Saturday, 25 December 2010

移動日

多くのことを考えさせられた里帰りでした。

山梨の自然に触れ、人と交わり、最高の休暇でした。
これからタイに戻りますが遠くに離れていても、このブログを通していつもふるさととつながっている気がして、とても嬉しいです。

「フジファブリックを世界の人に知ってもらいたい。」という思いで始めたこのブログですが、私がしていることなど本当に少しのことなのに、多くの方に励ましのお言葉を頂き正直にとても嬉しかったです。私の方こそ、多くのものをこのブログにしてもらっていますのに、もったいないお言葉です。

日本の皆様、ありがとうございました。
そして志村君のご命日前後は、通常の4倍もの方々がこのブログを見に来てくださり、ありがとうございました。
これからも地道な活動ですが、私のできることを形にしていけたらなと思っております。

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今日世界のどこかの街角で、初めてフジファブリックの音楽と出会う人がたった一人でもいてくれて、フジファブリックの音楽の魅力を知っていただけたら、フジファブリックファンとしてこれより嬉しいことはありません。
富士山の画像からリンクして、このブログにきて下さる外国人が毎日何人もいらっしゃいます。
その人たちに「富士山の麓にすばらしい日本の音楽家がいるんだ。」ということを、知っていただく機会になったらいいなと、思います。

そんな思いを強くした今回の帰国でした。

Friday, 24 December 2010

クリスマスイブに



昨年の12月24日、フジファブリック結成当初からのオリジナルメンバーであり、メインボーカル兼リズムギタリスト、バンドのフロントマンとして活躍中だった志村正彦くんが、29歳という若さで突然神様の国へ旅立っていきました。
訃報を聞いた時、なぜよりによって世の中の皆が心踊るクリスマスイブに、神様は志村君を連れていってしまったのだろうと、やるせない気持ちでいっぱいでした。

先日、一足早いクリスマスキャロルに出席し、皆さんのお話を聞いているうちにいろいろなことを考えました。

キリスト教が教義としていることを、一言でまとめるとしたら(かなり強引ですが)「愛」です。
「愛」に尽きます。

イエス・キリストは愛だけを語り、愛だけに生きたにも関わらず、短い30年の生涯の中で出会ったほとんどの人間、民衆も敵対者も自分の弟子たちでさえも、彼をまったく理解できませんでした。それは愛よりも現実的な見返りを、ほとんどの人が求めた結果でした。
大衆はローマに蹂躙されたユダヤの地を再び「神の国」にするため、イエスを目に見える形をとった救世主(メシア)として祭り上げようと、勝手な期待と興奮に沸きかえりました。弟子たちは自分たちの思い描く「リーダーシップ溢れる頼もしい師」ではないイエスを、信じることができませんでした。

歴史上の大きな戦争などを見ても明らかですが、人間というのは「正義」という名の下に集結すると、罪悪心を忘れ催眠術にかかったように、残酷なことを平気でするようになりますが、この時代(今から2000年余前)の人間も同様でした。
彼の愛の行為が政治とは無縁のものであることを知った民衆は、絶望し彼に対して憎しみを抱くようになります。そして、西暦30年の春、弟子の一人であったユダに裏切られ、十字架に両手両足を釘付けにされ、数時間の間苦しみ抜いた後、静かに息を引き取りました。かつてあれだけの数の民衆に崇められていたイエス・キリストの死を見守ったのは、彼の母親であるマリアとそのほか数名の女性たちだけでした。

彼が半生を共にした弟子たちは、彼と共に罪人となり処刑されることを恐れ、一人残らず彼を裏切り、見棄てました。イエスは弟子たちの行為に深い悲しみを抱きましたが、それでも十字架の上で「弟子たちの弱さを許してあげてください。」(同質の弱さを、私達みんなが持っている、とキリスト教ではいわれます)と、神にひたすら祈り、死んでいきました。

この臨終の様子を伝え聞いた弟子たちは、初めて己の弱さと事の重大さに気づきました。
その後、イエスが自分の命と引き換えに教えてくれた「愛」について、伝道していこうと集ったのが原始キリスト教のはじまりと言われています。

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聖書の中で、イエスは「互いに愛し合い、友のためには喜んで命を捨てなさい。」(新約聖書 ヨハネ福音書15章から)と言っています。見返りを求めず、ただひたすらその人を愛する。そしてその先にある究極の愛は、自己のためではなく人のためにある愛である、ということです。
(仏教日蓮宗の教義に、かなり近い気がしますが、すべての正しい宗教は違うルートを通り同じ頂上を目指しているはずですから、当然のことといえます。)

以上、宗教学的な見地からの「キリスト教と愛」の概要です。
私自身がキリスト教徒ではないので、冷静な立場からの分析となっていますが、ご了承ください。

愛を説いたイエス・キリストのお誕生の前夜に、なぜ志村君は神様の元へいってしまったのでしょう。
イエス様と同じ30年の生涯(数えでいうと、志村君は30歳)でした。
「歌詞の中に愛してる、という安易な言葉を使いたくない。僕自身、愛がなんだかまだわからないから。」と言っていた志村君。
生涯かけて愛を伝道したイエス様。



志村君自身はきっと自分の大好きな仕事を、ただひたすら一生懸命しているだけと思っていたかもしれませんが、結果的に私たちファンは多くのものを彼から頂きました。彼の作る素晴らしい音楽に感動し、励まされ、今でも昔と変わらず一人ひとりの心に寄り添ってくれています。

ファンのことをいつでも大切に思い、心から感謝してくれていた志村君。
仕事熱心で頑固で、人一倍寂しがりやで甘えん坊だった志村君。
志村君のご命日には、イエス様が伝えようとした「愛」を同時に思い出し、ファン一人ひとりがそれぞれの「愛」を持って志村君を想う日となりました。
世界中のキリスト教徒が「愛」について考える今宵、私達もまた毎年変わらず志村君を思い出し、感謝する日となりました。

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どうか彼を想う多くの人からの無償の愛に包まれて、穏やかに笑ってくれていますように・・・。ありがとう。

Thursday, 23 December 2010

心象スケッチ 

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まだ、山梨にいます。

今朝はそれほど冷え込みませんでしたが朝からものすごい風で、富士山の東斜面の雪が西からの強風にあおられ、雪煙になっているのが甲府盆地からも見えます。

深夜3時過ぎに、フジテレビのユースケ・サンタマリアさん司会の音楽番組に、「若者のすべて」が、とりあげられていました。
フジファブリックのホームページにも告知されていなかったので、見逃した方も多かったことと思いますが、Perfumeの3人が「今年めっちゃ聴いた曲」に「若者のすべて」を選び、「あの曲を聴かないとなれない感情があって、一年間楽屋でもあの曲ばかり聴いていた。」と説明していました。

「若者のすべて」だけでなく、フジファブリックの曲を聴くとなんともいえない気持ちになるファンの方は大勢いると思います。嬉しい、楽しい、悲しいなど単純な言葉では言い表せない感情で、志村君が創るどうしたらそんなメロディーが考えつくのかと不思議になる独特の音楽と、決して派手で大げさではないけれど心の芯の部分を打つ歌詞に、なんともいえない気持ちになるのです。
そしていつまでも心に残り、いつでも聴きたくなってしまう曲に変わっていきます。

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地元に帰ってきて、山梨の街や自然の中を歩きながら志村君の歌詞のすごさに改めて気づいたことがあります。
志村君の書く曲、特に自分の心情を自然の情景を通して書く曲の数々は、富士吉田の自然をそのまま写生して書いているのではなく、まったく富士吉田と違う環境(多くの曲は東京で書かれたのかもしれませんが)にいながら、「思い出」の中から厳選して書く心象スケッチだったのではないかということです。

先日、朝のうちに富士吉田に行く用事があったのですが、忠霊塔のある丘の中腹に白い雲がたなびいていました。少し高いところにある丘(山?)なので、朝は雲がかかることも多いと地元の方がいっていました。
まさに「浮雲」のようで感慨深く眺めていましたが、「桜の季節」に出てくる桜も、「陽炎」の街角にいる少年も、「赤黄色の金木犀」の金木犀の香りに急かされる僕も、「銀河」の澄み切った空気も、ただ自然の素晴らしさを心情に絡めて表現するのではなく、志村君の思い出の中にある出来事や思い、コト・モノを音楽という皆に伝わる形に具体化するため心の中で凝縮し、生まれ出てきたものだったのではないでしょうか。
あの朝、理屈ではなく、そのように感じました。
だからこそ、人の心を打つ曲ができたのではないかと思うのです。

