Friday, 8 October 2010

Akane-iro No Yuuhi Part 1 (The Madder Red Setting Sun) An English Translation of Post on 3rd Oct



I am feeling pretty nervous today to write a post on such a special song, "Amane-iro No Yuuhi" (The Madder Red Setting Sun).
Mr. Shimura said in his interview , "From a point of view that I could express my impulsive feeling into words, no other songs beat this song.  In my whole life, the thought put in this song is the strongest one among all."
For Mr. Shimura, the songwriter of this song, and also for Fujifabric fans, this song is just so special.
I am going to write on this topic next 3days.

Sei Shonagon (966-1017) wrote in her book, 'The Pillow Book (Makura no soushi)', that the dusk is the most admirable in autumn time. For more details  The Pillow Book (Penguin Classics)
Since Heian Era (794-1185), the setting sun has been so special for Japanese people.

In the world of Haiku (Japanese poetry), the setting sun is a word symbolizing summer, but afterglow looks the most beautiful in autumn due to the clear air and short daylights.
Because of the angle of the setting sun, the red, orange and yellow lights reach spread the most in the atmosphere and easily reach our eyes.



Many of Japanese nursery rhymes include the beautiful scenery of the setting sun - "Red Dragonfly" (Aka Tonbo), "Afterglow" (Yuuyake Koyake), "The Setting Sun" (Yuuhi) is well know among all Japanese.
Here are some for you.






In my hometown, Kofu City in Yamanashi Prefecture, local people can forecast the weather by afterglow over the mountains in the west.
If the setting sun looks beautiful with red and orange lights, then it will be fine tomorrow.
This old-fashioned way of weather forecast was actually often correct, so it is probably possible to prove it scientifically.

Japanese have always had this special feeling towards the time of dusk.

After the sunset, dark dark night is waiting for you. (See this post on Spooky Jacaranda to find out how Japanese feel about dusk.)
In old days, there was no street lights on, so it was jet-black darkness at night.
Travelers must have rushed back home around this time of the day.

A beautiful afterglow does not last long, so it has been symbolizing the ephemera, farewell, sadness and empathy.

It is also thought to be related to the feeling of nostalgia, too.
In the book, 'Wanpaku Tengoku" ("The Heaven of The Mischievous Boys" sorry, out of print) written by Satoru Sato, boys playing at dusk in Anjin-zuka area were lively and vividly described.
Completely forgot the time and played till sunset, and suddenly realised the time and rushed back home nearly at dinner time...
Some of you might share the same memories with us in Japan.

As long as I know, foreigners watch the sunset as one of the beautiful natural phenomena.
For example, there is a famous beach for the sunset in Oafu, Hawaii.
One of my friends, who is a Japanese-American living in Hawaii since she was born, told me that she does not gaze the sun setting with any feeling of nostalgia or ephemera.
In the traditional Japanese worldview, the transience of life is felt through the changing seasons.
The sunset dovetails perfectly with the traditional Japanese aesthetic sensibility that finds beauty not only in the red madder setting sun but also in ephemera of its nature.

Continued to tomorrow!


Wednesday, 6 October 2010

タイで人気のフジファブリックの曲 ベスト3

山梨県甲府市はただいま金木犀が満開で、窓を開けると良い香りがします。
皆さんの町ではもう咲きましたか?

今日は日本滞在最終日のため、簡単な記事をひとつ。

私の周りのタイ人に人気のフジファブリックの曲、ベスト3です。

1.茜色の夕日
2.陽炎
3.TEENAGER

ちなみにタイ人は白人同様、夕日自体を見ても特に何も感じないらしいです(笑)。
ただでさえ暑いのに、夕日なんか暑苦しくてしみじみ見たくないのかな・・・?
やはり「きれいな自然現象」としか思わないそうです。
不思議ですね。
夕日をなんとも思わない民族に、「茜色の夕日」で心を打つフジファブリック、偉大の一言!

