これまた同じ事務所の奥田民生プロデュースの下、96年5月にデビュー。
奥田民夫と井上陽水の作った「アジアの純真」は、当時人気のあった小室ファミリーの機械的な音楽があふれる中、とても新鮮だったのを覚えています。
まさかその何年か後に、タイの子供向きテレビ番組で「Puffy Ami Yumi」の名前で、再び二人を見るとは思いもよりませんでしたが!
デビュー当時は、プロデューサーの奥田民夫自身が「今が旬という存在」などと言っていましたが、デビューしてから今年で15年になる立派なミュージシャンになりました。

志村君が心から尊敬し慕っていた奥田民夫さんプロデュースとあって、きっと富士吉田にいる高校時代からPuffyは知っていたのだと思います。

その後、フジファブリックが同じ事務所でメジャーデビューを果たした後、2009年6月17日にリリースされたPuffy11枚目のアルバム「Bring it!」に「Bye Bye」と「Doki Doki」の2曲を志村正彦として楽曲提供しました。
フジファブリックではなく、志村君個人がプロデューサーとして活動した始めての作品でした。

志村君は「Bye Bye」をとても気に入っていて、フジファブリックの5thアルバム「MUSIC」の中に、志村君が歌ったアレンジの違うフジファブリック・ヴァージョンとしても収録されています。(ぜひ志村君が歌った「Doki Doki」も、ファンとしては聴いて見たいです。「親にも内緒よ!」のフレーズを唄う志村君、聴いてみたいなぁ・・・。)

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昨年の7月に開催されたフジフジ富士Qで、Puffyの二人が「Bye Bye」と「Doki Doki」の2曲を唄ってくれたのは記憶に新しいですが、そこでもPuffyらしいトークを繰り広げていました。
「この歌詞は実話です。」とか「この曲はまずPuffyにあげるために書いたって、みんなの前でちゃんと言ってよ。私達よくそういうの(楽曲提供してくれた人たちが、その曲をセルフプロデュースすること)あって、困るんだよね~。」とか言って、男ばかりの出演者の中Puffyがステージに出てくると急に華やかになったようでした。

「Bye Bye」は、子供にも大人気です。特に幼稚園から小学校の子は、一度この曲を聴くととりこになるらしく、「このCDちょうだい!」と言われたこともあります。「Cheese Burger」と同様、なにか心に響くのでしょう。
うまく言葉ではいえないのですが、フジファブリックの音楽は「魂のレベルで心に響く」と常々思っていて、子供の純粋な心にも日本語の分からない外国人にも伝わる何かがあるという証拠だと思います。

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「Bye Bye」の歌詞については、説明は不要ですね。
外国人に伝わりにくい箇所もないぐらい、万国共通の典型的な恋愛スタイルだと思います。
「電車に乗っ」って「君を見つけた」というところが、東京っぽいなぁと思ったのは私だけでしょうか。あまり山梨っぽくない感じです。

「遠くに行っても そう どうか元気で」「心の中で祈る 幸せでいて」

別れてしまった相手にたむける「自分たちはうまくいかなかったけど、新しい相手とどうか幸せになってね。」という感情。恋愛がうまくいかなかったからといって、相手を恨むわけでもなくそれはそれでしょうがないとあきらめようとしている。お互い恋人同士だった時間を尊重し、彼女の幸せを願う崇高な精神は、民族関係なく人間として賞賛送られるべきものであると同時に、卑怯な行いを恥と思う日本人(それも今はずいぶん変わってきてしまいましたが)の精神を表している気がします。
でもそうは思っていても、どうしても寂しくなってしまう自分もいる。
そんな心の葛藤は、多くの人の共感を得たのではないでしょうか。
個人差はあるにしろ、離婚にも再婚に前向きな国民とは、この思いの深さのベクトルがやはり違うのではないかと思いました。
では、志村君のお気に入りの曲、Bye Bye お聴きください。

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