その中には富士山の麓の大自然や街角の風景だけでなく、ご家族、友人など志村君に関わった多くの方々の姿もあります。それを思う時、フジファブリックの曲の数々が一層深みを増してくると思うのです。


とうとう明日で、あの日から一年がたとうとしています。

明日は日本中、世界中の多くのファンがそれぞれ思い思いの形で志村正彦くんを追悼することと思いますが、富士吉田を訪れ志村君の足跡をたどる旅を計画なさっている方もいらっしゃるでしょう。

志村君の見た風景の中を散策しながら、彼という人間とフジファブリックの音楽の基盤を作り育てた富士吉田の街、人、自然をぜひ生身で感じてみてください。「銀河」で志村君が伝えてくれた「冬の夜の澄み切った空気」を、吸い込んでみてください。
今までにもまして、フジファブリックの曲が心に響き、志村正彦という天才がなぜこの街に生まれたか分かるような気がします。

「銀河」 耳が凍りそうな冬の夜にふさわしい、フジファブリックの名曲です。

Sunday, 19 December 2010

山梨と志村君

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今日も朝から空気が澄み、甲府盆地から周りの山々が美しく見えました。
山梨にいるとどこからでも富士山が見えると思いがちですが、笛吹市石和町や御坂町などは富士山を調度遮る角度に山があるため、ほどんどみることができません。
逆に距離的にはさほど近くはないのに、南アルプス市や富士川町(旧増穂町、鰍沢町)からは、「ダイアモンド富士」(富士山の頂上から初日の出が昇るとき、ダイアモンドが頂上に輝くようにみえることから)を含め素晴らしい富士山が眺められます。
以前、テレビの「県民ショー」山梨特集の中でもいっていましたが、山梨県だと富士山に向かって立つと、富士山がある方が南、後ろが北、右手が西、左手が東なので、方角がすぐに分かります。「富士山で方角を知る方法は山梨ならではだな、と思っていたら、意外にも富士山が見えない地域が結構あるんだ。」と、甲府バイパスを車で走りながら、考えていました。





地元に戻って来て、過去に山梨日日新聞に載っていたフジファブリック関連の記事をいろいろ調べているところです。
志村君のご命日を目前にして、改めて日本の音楽界の大きな損失を感じると共に、山梨県から偉大なミュージシャンが出たんだという誇り、また高い志に向かって邁進する努力を忘れない、純真で純粋で真面目でひょうきんな「普通の」一青年、志村正彦くんをなくしてしまった喪失感にかられています。


2005年6月21日付けの山日の記事で、志村君はこんな趣旨のことを言っています。
「普通のミュージシャンは、武道館が夢だと思うんですけど、僕の場合は富士吉田なんです。富士吉田、山梨でライブをやるのが夢です。」


高校時代の同級生と富士吉田で結成した「富士ファブリック」は、高校卒業後も東京で活動を続けましたが、それぞれ別の道に進んだため現在は志村君一人が結成当時からのオリジナルメンバーとなってしまいました。
それでも「東京に出て、山梨県出身ということを刻むべくつけた」と言い切るバンド名は、生涯変えることはありませんでした。旧メンバーの実家が経営する会社名から「富士ファブリック」を命名。いつも放課後そのお宅でバンド練習をしていて、「そういうことを忘れず、大切にしようと思った」のと、「名前は染み付いて変える気にはならなかった。」という理由からでした。


山梨県の方にぜひ聴いてもらいたいし、山梨でのライブは夢だと語っていた志村君。
地元ライブを実現したい気持ちの反面、「東京で修行して、ちゃんと胸を張れるようになってから帰ってきます。」と、言っていました。


そしてこのインタビューから3年後の2008年、地元での凱旋ライブが実現したのです。
「東京対自分、富士吉田から出てきた自分が東京で考えて作った曲を地元でするのは、ちょっと恥ずかしい気もする。」といっていましたが、故郷に錦を飾った凱旋ライブでした。


これだけ山梨を愛した志村君に、残念ながら彼の生前、地元は大した応援は何ひとつできませんでした。本当に、後悔と懺悔の念に耐えません。
富士吉田には富士山だけでなく、日本の美を凝縮した素晴らしい音楽があるんだということを、世界中にいる日本の音楽愛好家たちに伝えなければいけないと心に誓った、今回の里帰りでした。

Wednesday, 15 December 2010

Wait for an English translation!

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I am now back in Japan.

Please accept my apology that last a few posts were all written in Japanese language.
It is quite difficult for me to translate posts into English without dictionary, so please wait for an translation for a while.
Posts were about "Fujifabric and Japanese language in the lyrics", "Yamanashi Daily Newspaper".
Please be patient and wait for a translation!

Thank you for your understanding.

山梨日日新聞

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山梨に帰ってまいりました。

今回は珍しく着陸15分程前、飛行機の左下、茜色に輝く雲の中威風堂々とそびえ立つ藍色の富士山が見えました。多くの外国人が、飛行機の窓から興奮気味に写真を撮っているのを見て、「ああ、日本に帰ってきたんだな。」と、しみじみ思った瞬間でした。成田空港の通路にも「富士山に桜」の大きな写真がありますね。

山梨出身の私たちは連なる山々を見るとほっとし、「ふるさとに帰ってきたな。」という思いがいっそう強くなります。中央道八王子インターを越えたあたりからでしょうか。

そして翌朝、山梨日日新聞を読むとますます「山梨に帰ってきたんだな。」と、実感します。

東京や大きい都市に住む方々には理解し難いかもしれませんが、山梨県で生まれ育った私たちにとって、山梨の地方紙、山梨日日新聞は新聞以上の意味があるものです。
山梨県内・全国・海外のニュースが載っているだけでなく、おくやみ欄(県内の地域別に、どの町でどなたが亡くなり、お通夜、お葬式の日程、場所などが詳しく書いてある欄。これを毎日チェックします)、お誕生欄(県内で誕生した赤ちゃんのお名前、ご両親のお名前が書いてあります)は欠かせない情報で、毎日この欄は必ずチェックします。

ご近所だと「組」(同じ地域にいる住民が作る団体で、地域の清掃・組員の冠婚葬祭などを助け合うことが目的です。任意で入るわけではなく、その地域に住んでいれば自動的に組に所属することになります)の連絡でわかりますが、なかなか遠方の方だと失礼をしてしまうこともあるので、山日(サンニチ)は欠かせない情報源です。
山梨県で山日をとっていないご家庭は、中々ないのではないでしょうか。
「若い夫婦が結婚し、独立したら山日をとる」というのが、山梨県民のある意味「大人になった」基準で、それほど大切なものです。

この山日に、フジファブリックも何度も取り上げられました。
昨年12月、志村君が亡くなった時には、お悔やみ欄だけではなく追悼の記事が載り、今年の7月に富士急ハイランドで開催されたフジフジ富士Qの前には、4回にわたりフジファブリック特集がくまれました。この記事により、フジファブリックは多くの山梨県民が知るところとなった、といっても過言ではないと思います。
最近の音楽に興味をもっている若者は別として、その他の年代の人にとって山梨県出身のミュージシャンを知る機会として、山日は最大のメディア媒体といえるのです。

「もっとビッグになってから、山梨に帰ってくるんだ。」と、誓っていた志村君。

Sugar!についているDVDの凱旋ライブを観ても明らかですが、真面目に真剣に音楽と向き合っていた志村君は、「音楽をするという自分のわがままは、色々な人が自分にくれた犠牲の上になりたっている。だからこそ、大好きな地元にいる親戚や知り合いや友達の情けにおんぶしたらいけないんだ。自分一人でがんばって、つかんだものでなくてはいけないんだ。」という覚悟をもっていました。

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そのため、結果的に山梨で行った単独ライブはこの市民会館で行われたものだけとなってしまいました。
あんなにビッグになっていたのに、自分では「まだまだ」と思っていたのでしょうね。

志村君がこちらの世界にいなくなってしまった今こそ、「これほどすごいミュージシャンが山梨にいたんだ!」ということを山梨県民に知ってもらいたいと思います。あれだけ山梨を愛した志村君を、彼の生前何もしてあげられなかったからこそ、今度は山梨が彼を愛してあげたいなぁ、と思うのです。