「陽炎」も歌詞はまったく分かっていない人たちに、音楽が人気です。
歌詞をタイ語に訳すともっと好きになってもらえるのかもしれません。
アコースティック・バージョンも共に人気。

TEENAGERは、「ノリがいい!」音楽が人気。
上位2曲とまったく違うのを選ぶところが、タイ人ぽいなぁと、思いました。

今回アンケートをとったの年齢層が少々高めだったので、高校生対称だとまたちょっと違う結果になるかもしれません。


そして、世界各国から一番お問い合わせの多い?曲、ベスト1はなんと「線香花火」です!
渋いですね~~!
「銀河」「虹」などを予想していたのですが、Key Word検索でもこの「線香花火」が今のところ一番多かったです。
アメリカ、カナダなどだけではなく、ウクライナ、シンガポール、南アフリカからも歌詞の英訳リクエストがきました。
すみません・・・。
早急に致します・・・。


こちらは、おまけ。
私の周りの子供たちに人気のフジファブリックの曲、ベスト3です。

1.Cheese Burger
2.虹
3.パッションフルーツ

今日の一曲は、「Cheese Burger」です。


Tuesday, 5 October 2010

茜色の夕日 Part3 



「茜色の夕日」についての最終ポストです。

2008年5月31日、山梨県富士吉田市富士五湖文化センター凱旋ライブにて、志村正彦くんが歌った「茜色の夕日」を覚えていらっしゃる方も多いと思います。

残念ながら私はコンサートには行けませんでしたが、FAB BOXやSugar!のシングルCDに入っているDVDのおかげで、このフジファブリック史上最高の「茜色の夕日」が聴けました。
発売して下さった関係者の方々、ありがとうございました。
あの日富士吉田に行けなかった日本の、世界のファンがこのステージを見て感動を分かち合えます。

MCで志村君自身も言っていましたが、様々な思いがこもった「茜色の夕日」だったのではないでしょうか。
あの日、あのステージで志村君のそれまでの苦労は報われたのです。

大好きな地元にある憧れの会場を、自分たちの力で満員にして、あの素晴らしいステージと他県から来るお客さんの熱狂的な姿を、ご両親やご親戚に見て頂いて・・・よかった。本当によかった。
故郷に錦を飾ることができた志村君、本当に偉かった。よくがんばった。
あの凱旋ライブの重み、私たちファンは皆、分かっています。

あなたをフジファブリックファンとして、同郷の者として、日本人として、心から尊敬し誇りに思っています。


2010年7月17日、山梨県富士吉田市富士急ハイランド内コニファーフォレストにてフジファブリックプレゼンツ「フジフジ富士Q」が行われました。
志村君の夢のステージになぜ志村君がいないのか、やるせない気持ちでいっぱいでしたが、あのコンサートに行けたことは一生の思い出となりました。

奥田民夫さんが歌った「茜色の夕日」。


彼の歌唱力やパフォーマンスに感動したというより、志村君の憧れの大好きな先輩がフジファブリックの代表曲をこの夢のステージで歌ってくれたということに、何より嬉しく感動しました。
日本の音楽界でも一流の呼び名の高い奥田さんが、志村君の地元で彼の歌を歌ってくれたんだ。
よくがんばった。
その思いで、聴き入っていました。

地元での凱旋ライブに喜ぶ山梨県民ですが、この地元への思い入れというのも、各民族独特です。

個人的な経験からすると、華僑は生活の中のしきたりや中華民族にはこだわりますが、土地にはあまり執着がありません。
さすが世界に散らばり、その土地でたくましく生きている民族だと思う時もしばしばです。

その代わり、タイ人はふるさとに対して日本人と似た思いがあると思います。
特にイサーンと呼ばれる東北地方出身のタイ人は、自分の県の歌手が有名になると(ルーク・トュングと呼ばれる地方独特の演歌のようなものがあります)テレビを見ながら大騒ぎ(笑)。
同県でなくとも、バンコクにいる東北出身者というだけで、お互い親しみをもつそうです。
自分の県から出た政治家に嫌らしい期待をするところも、日本と似ています(笑)。

家族・親戚・隣近所との絆が深いという点も、大きく作用しているかもしれませんね。

そして、この「茜色の夕日」はタイ人に大人気です。
私の知り合いは、曲の背景の説明を聞いた後、「気持ち分かるわ。」と言って涙ぐんでこの曲を聴いてくれました。

タイ人の心には響くものがあるようで、ファンとしては大変嬉しいです。


そんな訳で3日にわたり、いろいろな視点から「茜色の夕日」を見てきました。

どのような解釈があろうとも、この曲が名曲であることは変わりません。
純粋な一人の青年が、心を込めて書いた曲。
フジファブリックファンの方、ひとり一人が特別な思いで聴いているこの曲です。
この名曲が、世界の名曲となる日も近い!
そう思いませんか?


