Friday, 24 December 2010

クリスマスイブに



昨年の12月24日、フジファブリック結成当初からのオリジナルメンバーであり、メインボーカル兼リズムギタリスト、バンドのフロントマンとして活躍中だった志村正彦くんが、29歳という若さで突然神様の国へ旅立っていきました。
訃報を聞いた時、なぜよりによって世の中の皆が心踊るクリスマスイブに、神様は志村君を連れていってしまったのだろうと、やるせない気持ちでいっぱいでした。

先日、一足早いクリスマスキャロルに出席し、皆さんのお話を聞いているうちにいろいろなことを考えました。

キリスト教が教義としていることを、一言でまとめるとしたら(かなり強引ですが)「愛」です。
「愛」に尽きます。

イエス・キリストは愛だけを語り、愛だけに生きたにも関わらず、短い30年の生涯の中で出会ったほとんどの人間、民衆も敵対者も自分の弟子たちでさえも、彼をまったく理解できませんでした。それは愛よりも現実的な見返りを、ほとんどの人が求めた結果でした。
大衆はローマに蹂躙されたユダヤの地を再び「神の国」にするため、イエスを目に見える形をとった救世主(メシア)として祭り上げようと、勝手な期待と興奮に沸きかえりました。弟子たちは自分たちの思い描く「リーダーシップ溢れる頼もしい師」ではないイエスを、信じることができませんでした。

歴史上の大きな戦争などを見ても明らかですが、人間というのは「正義」という名の下に集結すると、罪悪心を忘れ催眠術にかかったように、残酷なことを平気でするようになりますが、この時代(今から2000年余前)の人間も同様でした。
彼の愛の行為が政治とは無縁のものであることを知った民衆は、絶望し彼に対して憎しみを抱くようになります。そして、西暦30年の春、弟子の一人であったユダに裏切られ、十字架に両手両足を釘付けにされ、数時間の間苦しみ抜いた後、静かに息を引き取りました。かつてあれだけの数の民衆に崇められていたイエス・キリストの死を見守ったのは、彼の母親であるマリアとそのほか数名の女性たちだけでした。

彼が半生を共にした弟子たちは、彼と共に罪人となり処刑されることを恐れ、一人残らず彼を裏切り、見棄てました。イエスは弟子たちの行為に深い悲しみを抱きましたが、それでも十字架の上で「弟子たちの弱さを許してあげてください。」(同質の弱さを、私達みんなが持っている、とキリスト教ではいわれます)と、神にひたすら祈り、死んでいきました。

この臨終の様子を伝え聞いた弟子たちは、初めて己の弱さと事の重大さに気づきました。
その後、イエスが自分の命と引き換えに教えてくれた「愛」について、伝道していこうと集ったのが原始キリスト教のはじまりと言われています。

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聖書の中で、イエスは「互いに愛し合い、友のためには喜んで命を捨てなさい。」(新約聖書 ヨハネ福音書15章から)と言っています。見返りを求めず、ただひたすらその人を愛する。そしてその先にある究極の愛は、自己のためではなく人のためにある愛である、ということです。
(仏教日蓮宗の教義に、かなり近い気がしますが、すべての正しい宗教は違うルートを通り同じ頂上を目指しているはずですから、当然のことといえます。)

以上、宗教学的な見地からの「キリスト教と愛」の概要です。
私自身がキリスト教徒ではないので、冷静な立場からの分析となっていますが、ご了承ください。

愛を説いたイエス・キリストのお誕生の前夜に、なぜ志村君は神様の元へいってしまったのでしょう。
イエス様と同じ30年の生涯(数えでいうと、志村君は30歳)でした。
「歌詞の中に愛してる、という安易な言葉を使いたくない。僕自身、愛がなんだかまだわからないから。」と言っていた志村君。
生涯かけて愛を伝道したイエス様。



志村君自身はきっと自分の大好きな仕事を、ただひたすら一生懸命しているだけと思っていたかもしれませんが、結果的に私たちファンは多くのものを彼から頂きました。彼の作る素晴らしい音楽に感動し、励まされ、今でも昔と変わらず一人ひとりの心に寄り添ってくれています。

ファンのことをいつでも大切に思い、心から感謝してくれていた志村君。
仕事熱心で頑固で、人一倍寂しがりやで甘えん坊だった志村君。
志村君のご命日には、イエス様が伝えようとした「愛」を同時に思い出し、ファン一人ひとりがそれぞれの「愛」を持って志村君を想う日となりました。
世界中のキリスト教徒が「愛」について考える今宵、私達もまた毎年変わらず志村君を思い出し、感謝する日となりました。

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どうか彼を想う多くの人からの無償の愛に包まれて、穏やかに笑ってくれていますように・・・。ありがとう。

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