その一番効果的な方法は、やはり山日ではないでしょうか。
山梨日日新聞の皆さん、どうぞこれからもフジファブリックの応援をよろしくお願いいたします。

志村君が一人東京を目指そうとした決意が感じられる名曲「浮雲」、お聴きください。


Monday, 13 December 2010

日本に帰国中

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2週間ほど、日本に帰国します。

今回の里帰りは、富士吉田を訪れる機会がありますので、写真をたくさん撮ってこようと思います。
冬の山梨、あの寒さに耐えられるかな・・・。

Saturday, 11 December 2010

フジファブリックの歌詞と日本語

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昨日、NHK国際放送を見ていましたら、「Cool Japan」(日本が外国に誇れるカッコいいものを、紹介する番組)で「日本語」を取り上げていました。

「日本語を学ぶ外国人が難しいと思うことベスト3」は、「文字の種類が多い」(漢字約2000字、ひらがな46文字、カタカナ46文字の3種類の文字を、使い分けるから)「助数詞が多い」(何を数えているかによって、助数詞の種類を使い分けるから。動物には匹、長いものには本、薄いものには枚など。また、犬がいっぴき、にひき、さんびきのように、助数詞自体も不定変化)「人称代名詞が多い」(第一人称だけでも、私、わたくし、俺、おいら、僕、わし、など種類が多い。自分の性別、立場など考えなければならないし、場合によっては失礼にあたる。方言を加えたら・・・)だそうです。

日本人の皆さん、思い当たりますか。
「確かに、日本語って難しいな。」と、思いましたか。

世界では、「自分たちの母国語は、簡単だ。」と思っている民族の方が圧倒的に多い中、日本語は、日本語を母国語とする日本人自身が「難しい」と思う言語だそうです。

事実、言語学において、日本語は世界でも難解な言語の一つといわれています。
言語とは文化そのものですので、その言語を使う民族の文化や考え方が顕著に反映されるものです。

日本人の趣向を分析すると、何かに名前をつける時にはそのもののイメージを大切にし、一般的に受け入れられやすく、自然や季節が感じられるものを好む、のだそうです。
日本にいるとあまり気づかないのですが、外国にいると日本人だったら絶対考えないネーミングが普通にあったりして、驚くことがあります。
例えば、タイでは極小の唐辛子を「プリック・キー・ヌー」(ねずみの糞唐辛子)と呼びます。いくら小さいからといって、どうしてそれを唐辛子の呼称として選ぶわけ!?と、日本人だったら思いますよね。
ピータンも「カイ・イー・マー」(馬の小便卵。アンモニア臭がするからという理由で)・・・。排泄物を食べ物の名前にしようという発想、日本人には絶対ないです。

タイだけではありません。
イギリスでも、子供たちが大好きな「ブルズ・アイ」(牛の目玉)という飴がありますが、目玉をしゃぶるって・・・これも日本人の感性からはありえないネーミングです。あ、でも番組の中では、「親子丼」は残酷な名前だと外国人からご指摘がありました(笑)。

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日本料理や和菓子の世界を、思い出してみてください。
「竜田揚げ」の名前は、百人一首にある在原業平の歌から付けられています。

千早振る 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
在原業平
材料に染み込んだ醤油の色が、揚げることで紅葉のような色合いになるために、紅葉の名所である竜田川に紅葉が流れる姿が連想されるから、この名前がつけられました。季節が感じられる美しい名前です。

その他、「鹿の子」(豆が寄り集まった様子が、小鹿の背中の斑点を連想させる)、「淡雪」(ふわふわの淡雪に見かけが似ている上、口の中で雪のようにふっと溶けるため)、「みぞれ和え」(大根おろしがみぞれ雪を連想させるため)、「月見そば」(卵が満月と月にかかる雲を連想させるから)など、挙げだせばきりがありません。

日本独特のお菓子、「和菓子」は、四季折々にその時期にしか作られないものも沢山あり、日本語の美しさとお菓子のおいしさがひとつになっている、素晴らしい文化だと思います。

もうひとつの特筆べき日本語の特徴は、「オノマトペ」(擬音語・擬態語)にあります。
日本語にはオノマトペが英語の4倍あるといわれ、音を言語としてとられるという日本人独特の感覚が反映されています。
例えば、外国ではあまり注目を浴びない虫の音ですが、日本人は「虫の声」と表現し、秋の風物詩として愛でてきました。いろいろな虫の声を、オノマトペを使い美しく表現します。

日本人は、ひとつの言葉にいろいろな情報をいれようとして、それがオノマトペの発達につながったようなのですが、今でも新しい擬音語・擬態語が増え続けています。

フジファブリックの歌詞をみてみてください。
今まで説明してきた「日本語の特徴」を、フル活用しているのがフジファブリックの歌詞世界なのです。

曲のイメージを大切にした曲名、自然や四季の美しさを感じられる言葉の数々、志村正彦流オノマトペ。ブログの紹介をするところに書いたことの繰り返しになってしまいますが、フジファブリックの歌詞は音楽と共に、世界に誇ることのできる「日本の美」だと思っています。

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例えば、「銀河」。
「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」「パッパッパッ パラッパラッパッパッ」
足早に、足取り軽く、逃げ出す様子が伝わる擬態語です。

「きらきら」の空が「ぐらぐら」動き出している

この「きらきら」という表現で、冬の空、上空で強い風が吹いていて星がきらきら瞬いている様子が、頭に浮かびます。「ぐらぐら」は、小刻みにではなく、割りと大きく不安定に動き出している様子です。
片寄さんがブログでもおっしゃっている、「志村君が歌いたかったこと」。それは、冬だから雪とかマフラーとかそういう単純なものではなくて、「澄み切った空気」が表す冬だったのです。一般の人に伝わりにくいのではという当初スタッフが抱いていた心配も無駄に終わり、今ではフジファブリックの代表曲となっています。

日本語の美しさと、フジファブリックの歌詞。
他のバンドにはない日本文化独特の歌詞世界は、彼らの音楽には欠かせない魅力の一つだと思います。

フジファブリック 「銀河」 お聴きください。

Thursday, 9 December 2010

富士山カレンダー

忙しさがピークに達しております。

そんな時に、ふるさと山梨から初雪の便りが届きました。といっても、標高800メートル以上の場所で雨が雪に変わったとのこと。周りの山々は山全体が真っ白になったのではなく、ちょうど標高800メートル付近より上がうっすらと雪化粧をしているそうで、いよいよ冬の到来を思わせる風景となりました。
甲府市では、夕方3時を過ぎると寒くて強い北風が八ヶ岳方向から吹いてくるので、冬になると「3時前に帰ろう」というのが合言葉になります(笑)。そんな季節になりました。

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ところで富士吉田市は、このほど四季折々の富士山の写真を集めた2011年のカレンダーを発売しました。
富士吉田市内外のカメラマンが撮影した写真で、水田に映し出された逆さ富士や、富士山上空にかかる虹など市内から見える「富士山のある風景」が楽しめます。

山梨県民からみるとちょっと「よそいきの富士山」というのが、感想でしょうか。
富士山は本当に気まぐれで、麓まで行ってもぜんぜん見えない日もあれば、こんな天気のときに?という日にハッとするぐらい色っぽい姿を見せたりします。そこが魅力だったりします。

この「富士吉田市 富士山カレンダー」、一部500円で好評発売中です。500円のうち100円が、富士山を世界文化遺産に登録するための活動資金に役立てられます。
富士吉田市民には、各家庭に一部ずつ無料配布されたそうですが、市役所職員生活協同組合売店、ふじやまビールなどでも販売されています。
遠方にお住まいでお求めになりたい方は、富士吉田市役所秘書課、電話0555(22)1111にご連絡ください。

志村君がいつも眺めていた風景もあるかもしれませんね。

Tuesday, 7 December 2010

ムーンライト 壮大な世界

今日は、24節気の暦でいう「大雪(たいせつ)」です。
冬本番に入り(仲冬)北風が吹き、いよいよ雪が降り出します。
高い山ではもう雪が積もっていることから、「大雪」という名がついたそうです。

