Monday, 1 November 2010

花 

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フジファブリックの「花」は、ギターとハーモニカだけで奏でる素朴な音と志村君の声、そして純朴な歌詞が、静かに胸を打つ曲です。この曲を聞くと、私は山梨の秋を懐かしく思い出します。

この曲の中で、「花」は比喩表現として重要な役割をしています。
「全てのものは華の時代がある。それは永遠ではなく、人の心に関係なく、時はどんどん過ぎていってしまう。」
昔から「平家物語」などでも詠われている日本人特有の心情、「諸行無常」です。
フジファブリックの真髄ともいうべきものだと思います。



日本には「花鳥風月」という言葉があるように、「花」は自然の中でも特に季節を表し彩る大切なものと考えられてきました。
理由の一つとしては、はっきりとした四季の中、日本では一年を通じて多種多様な花がみられるということではないでしょうか。
タイのような南国ですと、一年中咲いている花も多くありますが、日本では「この花はこの季節だけ。」という具合に、かなり季節が限定されます。

俳句の世界でも、花の名は季節をあらわす季語としてよく使われます。

また、美しい着物の世界でも花は重要な役目をしています。
日本人は、四季折々の花や鳥、風景などを着物や帯の柄にして楽しみますが、その中でも花柄は季節を表す装いとして第一にあげられます。
花柄を着るのには決まりがあって、必ず花の咲く季節よりも先取りで楽しみ、着るのは花の盛りまでとします。梅柄を3月に着るのは季節遅れで、12月では早すぎます。

雪輪椿 クリーム地

秋の花を見てみましょう。
九月でしたら秋の七草にちなむ花、小菊、露草、水引草、10月は大輪の菊、小菊、野菊、もみじ、銀杏、落葉、11月は椿、散り紅葉、銀杏、寒菊、山茶花、竹、松葉などです。

美しい四季を身近に感じてきた、日本人の美的センスが光ります。

フジファブリックの志村君が詠った「花」はどの花だったのでしょうか。
上には秋の花ばかりを羅列してみましたが、だいたいなぜ「秋」と感じたのか。
詳しく歌詞を見ていってみましょう。

季節感を表すものとして考えられるのは、まず「花のように儚くて色褪せてゆく」という箇所。

春や夏の花と違い、秋の花は散る時に色が褪せるだけでなく、少し茶色がかってかさついてきます。
半分ドライフラワーになったという感じです。
この「儚く色褪せた」花に、先程説明しました「諸行無常」の気持ちをかけているのではないでしょうか。
「つぼみ開こうか迷う花」のけなげさが、一層際立ちます。


暖かい季節に咲く花とは違い、秋の花は季節的にも植物としても「盛りを過ぎた」という思いで眺めます。
この花が散ってしまうと、色鮮やかな花はしばらく見られないという寂しさもあります。

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また「月と入れ替わり 沈みゆく夕日に」という箇所。
こちらの記事でも書いたように、夕日が一番きれいに見える季節は秋です。
秋の夕日はつるべ落としというように、秋は夕日がさっと月と入れ替わる気がしますよね。
また、あちこちから聞こえる犬の遠吠えが、秋の夕暮れを一層寂しげにします。

というわけで、志村君ご本人が本当のところ、この曲を「秋」の設定で書いたのかどうかちょっと分からないのですが、そのように私は聴いておりました。
「秋」という季節のない外国に住むファンの方々、ご参考までにどうぞ。

花のように静かに咲いているこの名曲、私の大好きな曲の一つです。
山梨の香りに溢れています。
フジファブリック「花」、お聴きください。

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