Monday, 4 October 2010

茜色の夕日 Part2



今日は、いよいよ曲の本筋に触れたいと思います。

文化的背景を分析し説明することで、日本語の分からない外国に居る方々にフジファブリックの世界をより深く味わってもらいたい、というのがこのブログの大きな目的の一つであります。

そのため、今日は日本のファンにはご存知の方も多いとは思いますが、「茜色の夕日」ができるまでのいきさつを考えてみたいと思います。

この曲は2002年にインディーズでリリースされた1st ミニアルバム「アラカルト」、2004年リリースのプレデビューアルバム「アラモルト」、2005年9月にリリースされた「FAB FOX」とCD音源としては3バージョンあります。
それだけフジファブリックとして思い入れが深い曲であり、また彼らの音楽的変遷が感じられる曲のひとつです。

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FAB BOOKの中で、志村正彦くんは「地方から上京してきて、春、夏が過ぎ、大したこともなく秋を迎えた。そんな時、自分は素晴らしい音楽に出会って救われた。だから特にロックファンだけではなく、同じような境遇にいる普通の大学生、普通の人たちに聴いてもらえたらいいな。」という趣旨のことを言っています。

そして2008年5月31日に山梨県富士吉田市富士五湖文化センターで行われた凱旋ライブで、志村君が歌ったあの「茜色の夕日」ほど美しいものはありませんでした。

前回のポストで説明しました「夕日を眺めた時の日本人の心情」も、合わせてご参考ください。


東京で夕日を見ながら、いろいろふるさとのことを思い出している。
沢山の思い出が、淡々と少しずつ思い出されてくる。

それは、日曜日の朝、一人道を歩いたことだったり、初恋の「君」のことだったり、どうしようもない悲しみであったり、子供の頃の短い夏が終わる時の寂しさであったり。
郷愁の念にかられます。


志村君は、山梨県下でも指折りの名門校に通っていました。
その中でも成績優秀者だった彼が、どのような覚悟をもって「ミュージシャン」を自分の職業として将来やっていこうと思ったのか。

ミュージシャンも含めて芸術家というのは、人に感動を与える素晴らしい職業でありますが、やはり「不安定な」仕事であるというのも事実です。
いくら自分がいいと思うことをしていても、いつ芽がでるかわからないし、芽がでるとしてもそれがいつになるかは全く分からない。

一生世間が認めてくれないこともありますし、人気が出なければ安定した収入は望めないわけです。
山梨ではいまだに「長男格」という思いも強く、志村家の長男がそれを全部分かっていて、なぜ「ミュージシャン」を選択したのか。

このままいけば有名な大学に入ることはほぼ確実であるのに、なぜそれを選択しなかったのか。

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その理由として志村君は、「いつでもつまらなそうな周りの大人をみて、自分はそういう大人になりたくなかった。」と言っています。
また、「大した努力をしないで、適当に生きているのは嫌だ。」とも、言っています。
このまま高校を卒業して、まあまあいい大学に入って卒業し、まあまあいい会社に入って定年まで・・・。
それに甘んじる自分がもうすでに見えているから、そちらの道を選択すればそうなるに決まっている。
だから、自分が打ち込める大好きな音楽の道を選んだと言っていました。
苦労の多い険しい道をあえて選択したのです。
「生きる」ことに、とても真面目な方だったに違いありません。


日本の社会は白人社会のように、個人の合理主義的な「自己責任」のみで成り立っているわけではなありません。上手くいかなかったからといってすぐに諦めて地元に帰ってくる、そう間単にはいかないのです。

都会に比べて地方にはまだ、日本古来の「恥の文化」がいくらか残っていると思います。
江戸時代の薩摩藩(鹿児島県)などが有名ですが、日本では自分で何かをしでかし、それが世間では受け入れられないとみなされた場合、その罪は本人だけが背負い刑罰に処されれば終わり、ではなく家そのものの「恥」となるわけです。
そのため、罪を犯した本人が切腹をしてお上と世間にお許しを乞うことにより、家は免罪されるのです。

世界の先進国の中でも類を見ないほどの日本の治安の良さは、日本古来の恥に対する美意識と伝来した儒教が上手く相互作用して可能になっているとドナルドキーン博士は言っています。
物事が物理的には許されても、精神的には許されない。
そんなところがまだ山梨にはあるのではないでしょうか。

ご両親思いだった志村君、彼の純粋さと優しさゆえになかなか他人には言えない苦しみが数多くあったと思います。

その覚悟で上京したものの、予期していた以上に道は険しく、なかなか思うように進まない。
そんな時に、大好きだった山梨を思い出して作った曲がこの「茜色の夕日」です。



明日は「富士五湖文化センターとフジフジ富士Q 茜色の夕日」へと続きます。

Sunday, 3 October 2010

茜色の夕日 Part1



昨日、日本に帰国しました。
千葉・東京・神奈川を抜け、山梨の美しい連なる山並みに差し掛かったとき、ちょうど美しい夕日が見えました。
ふるさとの秋の夕暮れは昔のままでした。