といっても、関東地方、今日は雪ではなく雨模様だそうですね。
気温が例年に比べて温かいですから、雪が降るのはまだ少し先のことになりそうです。

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今日は「ムーンライト」について考えてみたいと思います。
壮大なテーマにふさわしい音楽、志村君の独り言を聞いているような歌詞。
最後の方で聞こえるヒューという音がスペースシャトルの飛行音のようで、聴いていると心がウキウキしてきます。

先日、NASAの現役宇宙飛行士のお話を聴く機会に恵まれました。
彼はイギリス人でケンブリッジ大学を卒業後、アメリカに渡りNASAで宇宙飛行士の訓練を受け、見事難関を突破して宇宙飛行士となりました。
小学校2年生の時、お誕生日にもらったロケットのおもちゃを自分の部屋で眺めては、「宇宙飛行士になりたい!」と思ったのが、事の始まりだったそうです。

お話の中で特に印象的だったのは、「宇宙にいると、自分が思い悩んでいたことはなんてちっぽけなことだったんだろう、と思う。」と、満面の笑みをうかべておっしゃっていたことです。

宇宙に行きスペースシャトルから地球を見ていると(スペースシャトルは、30分程で地球を一周するそうですが)、まず地球の美しさに感動する。地球という惑星自体が偶然の産物のように誕生し、その地に水や生命が誕生する。その誕生した全てのものが、一つのハーモニーの中で生きている。
そして、いったん地球から目を離して辺りを見回せば、壮大なる宇宙が広がっている。
宇宙の大きさはいまだ人間には計り知れず、分からないことだらけのこの世界。
それでも一分一秒の狂いもなく、日は昇りやがて沈み、季節は巡る。



彼ははっきりとは言いませんでしたが、「やはりここまでいろいろなものを見せつけられると、神と人間が呼んでいるものは存在するのでは、という気になる。」という趣旨のことを言っていました。

絶対一神教(キリスト教やイスラム教など)でいう「神」や、八百万の神というものではなく(それも含まれるのでしょうが)、自然や宇宙の法則こそ人間が古代から恐れ敬ってきた「神」ではないか、と私は受け取りました。
人類は地球上のことを全部解明したわけではないのに、すでに外に目を向け宇宙について知ろうと一生懸命です。結果的には、宇宙を知ることにより地球を知ることになることも多いからでしょう。
「満月の夜はお産が多い」という昔からの言い伝えが、天文学的に証明される日も近いかもしれません。

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エジプトやマヤなど、昔から天文学に優れた文明がありました。
多くの宗教で信じられている「天国」も空の上にありますから、太古の昔より人類は宇宙に神をみていたのでしょうか。

今月21日、月出帯食(月の出の前に月食が始まり、月が欠けた状態で昇ってくること)が起きます。2007年8月28日以来の皆既月食になります。今回は月が東から昇るころ、すでに月が欠け始めていますが17時17分に最大の月食になり、19時02分には終わってしまいますから、お時間があったら天体ショーをぜひごらんになってみて下さい。

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「惑星を眺めつつ花を植えたい」「クレーターに潜ってみたり」

まるで「星の王子様」(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作)の一節のようですが、志村君の想像する世界になるのは、いつの日のことでしょう。
そんな人類の壮大な夢を思い起こさせてくれる、フジファブリックの「ムーンライト」です。

「ムーンライト」 お聴きください。

Sunday, 5 December 2010

Fujifabric And Snow (Translation of the Post on 2nd Dec)

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Five days have passed since the beginning of December.
It has passed Shosetsu (literally meaning 'Small Snow', around 22nd November every year) and Taisetsu (literally 'Big Snow', around 7th December) is coming soon.
That indicates it will be winter in earnest very soon and on mountains in Japan, snow falls and lays.
In this season, it is distinctive that on a sunny morning, an outside temperature is low, and on a rainy morning, it is high.  On the contrary, it is warn during daytime on a sunny day, and it is cold on a rainy day.

Last year, the first snow fall was recorded on the 9th January, and a snow season is just there.  A cold wave is sweeping Europe, and has been staying over a week now.  Even in a city like London or Paris, the top temperature does not exceed 0℃, and it is snowing in many places.  Readers in Europe, take care!

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Japan is the country which holds the heaviest snowfall area in the world - western part of Honsyu (Japan's main island) where facing the Sea of Japan and the area encompassed by the Japanese Alps, a series of mountain ranges that make up the island's backbone.  Speaking of heavy snow, countries like Canada, U.S.A, Siberia, Scandinavia might come up to your mind, but in fact, Japan is the one with heaviest snowfall.
"Heavy Snowfall Zones" refers to places where snowfall and snow cover are severe enough to be a hindrance to the livelihood of inhabitants or the development of local industry.  The heavy snowfalls of Japan's snow country are caused by moisture-laden clouds bumping up against the mountains along the backbone of Honshū and releasing their moisture under the influence of easterly winds blowing off the continent or down from Siberia. As a result, the region includes some of the world's snowiest spots at the same latitudes.

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In Japanese language, there are many words expressing snow as well as rain. (see this post for diverse vocabulary referring to rain)

"Botan Yuki" (literally means "Japanese peony snow"), which can be found in the lyrics of "Kurofuku No Hito" ("A Man In A Black Suit") in the last post.
Many snow crystals get together and form a rather large snow flake called Botan Yuki.  The derivation of the word is said to be "snow falls like a Japanese peony petals (it's bigger than the ones of other kinds of flower) scatter" "snow falls bota-bota" (this is an adverb expressing wet and large drops of liquid).
It was my childhood memory that when Botan Yuki fell, we as young children got so excited to hear grown-ups saying "this is going to be a heavy snow!".
Botan Yuki is a kind of humid snow which can turn to be heavy, and it is suitable to make snow balls for a snow fight and Kamakura, an igloo-like snow hut.

There are more words referring to snow in Japanese - "Sasame Yuki" (small snow flakes falling sparsely), "Kona Yuki" (powdery snow scattering in the wind), "Katabira Yuki" (snow lays thinly on the ground), "Ne-Yuki" (hard snow made of many layers of melted snow turning ice and freshly fallen snow).
"Mizore" is sleet.

Basically, when rain drops get frozen, it turns to be snow, and so the sky looks cloudy in both cases.  "Yuki Gure" (literally meaning "snow darkness") is the word indicating the sky getting dark when snow can fall any minute.  When snow falling at dusk, it is also called "Yuki Gure" using different kanji characters.

Because the derivation of kanji character of snow (雪) is leading to 彗, snow in Japanese language contains the meaning of "sweeping out dirts and cleansing on the ground".  For instance, the word, "Setsujoku 雪辱"  means "wiping out a shame and vindicating one's honour".  For Japanese, snow is something so pure that cleanses everything evil.

In the song, "Stockholm" in the 4th album, "Chronicle", and also in "Music" in the 5th album, "Music", snow was sung.

This is my personal impression that compared to the songs in early albums, the nature expressed in Mr. Shimura's lyrical world is not so vivid fresh in later albums.  It is nothing to do with his ability of writing lyrics, but it is because he did not have much time to stay in the nature, I believe.

Though there is unfortunately no way to confirm with Mr. Shimura now how he felt about it, it is true that those who were born and brought up in country side, get most relaxed when returning to the nature.  No need to do anything.  Just sit there and stay quiet.  Staying away from the hustle and bustle of the big city, the crowds of strangers, and just sitting in the nature breathing in a fresh air, in nature sounds and colours, help us to release so much stress.

For a talented poet like Mr. Shimura, that kind of relaxing time must be essential compared to ordinary people like myself.  Even though he missed the time to heal himself, he was working so hard to cope with deadly busy schedule.  Thank you, Shimura kun.

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Snow season is coming soon in Fujiyoshida City.
He must be feeling calm watching changing four seasons in surrounding mountains, especially Mt. Fuji.  I wish he will wipe out all his hardship with snow and enjoy a happy calm time.
Looking forward to listening to his new songs that he wrote in the rich nature in his hometown.

