Wednesday, 10 November 2010

日本人と月 

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昨日から「月」について考えています。

太古の人たちにとって、太陽の軌道が季節によって変わることよりも、月の満ち欠けを観察する方が時のうつろいを感じやすかったということもあってか、長い間「陰暦」が暦として使われてきました。
今でも中国人は陰暦によって、年中行事を決めています。

日本語には、実に多くの月の呼び名があるのをご存知ですか。
「望月(もちづき)」「天満月(あまみつつき)」「最中の月(もなかのつき)」「月の鏡(つきのかがみ)」は、全て満月の呼び名です。
また、半月を「弦月」「弓張り月」「片割れ月」、三日月を「眉月」「月の剣」「初月」「黄昏月」、新月を「朔」とも呼びます。

十六夜(いざよい)は、十五夜より遅れて出てくるので「躊躇(いざよ)ふ」の名がつき、十七夜は出てくるまで立ち尽くして待つ月なので、「立ち待ち月」、十八夜は立って待っても疲れるから座って待とうの意味で「居待(いまち)の月」、十九夜になると、いっそ寝て待とうの意味で「寝待(ねまち)の月」と呼びます。

月は、日本の文学にも大きな影響を与えました。

戦前日本を代表する歌人、与謝野晶子は春の夜のほのかに霞んだ光の淡い月を、「桜月夜」の一言で表しました。日本的な表現ですね。
「朔」は北の方角のことで「新月」の意味もありますが、大正・昭和の歌人、萩原朔太郎の代表作ともいえる詩集のタイトルは、「月に吠える」でした。

山紫水明の国、日本は、豊かな自然に育まれてきました。
春は土の温もり。
夏は緑と水の恵み。
秋は稔りと収穫。
冬は雪の中で静かに休み、春を待つ。
そして月は、季節の折々に日本人に愛でられ、詠われてきたのです。

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フジファブリックの曲になぜこれほど多くの「月」が登場するか、文化的背景を理解していただけましたでしょうか。
フジファブリックのほとんどの楽曲を手がけた志村正彦くん、沢山の詩や小説を読んでいましたから、その影響は大きいかもしれません。

例えば、「環状七号線」にでてくる「おぼろ月夜」。対向車抜き去って、環状七号線を何故だか飛ばしているのは春の夜だということが、一目瞭然ですね。
志村君が「おぼろ月夜」を、春の季語として歌詞の中で考えていたかどうかは分かりませんが、朧月夜は春によくみられる自然現象であることは確かです。

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「浮雲」の中の「満ちる欠ける月」。
いつもの丘に登ってみる月は、満ちたり欠けたりしている。時の移ろいを表すと共に、満ちている時も欠けている時も頻繁にこの丘に登っている雰囲気が伝わってきますよね。
この「僕は浮き雲の様」という箇所、二つのとらえ方が出来ると思います。
「丘の上から月を眺めていると、自分が夜空に浮かぶ雲になったような気分だ」というのが一つ。「浮雲」は、将来どうなるか全く分からないことの例えにも使われる言葉ですので(「浮雲の生活」のように使います)、「音楽の道を選び、独りで行くと決めたのだけれど、本当のところ将来どうなるか全然わからないな。」というもう一つの意味が込められています。
外国の方には分かりづらいかと思いましたので、野暮ですが付け加えておきます。

「マリアとアマゾネス」の「穏やかな月見の夜」。
ここでは眠れる夜を表すために、この「穏やかな月見の夜」が使われていますが、涼風が吹く中、虫の声が草むらから聞こえ、綺麗な月が出ている穏やかな秋の夜が想像できます。志村君の「眠れる夜」の基準は、美しい自然が溢れるこんな夜だったのでしょう。

志村君の生まれ故郷、山梨県富士吉田市がある富士北麓地域、澄みきった空気の中、志村君もよくきれいな月を見ていたのかもしれません。フジフジ富士Qの夜も、きれいな三日月が見えましたよね。夏の夜にあれだけきれいな月がみえるのですから、秋や冬には鏡のように美しい月が見えるのでしょう。

まだまだ、沢山の曲に「月」が登場しますが、今日はこのくらいにしておきます。

フジファブリック マリアとアマゾネス お聴きください。

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