今日は「茜色の夕日」について、書きたいと思います。
とうとうこの時がきたかと、ちょっと緊張しながら書いています。
志村君が「自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはない。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない。」と言い切った「茜色の夕日」。
志村君にとってもファンにとっても、特別な一曲。
今日から何日かに渡って、書いていこうと思います。


清少納言(966-1025)が枕草子の中で、「秋は夕暮れ 夕日のさして山の端 いとちかうなりたるに、 からすのねどころへ行くとて、 みつよつ、 ふたつみつなど 飛びいそぐさへあはれなり」(秋は夕暮れがいい。夕日があかあかとさして、山際に沈む頃、カラスがねぐらに帰ろうと、3,4羽、2,3羽ずつかたまって、急いで飛んでいくのさえ心に沁みる。)と言っています。
平安の頃から、夕日は日本人の心を打っていたのですね。

俳句の世界において「夕焼け」は夏の季語ですが、秋は空気が澄み日が短くなっていくことから、美しい夕日が見られる季節です。
科学的には、太陽の沈む角度により赤・黄・橙の光線が特に散乱し目に届くというのが、美しい茜色の夕日の正体だそうです。

昔から親しまれている童謡にも夕日を扱ったものが多く、「赤とんぼ」、「夕焼小焼」、「夕日」は日本人なら誰でも知っています。
(もしよろしかったら、久しぶりにお聴きください。)







私のふるさと山梨県甲府市では、「諏訪口(西方に連なる山)に夕焼けが出たら、明日は晴れ」と、よく言っていた覚えがあります。
大抵あたっていましたし、地元の知恵に勝るものはありませんから、これも科学的根拠があるのかもしれません。
きっと西が明るいと明日は晴れ、というような地元に基づく天気予報が他地方にもあるのでは?

日本人は夕暮れ時に特別な思いを感じてきました。

逢魔時、夕日が沈むと夜の闇が待っています。(逢魔時についてはこのポストを参考にどうぞ モノノケハカランダ
昔は街灯などないので、夜になれば真っ暗闇。
旅人はこの時刻、必死に宿へと急いでいたでしょう。

美しい夕日は短時間で終わってしまうため、儚さ、別れ、切なさ、哀れというもののあはれの象徴となってきました。



また、郷愁の念をもつのも日本人です。
佐藤さとる著「わんぱく天国」には、夕日の中で元気に遊ぶ按針塚の少年たちが生き生きと描かれています。
時間を忘れて日が暮れるまで遊び、ふと気がつけば晩御飯の時間になっていて、大急ぎで走って家に帰る。
そんな情景を思い出す方も多いでしょう。

私の知る限り、外国人は「美しい自然現象」として夕日を眺めることが多いのでは、と思います。
ハワイのオアフ島には夕日で有名な「サンセット・ビーチ」という浜辺があり、夕暮れ時には観光客、白人や日系人などで賑やかになりますが、日系2世3世の方々ですら、夕日を「もののあはれ」や、郷愁の念と結びつけて眺めている訳ではないと言っていました。
これも日本で生まれ育った日本人、独特の感情かも知れません。

      

「茜」色も日本固有の名称のような気がしますが、こちらは西洋、東洋問わず各国で使われています。
茜という植物の根を染料として使って染めた色が「茜色」です。
日本では少し暗い赤色を「茜色」と元来言うそうですが、英語ではやや明るい茜色(日本で言う緋色に近いもの)をMadder Redと呼ぶそうです。

日本の色彩は着物などにも用いられ、色名を眺めるだけでもその奥深さに魅了されます。

では、続きは明日。


Saturday, 2 October 2010

Fujifabric in U.S.A



The 4th album, "Chronicle" was successfully recorded in Sweden in 2009, and Fujifabric was (is)
planning to expand their market seeking a global audience.
Roger Joseph Manning Jr. (former founding member of Jellyfish), Merrymakers and a lot more musicians cooperated with Fujifabric and released wonderful albums.

Today, please allow me to introduce you an interesting indie music blog, Obscure Sound run by Mr. Mike Mineo in New York, U.S.A.
His professional insight about indie music is outstanding as a result of his adept experience, and unlike the majority of the music websites in the west, a great variety of music from foreign countries are introduced there.
I strongly recommend this website to music lovers all over the world.