Enjoy listening to Kurofuku No Hito (A Man In A Black Suit) bu Fujifabric

Thursday, 2 December 2010

雪とフジファブリック

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いよいよ師走になりました。
小雪(しょうせつ。11月22日頃)を過ぎ大雪(たいせつ。12月7日頃)を間近に控え、本格的な冬はもうすぐそこまで来ています。日本の山では雪が降り積もって眠る準備に入ります。また今の時期、人の住む平地では晴れた日の朝は寒く、雨が降っている朝は暖かいのが特徴です。逆に晴れた日の昼は暖かく、雨の日の昼は寒いのです。
「雨の朝は暖かく昼はそれほど暖かくない」という現象は、山梨県に限らず全国ほぼ共通の特徴です。

昨年は1月9日に甲府市で初雪が観測されましたが、いよいよ雪の季節到来です。
ヨーロッパは大寒波だそうで、パリ、ロンドンなどでも一日の最高気温が氷点下の日が一週間ほど続いております。ロンドンのように、一年を通してあまり雪の降らない地域でも、雪のため交通網が麻痺している様子。お気をつけください!

夏が暑かった年は冬が寒い、と昔から言いますから、今年の日本も例年より寒くなるのかもしれません。

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世界一の豪雪地帯、本州日本海側を抱える日本。
雪というとカナダ、アメリカ、シベリアなどを思い浮かべる方も多いと思いますが、世界一の豪雪地帯は日本にあります。
シベリア上空に発生する寒気団(日本の国土の数倍もの大きさ)が作る密度の高い冷気が高気圧となり、日本の方角にある低気圧に向かって風が吹き出します。「強い」「冷たい」「乾燥している」という、三重苦?の風です。
この風が日本海を渡るとき、対馬海峡を流れる暖流から上がる水蒸気を含み、「強い」「冷たい」「湿った」風となり、日本列島の「背骨」の部分にある山脈にぶつかります。そして大雪を降らせるのです。

雪の多い日本では、雨と同様、雪を表す単語が豊富です。

前回取り上げました「黒服の人」の歌詞にもでてくる、牡丹雪。
牡丹雪とは、雪の結晶が多数くっつきあい比較的大きな雪片となり降る雪のことです。語源としては「牡丹の花びら(花の中でも花びらが大きい)が散るように降る雪だから」「ぼたぼた降る雪だから」と、言われています。
牡丹雪降ってくると、「これは積もるぞ~。」と大人が言うのを聞いて、大喜びした子供時代を思い出しました。比較的積もりやすく、湿り気の多い雪です。
雪合戦のための雪球や、かまくら作りには最適の雪質です。

このほか日本語には、細かくまばらに降る「細雪(ささめゆき)」、さらさらと細かく、風に舞い散る「粉雪」。両方とも湿り気のあまりない雪で、スキー場では歓迎される雪の種類です。
このほか、薄く降り積もる「帷子(かたびら)雪」、降っては溶けまた積もりを繰り返し、なかなか溶けない状態になる「根雪」。
「霙(みぞれ)」は、雪の結晶が完全に凍らず、半分雨のような雪のことです。

基本的に雨が凍ったのが雪ですから、空は雨が降るときと同様曇っています。今にも雪が降り出しそうに空がどんより暗くなることを、「雪暗れ(ゆきぐれ)」といいます。雪の降る前特有の空の暗さです。また、雪が降りながら日が暮れることを「雪暮れ」といいます。

「雪」の字源は「彗」に通じ、「地上のものをはいて除き、清める」という意味があります。「雪辱」という言葉にも、以前に被った恥をすすいできれいにする、という意味が含まれていますよ。日本人にとって、「雪」は清らかな存在なのです。
(参照文献 「言葉の風景」野呂希一 著)

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4thアルバム、「Chronicle」の最後の曲、「Stockholm」でも雪が歌われています。
辺りを包み込む雪。 
5thアルバム 「Music」の最初の曲、「 Music」にも雪がでてきます。

雪に限ったことではないのですが、初期の楽曲(特に四季盤など)と比べ、後期の楽曲では志村君が歌詞の中で表現する「自然」が、だんだん鮮明ではなくなってきていると個人的に思いました。それは彼の表現力が低下したためではなく、きっと自然の中で過ごせる時間が極端に減ったからでしょう。

志村君自身がどう考えていたのかは分かりませんが、田舎の豊富な自然の中で育った人たちにとって、自然の中に帰ることは、なによりも癒されるものです。何もしなくていいのです。
ただ、都会の喧騒から離れ、人込みから離れ、自然の空気、音、色の中で静かに過ごす時間が必要なのです。

彼のような天才詩人にとっては、凡人の私たちよりももっともっとそういう時間が必要だったでしょうに、超多忙なスケジュールをこなす日々。一人で一生懸命、闘っていたのでしょう。みんなのために、志村君、本当にどうもありがとう。

富士吉田も雪の季節を迎えます。
白い雪衣をまとった富士山を毎日眺めて、今は心穏やかに周りの山々に四季の移ろいを感じてくれていることでしょう。
雪に今までの苦労は全部祓い清め、幸せにすごしていてほしいと願っています。
そんな穏やかな日々の中作った新曲、志村正彦ファンとしてぜひ聴いてみたいです。

フジファブリック 黒服の人 前回に引き続き、お聴きください。

Wednesday, 1 December 2010

A Man In A Black Suit (Translation of the post on 30th Nov)

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'Ginga' ('Galaxy') is the last single of 'four-season single disks' released in February 2005.  It is one of the most popular masterpieces of Fujifabric and audience always get so excited when performed in a concert.   'Kurofuku no Hito' ('A Man In A Black Suit') is a song coupled with 'Ginga' in the single CD.
Some of you might have heard in an album called 'B Men Syu' (This album consists of only the songs coupled with released singles) for the first time, and it is my opinion that winter-like charm and atmosphere are well expressed in this song.  As usual, this song is worth being a single.

All ages and places, 'death' is one of the issues which has been dealt with in rock music, but there are no other songs which beautifully describe the winter scenery, and calmly consider the transience of life and  unavoidable separation with the love ones not in a dreary way.
This is the moment that we realise Mr. Shimura is  a genius for music.

お買得正絹草木染冬夏喪服31点セット(本仕立)S
(This is a mourning dress in Japanese style that a Japanese lady wears in a funeral.)

Mediocrity words, like 'a mourning dress', are not at all used, but 'men in black suits lining up' implies a funeral and makes us think, "Wait, is this song about a funeral?".  The phrase, 'your photo in a smile' 'crying' , define that this is really a song about a funeral.  A man in a black suit can be a man in a black or a white tie, or even gangsters (like in a film!), but the scenery of a funeral in winter clearly emerges in your mind by listening to the melody with lyrics in the first part.

A funeral on a cold cold winter day like 'giving a send-off to the motor hearse      snow falls and lays on the rut on the road'.
After singing the description of how the funeral was undertaken in a quiet tone, here comes 'even going far away     I will never forget     after years pass by      I will never forget' - the simple words with strong will expressing deep grief.

Mr. Shimura said in an interview somewhere that "this is the song that I wrote being inspired by the funeral of my own grandfather", I remember.  There is a post in the diary in his book, "Tokyo, Music and Rock'n Roll", but the one sung in the song must be another grandfather on a different side as it is dated in May.

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(This is a pocket that bank notes as monetary offering is put in, on an occasion of a funeral.  It is called "Koden Bukuro".)

The procedures of ceremonies, such as a wedding and a funeral, are in diverse depending on areas.  In Fujiyoshida City, where Mr. Shimura is from, there is a unique custom.  In a funeral, attendants bring the cash without putting in a black and white pocket, and pay at so-called "a cashier" which is placed at the entrance.  At this time, if you do not have a correct amount of cash that you wish to offer, you tell so to a person at the cashier, then you can receive a change.
It is very unique as not being found in other area  in Yamanashi Prefecture.  It can be a common custom in Gunnai Area (Fujiyoshida City, Uenohara City, Tsuru City), but not for sure.

An interesting anthropological study can be done on this topic, I'm sure.

In Japan and the West, black is the icon colour for mourn, but in Thai Chinese society, white is the colour of grief.  Close relatives wear all in white and attend the funeral.  Strangely, they wear in black to attend funerals of the others though.  On the other hand,  black should not be worn in a celebration like a wedding as a taboo colour.  In some areas in Okinawa, light blue is used in a funeral.

Birth and Death are something which cannot be separated from our life, so it is surely natural that features of a region is well expressed through ceremonies in such occasions.

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Mr. Shimura's voice sometimes sounds bluntly in 'Kurofuku No Hito' ('A Man In A Black Suit).
His voice effectively brings us up the scenery of the funeral held at the corner in a cold cold town, and it conveys a deep grief.

