This website is dedicated to the rock band group Fujifabric. I hope that through this site, as many people as possible will be able to discover their music and songs. This site offers an English translation of all their lyrics. In the posts on the blog, brief insights, which give some back ground and explanation to the many reference made in the lyrics to Japanese traditions, culture and life. Looking forward to feedback and comments! Enjoy!
Saturday 27 November 2010
新倉柿
春には満開の桜で染まる「浅間公園」内にある新倉富士浅間神社。
その脇にあるながいなが~~い階段を上がると見えてくる、フジファブリックファンにはお馴染みの「忠霊塔」は、日露戦争以降の戦争で亡くなった人の慰霊塔です。
山梨県富士吉田市の新倉という場所にあります。
この新倉地区、「新倉柿」とよばれる小粒の渋柿が特産品でした。
(富士吉田は寒冷地のため、甘柿の木が生息できないといわれています。)
干し柿にすると強い甘みが出るため、高い人気を誇った新倉柿。
家々の軒先に干し柿が並ぶ風景は、新倉地区の秋の風物詩だったのですが、最近は高齢化などの影響でめっきり生産されなくなってしまいました。
木に登って柿を取る人も、取った柿を干し柿に出来る人もほとんどいなくなってしまったためです。
柿を収穫しないでおくと木の上で天然の干し柿になり、それを食べに動物たち(猿、熊など)が山から下りてきて町に出没し危険なため、最近では柿の木がどんどん切り倒されているのが現状です。
干し柿は枯露柿とも呼ばれ、言い伝えによれば武田信玄が甲斐の国の領主になる1500年ごろ美濃国(現在の岐阜県南部)の良種柿を移植させ、枯露柿作りを推奨したのが山梨県における枯露柿作りの始まりといわれています。江戸時代になると、ふどうや桃と同じく甲州八珍菓として徳川幕府に献上されました。
地域の特産品を後世に残そうと、新倉柿保存会が中心となり、了解を得たお宅の柿を収穫し干し柿にしています。都留文科大学の学生有志も協力し、富士吉田市内にある障害福祉サービス事業所などで販売されています。
高浜虚子が新倉来訪の際、歌った句を一句ご紹介いたします。
柿を喰いながら来る人柿の村 高浜虚子
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2 comments:
先日富士吉田に行ったときに、バスの中から、干し柿があるな、と思って見ていました。私の田舎では、今年は柿のなるのが少なく干し柿にするほど出来ませんでした。なので、干し柿ができていいなぁと思って見ていたのです。そういえば、私の田舎でもこの近年、干し柿をしているところが少なくなったように思います。やはり熊出没のためなのでしょうね。
私は干し柿が大、大、大好きなのですよ。
ice blue norm さん、いつもコメントありがとうございます。志村君の足跡を辿る富士吉田の旅、充実したお時間がすごせてよろしかったですね。
ぜひ次回はご一緒させてください。
干し柿はおいしいですよね。
私も大好きです。
動物たちも環境破壊によって食べ物が少なくなり、おいしい干し柿を狙うのでしょう。
日本各地で里山を取り戻す活動が盛んになってきていますが、自然の豊富な山梨県、ぜひ陣頭とってするべきだと思いました。
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