Tuesday, 24 May 2011

富士山駅 シンボルは大鳥居

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7月1日の富士山山開きに合わせて、地元の人や観光客に長年親しまれてきた富士急行線の「富士吉田駅」(同市上吉田)が、名称変更して「富士山駅」になります。

詳しくは、こちらの山梨日日新聞の記事をご覧ください。



古くからある富士信仰の面影が周辺に多数点在する「富士吉田駅」を、富士登山や周辺観光の拠点として観光客に印象付け、「富士山に一番近い鉄道」として知名度アップしたいという狙いがあるようです。
そして「富士山駅」のシンボルを、朱色に塗った大鳥居にすると発表しました。

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地元富士吉田の人達は、どのように感じているのでしょうか。

富士山は、富士山周辺の市町村にとってとても大きな存在です。財政難を解決する大切な収入源であり、国内外に知名度を上げる格好の「観光名所」であることも確かです。

昭和26年、南都留郡下吉田町・明見町・富士上吉田町の3町が合併して、富士吉田市が誕生。県内2番目、郡内最初の市でした。合併した町のひとつ「富士上吉田町」も、明治8年(1875年)上吉田村・松山村・新屋村が一緒になって福地村になり、その後昭和22年(1947年)、同村が町制施行により改称した町名でした。
私の知る限りでは、それ以前、富士吉田地域で「富士」の名が市町村名についているというのは、なかったのではないかと思います。

富士吉田市の歴史からみれば(富士吉田市大明見には「古屋敷遺跡」という縄文から平安時代にかけて作られたとみられる遺跡がある)、自分たちの住む地名に「富士」がつくようになったのも、ごく最近のことといえるかもしれません。

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しかし名称、知名度、観光収入源ということも大切ですが、富士山周辺に住む人達にとって、富士山が精神的にどれほど大きな存在であるかということを、思い出さねばいけないと思うのです。
今回の富士吉田駅の構想、1788年天命の頃より富士登山者を送り出してきた神聖な金鳥居の近くに、鳥居を建てるというのです。
もともと鳥居というものは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神の地への入口を示すものなのです。神域へ入る「門」なのです。そんな神聖なものを、一企業が建てていいのでしょうか。

聖なる山、富士山の名前を商業目的のために駅名に用い、長年地元の方々や富士講の信者たちに信仰されてきた神聖な金鳥居の近くに、イメージアップのために鳥居を建てるという発想。その人間の驕りが、私には信じられないのです。

フジファブリックファンの方たちは、志村正彦くんにとって富士山がどれほど精神的に大きな存在だったかご存知だと思います。志村君ほどの思いを皆がもっているわけではないですが、それでも富士山は大切な存在であり、日本が世界に誇る聖なる山なのです。

「富士山駅」誕生まで約1ヶ月と迫った今日この頃、福島第一原発事故などのニュースを新聞で見ながら、そんなことを思いました。

今日の一曲は、「笑ってサヨナラ」です。
志村君の知らない富士吉田が、また一つ増えていきます。

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