Towards the end of the song, the beep beep beep sound of the synthesizer gradually slows down and keeps beeping at the really end.  It reminds me the sound of an electrocardiography.
Even though there are many fans of Fujifabric's who cannot listen to this song yet after the Mr. Shimura passed away last Christmas Eve, this song remains as one of the good songs in Japanese music history.

Enjoy listening to 'Kurofuku No Hito' by Fujifabric.

Tuesday, 30 November 2010

黒服の人

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四季盤最後のシングル、冬を飾った「銀河」は、フジファブリックの曲の中でも大人気を誇る名曲で、毎回ライブでは異様な盛り上がりを見せます。
その「銀河」にカップリングされていた「黒服の人」。
今年6月に発売されたB面集で初めて耳にした方もいらっしゃると思いますが、冬らしさがよく表現されている素晴らしい曲です。例にもれず、フジファブリックの曲は手を抜いた「駄曲」というのが本当に見当たらないのですが、この曲もシングルになっても全然おかしくない出来だと思います。

古今東西、「死」というトピックは結構ロックの中で扱われているものですが、「葬儀」というテーマを通してここまで美しく冬の情景を描写し、あの独特な雰囲気のある葬儀の最中に、考えずにはいられない「命の儚さ」と「愛する人と自分を離別させた死」というものを、冷静に、且つ陰気臭くならずに歌った曲はないでしょう。
志村君が、天才だと思う瞬間です。




(これが日本で葬儀の際に親族が着る「喪服」です。)
「喪服」などの月並みな表現を使わず、あえて「並ぶ黒服の人」という単語のみで、リスナーに「これってもしかして、お葬式の歌なの?」と思わせ、その後に続く「笑ったあなたの写真」と「泣いてる」という箇所で、それを決定的にします。「黒服の人」は、違う状況だと慶事に参列している礼服を着た人や、はたまたギャング(ちょっとコテコテですが)にもなりうるわけですが、AメロBメロを聴いているうちに、冬のお葬式の様子が鮮明に浮かんできます。

「見送ったあとの車の 轍に雪が降り積もる」ような、とても寒い日のお葬式。
淡々と葬儀の様子を詠った後、「遠くに行っても 忘れはしない 何年経っても 忘れはしない」と、深い悲しみを簡素でありながら、でも強い意志がこもった言葉で締めくくっています。

どこかのインタビューで、志村君が「父方のおばあちゃんが亡くなったときのこと思い出して書いた」と言っていた記憶がありますが、ちょっと定かではありません。

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(これが、日本で葬儀の際に使われる「香典袋」です。)

地方によって冠婚葬祭はさまざまな形式をとりますが、志村君の故郷、富士吉田市にも独特の風習があります。葬儀の際に、お香典をお香典袋に入れないで持って行くことです。
葬儀場の入り口にある「精算所」(という名前だったと思いますが・・・)で、袱紗や香典袋に入れていないお香典を差出し、自分の名前を言います。この時、3000円のお香典を差し上げたいのに持ち合わせがなかった場合には、5000円札や1万円札を受付の方に渡してその旨を告げると、おつりをくれます。
これは山梨県の中でも独特の文化ではないでしょうか。
郡内(富士吉田、上野原、都留など)の風習なのかもしれません。
(ちなみに私の出身地、山梨県甲府市ではこの形式ではありません。)

研究題材として取り上げたら、興味深いことがわかるかもしれません!

日本では「黒」が礼服として冠婚葬祭に使われますが、タイ華僑は深い悲しみの色は「白」とされ、近親者の葬儀では家族は白装束で参列します。ただ日本人と同様、知り合いの葬儀に行く際は、黒い喪服を着用します。ただ日本と違い、慶事に黒や紺の衣装を着ることはタブーとされ、結婚式などでは絶対に許されない色が「黒」です。
沖縄のある地方では、葬儀の色は「水色」で、黒白の代わりに水色と白の縞縞模様が使われたますよね。
西欧でも日本同様、「黒」は喪に服していることを表す色です。

誕生と死は人間から切手も切り離せないものですから、誕生祝いや葬儀にその地に住む人々の風土と風習が凝縮されて表現されるのは当然ですね。

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志村君独特のちょっとぶっきらぼうに聞こえる声で歌う、「黒服の人」。
だからこそ、厳寒に震える富士吉田の街角で執り行われた葬儀の様子が鮮明に浮かび上がり、その中にある深い悲しみが伝わってくるような気がします。

そして最後にだんだん遅くなり、鳴り響くシンセの「ツーーーーー」という音。
私はどうしてもあの音が、心電図の音とだぶってしまいます。
志村君がこちらの世界からいなくなってしまった今、複雑な気持ちでこの曲を聴いているファンも多くいらっしゃると思いますが、この曲が名曲であることには変わりありません。
まだお聴きになっていない方、ぜひお聴きください。


Monday, 29 November 2010

Arakura Persimmon (Translation of the Post on 27th Nov)

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In Arakura shrine in Sengen Park, the cherry trees can be viewed in full bloom in early spring (early April).
If you go up the long long stairs beside the shrine, Chureitou, a monument to the dead who died in the war after the Russo-Japanese war (1904-05), soon comes into your sight.
It is familiar with Fujifabric fans as it is sung in 'Ukigumo' (Floating Cloud).
The monument is situated in Arakura district in Fujiyoshida City in Yamanashi Prefecture, where Mt. Fuji can be viewed so beautifully.

A local speciality of Arakura district is a small-sized astringent persimmon called Arakura Kaki.
(Due to the cold climate in Fujiyoshida, it is said that sweet persimmon trees cannot grow up in this area.)
When dried in the sun, an astringent taste of Arakura persimmon turns to be so sweet, and they used to be very popular as a souvenir before.  The scenery of dried persimmons hanging down tied on strings under the roof in each home was an icon of a winter season in Arakura, but these days, they are not produced much any more because a society is composed largely elderly people there.
There are not enough people either who can climb up a tree, or who are skilful at making dried persimmons.  They get naturally dried on a tree if not being picked, and many animals, like a monkey and a bear, come down to the town from a mountain.  It could be dangerous for residents, so many persimmon trees have been cut down nowadays.
A dried persimmon is also called Korogaki in Yamanashi Prefecture.

According to legend, around 1500A.C, Takeda Shingen, who is a preeminent daimyo gave an order to transplant good persimmon trees in and supported making dried persimmons.  In Edo Period (1603-1868A.D), it was counted as one of the eight unusual fruits same as grapes and peaches, and were presented as an offering to Tokugawa Bakufu.

Members of Arakura Dried Persimmons Association organize activities to keep this local speciality for next generation.  Tsuru University students cooperate to pick up persimmons in the house with a resident's permission to make Arakura Dried Persimmons.
There are sold in a disabled people home in Fujiyoshida City.

Please let me introduce a Haiku Poem by Takahama Kyoshi.
'A man comes eating a persimmon in Persimmon Village"

Saturday, 27 November 2010

新倉柿

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春には満開の桜で染まる「浅間公園」内にある新倉富士浅間神社。
その脇にあるながいなが~~い階段を上がると見えてくる、フジファブリックファンにはお馴染みの「忠霊塔」は、日露戦争以降の戦争で亡くなった人の慰霊塔です。

山梨県富士吉田市の新倉という場所にあります。

この新倉地区、「新倉柿」とよばれる小粒の渋柿が特産品でした。
(富士吉田は寒冷地のため、甘柿の木が生息できないといわれています。)

干し柿にすると強い甘みが出るため、高い人気を誇った新倉柿。
家々の軒先に干し柿が並ぶ風景は、新倉地区の秋の風物詩だったのですが、最近は高齢化などの影響でめっきり生産されなくなってしまいました。
木に登って柿を取る人も、取った柿を干し柿に出来る人もほとんどいなくなってしまったためです。

柿を収穫しないでおくと木の上で天然の干し柿になり、それを食べに動物たち(猿、熊など)が山から下りてきて町に出没し危険なため、最近では柿の木がどんどん切り倒されているのが現状です。

干し柿は枯露柿とも呼ばれ、言い伝えによれば武田信玄が甲斐の国の領主になる1500年ごろ美濃国(現在の岐阜県南部)の良種柿を移植させ、枯露柿作りを推奨したのが山梨県における枯露柿作りの始まりといわれています。江戸時代になると、ふどうや桃と同じく甲州八珍菓として徳川幕府に献上されました。

地域の特産品を後世に残そうと、新倉柿保存会が中心となり、了解を得たお宅の柿を収穫し干し柿にしています。都留文科大学の学生有志も協力し、富士吉田市内にある障害福祉サービス事業所などで販売されています。

高浜虚子が新倉来訪の際、歌った句を一句ご紹介いたします。

柿を喰いながら来る人柿の村     高浜虚子

Friday, 26 November 2010

Baumkuchen Germans' favourite, too? (Translation of the Post on 16th Nov)

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"Baumkuchen' is the first song in the 4th album 'Chronicle'.
It was recorded in Sweden.
Compared to previous albums, which seem to be filled with an atmosphere of Fujiyoshida City in Yamanashi Prefecture in Japan (the hometown of lead vocalist and guitarist, Masahiko Shimura), 'Chronicle' is the album in which we feel anguish, grief, loneliness, and desolation arisen from Mr. Shimura's musician life in Tokyo.

