Wednesday, 15 December 2010

山梨日日新聞

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山梨に帰ってまいりました。

今回は珍しく着陸15分程前、飛行機の左下、茜色に輝く雲の中威風堂々とそびえ立つ藍色の富士山が見えました。多くの外国人が、飛行機の窓から興奮気味に写真を撮っているのを見て、「ああ、日本に帰ってきたんだな。」と、しみじみ思った瞬間でした。成田空港の通路にも「富士山に桜」の大きな写真がありますね。

山梨出身の私たちは連なる山々を見るとほっとし、「ふるさとに帰ってきたな。」という思いがいっそう強くなります。中央道八王子インターを越えたあたりからでしょうか。

そして翌朝、山梨日日新聞を読むとますます「山梨に帰ってきたんだな。」と、実感します。

東京や大きい都市に住む方々には理解し難いかもしれませんが、山梨県で生まれ育った私たちにとって、山梨の地方紙、山梨日日新聞は新聞以上の意味があるものです。
山梨県内・全国・海外のニュースが載っているだけでなく、おくやみ欄(県内の地域別に、どの町でどなたが亡くなり、お通夜、お葬式の日程、場所などが詳しく書いてある欄。これを毎日チェックします)、お誕生欄(県内で誕生した赤ちゃんのお名前、ご両親のお名前が書いてあります)は欠かせない情報で、毎日この欄は必ずチェックします。

ご近所だと「組」(同じ地域にいる住民が作る団体で、地域の清掃・組員の冠婚葬祭などを助け合うことが目的です。任意で入るわけではなく、その地域に住んでいれば自動的に組に所属することになります)の連絡でわかりますが、なかなか遠方の方だと失礼をしてしまうこともあるので、山日(サンニチ)は欠かせない情報源です。
山梨県で山日をとっていないご家庭は、中々ないのではないでしょうか。
「若い夫婦が結婚し、独立したら山日をとる」というのが、山梨県民のある意味「大人になった」基準で、それほど大切なものです。

この山日に、フジファブリックも何度も取り上げられました。
昨年12月、志村君が亡くなった時には、お悔やみ欄だけではなく追悼の記事が載り、今年の7月に富士急ハイランドで開催されたフジフジ富士Qの前には、4回にわたりフジファブリック特集がくまれました。この記事により、フジファブリックは多くの山梨県民が知るところとなった、といっても過言ではないと思います。
最近の音楽に興味をもっている若者は別として、その他の年代の人にとって山梨県出身のミュージシャンを知る機会として、山日は最大のメディア媒体といえるのです。

「もっとビッグになってから、山梨に帰ってくるんだ。」と、誓っていた志村君。

Sugar!についているDVDの凱旋ライブを観ても明らかですが、真面目に真剣に音楽と向き合っていた志村君は、「音楽をするという自分のわがままは、色々な人が自分にくれた犠牲の上になりたっている。だからこそ、大好きな地元にいる親戚や知り合いや友達の情けにおんぶしたらいけないんだ。自分一人でがんばって、つかんだものでなくてはいけないんだ。」という覚悟をもっていました。

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そのため、結果的に山梨で行った単独ライブはこの市民会館で行われたものだけとなってしまいました。
あんなにビッグになっていたのに、自分では「まだまだ」と思っていたのでしょうね。

志村君がこちらの世界にいなくなってしまった今こそ、「これほどすごいミュージシャンが山梨にいたんだ!」ということを山梨県民に知ってもらいたいと思います。あれだけ山梨を愛した志村君を、彼の生前何もしてあげられなかったからこそ、今度は山梨が彼を愛してあげたいなぁ、と思うのです。

その一番効果的な方法は、やはり山日ではないでしょうか。
山梨日日新聞の皆さん、どうぞこれからもフジファブリックの応援をよろしくお願いいたします。

志村君が一人東京を目指そうとした決意が感じられる名曲「浮雲」、お聴きください。


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