As Mike introduces quite a few rock bands from Japan, Fujifabric has been highly evaluated for their 3rd album, "Teenager" released in January 2008.
Please find more details in Comfortable Fujifabric for a Teenager.

For Fujifabric fans in Japan, it is exceedingly encouraging to see our favourite band is recognized as a rock band with great instrumental technique and flair with stellar songwriting skill in the field of west-born music.

Mr. Shimura could not see his dream comes true, but the other three members, Mr. Daisuke Kanazawa, Mr. Souichiro Yamauchi and Mr. Shinichi Kato announced that they will continue their activity as Fujifabric, so let's liven them up!

Enjoy listening to "Kinen Shashin" and "Strawberry Shortcakes", which celebrated their high evaluation in the country beyond the Pacific Ocean.




Friday, 1 October 2010

世界のFujifabric アメリカ編



4th アルバム「Chronicle」をスウェーデンで収録するなど、世界を視野に入れて音楽活動をしていたフジファブリック。
今日はちょっと趣向を変えて、我らの?フジファブリックが海外でどのような評価を受けているのか、ご紹介したいと思います。

まず、アメリカからです。
とても興味深いサイトを見つけましたので、ご紹介します。
音楽ジャーナリストであるマイク・ミネオさんの運営する Obscure Sound (直訳すると「無名の、良く知られていない音」の意)という、世界のインディーズ音楽を紹介するサイトです。

日本からもいくつかのバンドが紹介されていますが、2008年3月の記事でフジファブリックの3rd アルバム「Teenager」を非常に高く評価なさっています。Fujifabric "Teenager"


以下、拙いながらも概要を訳させていただきます。
ぜひ英語の原文も合わせてどうぞ。


海外のインディーズ音楽に興味があるアメリカ人達は、輸入CDが高価なため(一枚$40はするそう)なかなか手を出しにくいけれども、その中で絶対に損のないものをお勧めしよう。
それがこのフジファブリックの「Teenager」だ。
今まで日本のバンドBoris, The Pillows, B'zは西洋の音楽界でそれなりの評価を得た。


けれども、この素晴らしいバンドFujifabricにおいては、歌詞が日本語で書かれてはいるけれど、楽器演奏のセンスの良さと一流の作詞作曲力は一目瞭然で、リスナーの母国語が何語であっても関係ない。


今度のアルバムでは前作までに比べ、楽器演奏、作詞作曲の両方で成長した。


オルガン、シンセサイザー、金管楽器などの他楽器を取り合わせる才能が、今までのロッカーと一線を画する。


Fujifabric の今までの音楽から、彼らの音楽はどういうものかと分類するのは非常に難しいが、The Shins (アメリカのインディーズロックバンド)の日本版とも表現できるかもしれない。


どちらにしても、志村正彦と他のメンバーの巧みに作り出すパワーポップとインディーズロックの両方の要素を含んだ熱いギターフックは、素晴らしい。


このアルバムの中で「Strawberry Shortcakes」は何か新しいことをしたという点において、特に高く評価したい。
バンド音楽の場合、ギターとリズムに頼って売れる曲を作ろうするが、この曲はぐるぐる渦巻くようなオルガンとシンセサイザーにリードされ、素晴らしいコーラスがオルガンとギターをまとめあげる。
また、志村正彦の快活な歌声が、補完的な役割をしてこの音楽が成り立っている。


「Surfer King」もこのバンドの成長し続ける創造力の例といえる。
敏速なリズムに乗ったギター、オルガン、金管楽器。
色々なジャンルの音楽が一緒になっていて、伝説のPizzicato Five (日本のインディーズバンド)を思い出す。


「記念写真」はなめらかなギタープログレの並びとすばやいキーの移動が相まって、愛さずにはいられない曲に仕上がっている。
今年(2008年)3月までに聴いた外国のアルバムの中で、私は最高のアルバムと評したい。




日本だけでなく、海外でもこのように高い評価を得ていたのですね。
志村正彦くんという一人の青年が亡くなったという悲しみだけでなく、改めて彼が居なくなってしまったことは日本の音楽界の大きな損失であったと痛感しました。
志村君、あなたは本物の天才だった。

でも私達に沢山の名曲を遺してくれましたし、金澤君、山内君、加藤君はフジファブリックとして続けていくと発表してくれましたから、これからも世界中の人々に彼らの音楽が届くよう日本のファンとして盛り立てていきたいですね。

今日は海の向こうアメリカで絶賛された「Strawberry Shortcakes」と「記念写真」です。