Many of Fujifabric fans claim this album cannot be listened without tears.
Baumkuchen is placed as the first song implying a message which is sung throughout the album.

Mr. Shimura is known as a sweets lover.
When some sweets were brought into the studio, he was the one who leapt on it.
There are several Fujifabric's songs named after sweets, such as 'Mizuame candy and cotton candy', 'Chocolate Panic', 'Strawberry Shortcakes'.

Baumkuchen is a traditional German cake, which was originated in about 1680.  At the beginning, the batter was put on the wooden spit and baked.
Traditionally, Baumkuchen is made on a spit by brushing on even layers of batter and then rotating the spit around a heat source. Each layer is allowed to brown before a new layer of batter is poured. When the cake is removed and sliced, each layer is divided from the next by a golden line, resembling the growth rings on a crosscut tree. A typical Baumkuchen is made up of 15 to 20 layers of batter. (according to Wikipedia)

It is a 'tree cake' born in the country of forests.

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Karl Joseph Wilhelm Juchheim (December 25, 1886 - August 14, 1945) was a German confectioner who first introduced baumkuchen to Japan.  In 1919, Karl Juchheim began baking and selling baumkuchen in a German exhibition in Hiroshima Prefectural Commercial Exhibition (later known as Atomic Bomb Dome).  Thanks to Juchheim's hard work, baumkuchen is now recognized as one of the most well-known German snack and dessert in Japan.

When the cake is sliced, each layer is divided from the next by a golden line, resembling the growth rings on a cross cut tree.  Baumkuchen is a popular return gift in Japan for wedding guests because of its growth ring pattern which symbolizes a long life and prosperity.  Baumkuchen does not carry such a special meaning though.  In fact, people are not really familiar with this snack, and it is just little known.
It is obvious how much curiosity and enthusiasm Japanese people have for eating!

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Mr. Shimura was also moved by the peculiar growth ring pattern on a slice of baumukuchen, and he looked back his own life through it.
"Baumkuchen can be made by baking many layers one after one like growth rings of a tree.  Me,too.  I am formed here as a result of having received many things from many people, events and staff.  That is a message I am singing in this song.", he said in Fujifabric's book, FAB BOOK.

He also said that the 4th album, 'Chronicle' is started since the moment he was born.
The album can be said to be full of Mr. Shimura's 28-year-old life in a sense.

A discord of inner-self between "me" people think of and "me" I think of.
Also embarrassment towards existence of many aspects in "me".
A human always possesses two extremes of a character.
There is a discord of accepting myself as it is me including all extreme aspects, and have to keep going with myself for the rest of my life.
The surroundings start changing me without realising, and we sometimes get very scared that we will transform ourselves into someone who we dislike...

'Baumkuchen' is the song singing an inner-self suffering so well.

'If I cry easily     feel like losing   I don't show to anyone'
'If tell a lie   will get punished   so try not to do so as much as possible'

These are phrases showing typical Japanese worldviews, but I will write on it some other time.

Enjoy listening to 'Baumkuchen' in a different version to the one in the album.

Thursday, 25 November 2010

Snow-melt Water and 'MUSIC' (Translation of the Post on the 22nd of Nov)

Last Sunday, Loy Krathong Festival was celebrated all over Thailand, and lanterns called krathong were floated in the river, the pond and the lake.  When tracing back the origin of this festival, a few opinions were risen, but Thai people generally float their own krathong made of a banana leaf in the shape of a lotus flower for three reasons - thanking the water deity for the blessing of the water we use, an apology for contaminating the river, pond and lake, and to place misfortunes and bad luck on a floating lantern and let it drive away with water flow.

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Not only an incense stick, a candle, flowers, and a coin, but also your own hair or nail are supposed to place on the krathong to make an appeal to the water deity that which krathong belongs to who.
(The idea of putting a hair or a nail on the krathong sounds quite similar to the one of Japanese Onmyodo, doesn't it?)

Floating lanterns on the water shone by beautiful moon light on the full moon night in the 12th month in a lunar calendar... looks ever so dreamy.

This year, over 100 people died from floods in Thailand, and not a long time ago, flooding was one of the major natural disasters which killed a great number of people in Japan too.

In my hometown, Yamanashi Prefecture, I have heard that Takeda Shingen, the preeminent daimyo of Sengoku Period, built the embankment called Shingen Tsutsumi in order to prevent the Kamanashi river in Kofu Basin  flooded, but recently I have found out about the flood caused by snow-melt water called Yukishiro of Mt. Fuji .  This type of flood happens in spring when the snow on Mt. Fuji stats melting due to a sharp rise in temperatures, and the locals pray to gods to keep the town out of flood.

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The oldest record in written form about Yukishiro flood is the one written by the monk of Myouhou-ji Temple in Fuji Kawaguchiko on the 11th February, 1545.
There is another record showing that on the 8th April, 1834, an avalanche on the 8th uphill stage of Mt. Fuji caused a big Yukishiro flood and floodwater mixed with rocks and mud swept away the houses and farms in Fujiyoshida City.

The heavy snow fell on the 25th March melted at once due to a sharp rise in temperatures and became a big Yukishiro flood, and attacked Fujiyoshida City on the 5th April, 1961.  118 houses were flooded at that time.

There is no river originated from Mt. Fuji unlike other mountains.
Instead, there are some phantom rivers of snow-melt water appear only in May and June every year.
Yukishiro (snow-melt water) brings 'spring vitality' and it is an important water source for people living on the foot of Mt. Fuji (refer to this post on Fujiyoshida City and Rice Cultivation).  On the other hand, because there is not much soil and trees on Mt. Fuji, a sudden snow melting sometimes become a flash flood.
This is the life living with Mt. Fuji - benefits and detriments.

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In Japanese language, the word, 'hyoukai' (meaning 'melt away') also used in the context of reconciliation and settlement of a dispute.  Japanese also use a phrase, 'mizu ni nagasu' (literally means 'let it flow away with water'), and it means 'let's forget about the past'.
A will to build up a new discipline and bond is even stronger in spring after having come over the long cold winter, especially in the town like Fujiyoshida City.


'take a new turn     everything in spring     falls and gets up'

This is the beginning of the first song, 'MUSIC' in the first album, 'MUSIC'.
Spring is the time a new life starts in Japan. (the post on cherry blossoms for more details)
When it reaches the time,  the snow falling now melts, a new spring starts a new year again.

Gazing at the floating lanterns on the Loy Krathong Day, it came up to my mind that wishing all evil parts of life flow away with water and make a new life, must be a natural instinct of Asian people.

Monday, 22 November 2010

雪代とMUSIC

タイでは昨日、ロイカトーン祭りで国中の水辺(川、池、湖)にカトーンと呼ばれる灯篭が流されました。
起源についてはいろいろな説がありますが、一般的には「水の恵みを与えてくれる水の神様への感謝と、川・池・湖などの水を汚したことへの謝罪。また一年間たまった穢れや厄を水に流す」という祈りをこめて、バナナの葉で蓮の花をかたどった灯篭を流します。お線香、花、ロウソクのほかに、「自分の」灯篭であることを水神様に分かっていただくため、髪の毛や爪、コインも灯篭の上において流します。

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(自分の身代わりに髪の毛や爪を入れるという発想、ちょっと日本の陰陽道に、共通している感じですね。)
陰暦12月の満月の夜、悠々と流れる水の上、満月の月光に照らされて浮かぶ灯篭は幻想的です。

今年タイでは、洪水の被害で100人を超す人が亡くなりましたが、日本各地でも一昔前までは多くの犠牲者が出る天災の一つでした。

私の故郷、山梨県でも武田信玄が、甲府盆地にある釜無川の氾濫を抑えるために信玄堤を作った話などは聞いていましたが、富士吉田市で「雪代」(ゆきしろ。山の雪が溶けてできる雪解け水のこと)による洪水が、多大なる被害を出し、地元民は雪解けの季節になると洪水にならないようにと祈願していたいうことを、最近初めて知りました。

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雪代が記録として残されている最古のものは、1545年(天文14年)2月11日山梨県富士河口湖町小立にある妙法寺の住職が書き残したものといわれています。1834年(天保5年)4月8日、富士吉田でも大規模な雪代が起こり、富士山8合目の雪崩から始まった土石流がふもとの人家や田畑を一気に押し流したという記録が残っています。

最近では、1961年(昭和36年)3月25日に降った大雪が気温の上昇に伴い一気に溶け、同年4月5日大規模な雪代となり、富士吉田を襲い118戸が浸水しました。

富士山には、富士山を源流とする川は存在しません。
その代わり、毎年5月から6月にかけて、山の積雪がとけて雪代となり幻の川が出現します。雪代は春のみなぎる力の源となって麓の重要な水資源となりますが(こちらの記事をご参照ください)、木や土が少ない富士山では急激な雪解けが鉄砲水のようになることがあるのです。
富士山の恩恵と怖さの両方と生活を共にする、富士山麓の暮らしです。

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氷解したことを「雪解け」ともいいますが、日本語では仲直りや和解といった意味も含みます。全てを水に流して、新しい秩序や絆を作っていこうという気持ちは、冬を乗り越え心新たにする春だからこそより強くなるのではないでしょうか。
特に寒冷地の富士吉田の人たちは、春を待ち望む気持ちが一層強いと思います。

「心気一転 何もかも春は 転んで起き上がる」
5th アルバムの一曲目「MUSIC」の出だしです。
新しい生活が始まる春。
今降り積もる雪が溶ける頃、また新しい春が始まります。

タイのロイカトーンの灯篭を見て、嫌なことをぜんぶ水に流して心新たに心気一転生活を始めたい気持ちはアジア人共通かな、と思いました。

Sunday, 21 November 2010

北口本宮冨士浅間神社 (きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)

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富士吉田市上吉田、国道138号線沿いにあります。
御祭神は木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト。富士山の女神さま)、彦火瓊瓊杵命(ヒコホノニニギノミコト。コノハナサクヤヒメさまの夫神)、大山祇命(オオヤマヅミノミコト。コノハナサクヤヒメさまの父神。元々は、日本の山全てを司る神様)。

延暦7年(西暦788年)、甲斐守紀豊庭が社殿を建立したのが始まりといわれています。
本社殿は桃山時代の建造物として、重要文化財に指定されています。

富士登山道吉田口の起点です。

富士講の信者がお参りする神社としても有名ですが、「富士講」は富士山を崇拝する独自の民間宗教で日本古来の神道とは異なるものですから、神仏習合のおもしろい例のひとつです。

鳥居から本殿までは結構な距離があったと記憶しています.
ぜひ歩きやすい格好でいらして下さい。鎮守の森は、神社の長い歴史を物語るかのように大きな木が沢山茂っていて、厳かな雰囲気です。
お散歩にも最適です。

詳しくは「富士吉田市 観光情報」のホームページをご覧ください。

Saturday, 20 November 2010

「写真でみる富士吉田の歩み」 富士吉田市歴史民俗博物館

富士吉田市歴史民俗博物館

市制60周年を記念し、特別企画展「写真で見る富士吉田の歩み」を開いています。
1951年の市制施行当時から、60年代半ばまでの市の様子を伝える写真約50点が、展示されています。
富士登山競争、雪代(「ゆきしろ」。富士山の雪解け水による洪水)の被害状況を伝える写真など、富士山の麓に位置する街ならではの興味深いものばかりです。

民俗学的にみて、いつも興味深い企画展をしている面白い博物館です。
ぜひ、いらしてみてください。

来年1月30日までの展示。
休館日は毎週火曜日。
道の駅ふじよしだの前ですので、帰りに富士吉田の特産品もご覧いただけます。

交通案内など、詳しくは「富士吉田市歴史民俗博物館」のホームページをご参照ください。

Tuesday, 16 November 2010

バウムクーヘン ドイツ人も大好物?

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4th アルバム「Chronicle」の最初の曲、「バウムクーヘン」。
スウェーデンで録音されました。

富士吉田が色濃く残る初期アルバムに比べ、「Chronicle」は東京で送るミュージシャン生活から生まれた苦悩、孤独、寂しさが溢れているため、涙なくしては聴けないファンも多いのではないでしょうか。
このアルバムで一貫して歌われているものを暗示するような、そんな一曲目です。

甘いもの好きで知られている志村正彦くん。
スタジオに甘いお菓子の差し入れがあると、真っ先に飛びついたそうです。
フジファブリックの曲名にも、「水飴と綿飴」「Chocolate Panic」「Strawberry Shortcakes」など、お菓子の名前が多いですよね。

「バウムクーヘン」は、ご存知の通りドイツの伝統菓子で、1680年頃、木の枝に種を付けてパンを焼いたのが始まりといわれています。芯になる棒(昔は木)の部分に少量ずつ種をつけて焼く、という工程を何度も繰り返し、約一時間かけてゆっくり、じっくり、焼き上げます。腕のいい職人さんが精魂込めて作りあげるからこそ、あの独特な木の年輪模様が生まれるのです。

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森の国ドイツが生んだ、木(バウム)のケーキ(クーヘン)です。

日本ではドイツ人のカール・ユーハイムが初めてバウムクーヘンを作り、大正8年、広島県商品陳列所(後の原爆ドーム)で販売しました。今では日本人に広く親しまれている、ドイツ菓子の代表格となりました。
ちなみに年輪の模様が長寿や繁栄を意味するとして、日本では慶事の贈り物として好まれますが、地元ドイツにはそのような風習はありません。「聞いたことはあるけど、食べたことはない。」という程度の知名度だそうです。
日本人の「食への好奇心」が、うかがえますね。

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志村君も、切り口の不思議な模様に心動かされ、年輪模様と自分の人生を重ねて見ました。
FAB BOOKの中で、「(バウムクーヘンは)年輪のように何層も重なることによってできるわけで、僕という人間もフジファブリックもいろんな人やものやことから徐々にいろいろなものをもらうことによって形になるんですよね。そういうことを歌ってます。」といっています。
「Chronicle」のアルバム製作のスタートは、「僕が生まれた時から」と言っていましたっけ。
そういう意味で、志村君の28年が詰まったアルバムを象徴するような曲だと思います。

世間の人が思う「自分」と、自分が思っている「自分」の間に生まれるギャップへの葛藤。
また自分の思う「自分」が、複数いることへの戸惑い。
人間は誰でも両極を持っているものです。(「恥ずかしがりやだけど、人に喝采をあびるのは好き」、「こつこつと努力するタイプだけど、人生の岐路に立つときはいつもリスクの大きいほうを選択する」など)
それも全部ひっくるめて自分で、そんな自分と一生つきあっていかなければならないんだと開き直るまでには、大きな葛藤があります。
取り巻く環境が徐々に自分を変えていき、自分が思っていた自分ではなくなってしまうような気がして、それが恐ろしかったり・・・。
そんな苦悩を、見事に歌った曲です。

「すぐに泣いたら損する気がして 誰の前でも見せません」
「嘘をついたら 罰が当たるから それはなるべくしませんが それもどうだか分からないんです」

このフレーズには、日本人独特の道徳観や倫理観が垣間見えるのですが、それはまた後日。

今日はアルバムとは違うバージョンで、「バウムクーヘン」をお聴きください。
下から撮る志村君、幼年時代のお顔みたいです。
素朴な音、ストレートなメッセージ、かわいいお顔に富士吉田にいた頃の、志村正彦君を想像していました。
感受性豊かで、繊細で、不思議な魅力を持った、かわいい男の子だったんだろうな。