Thursday, 7 April 2011

桜の季節 手紙 

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日本各地から桜の便りが届いています。
春爛漫を絵に描いたようです。
常緑樹の緑と落葉樹の枝ばかりの茶の中に、ほこっとほこっと薄ピンク色の山桜が見える山梨の山。御坂町の桃の花も、きれいでしょうね。
甲府盆地が、濃淡のピンク色に染まる季節です。
(以前は桃の花のほうが、10日ほど桜より遅かった記憶があるのですが、最近ではほぼ時を同じくして開花するようです。)

今年の冬は雪が多く寒さも厳しかったので、例年よりも待ち遠しかった春。
東北の被災地でちらほらと咲き始めた桜が、被災者の皆さんの心を和ませてくれていますように。

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今日も「桜の季節」です。

失恋のショック、近しい人の死、新しい出会いなどが曲を書くきっかけになっていると言っていた志村君。これは生涯変わらない信条だったようです。
一人でいるのは孤独感がありつつ、同時に男として美学でもある。
でも、「一人でもいいや」と本気で思うようになったらそこに安住し、心の中の満たされない想いはなくなってしまうわけで、それでは曲作りに結びつかなくなる。「誰かに、何かを分かってほしい。」という気持ちが曲を生み出すためには大切なのだ、という彼独特の哲学をもっていました。

「桜の季節」では手紙と桜を通して、その想いが歌われています。

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手紙について、志村君らしいエピソードが記事になっていました。(「音楽と人」2004年5月号)
今はメールがあるから、なかなか皆、手紙を書くということがないけれど、そんな中、時折誰かから手紙を受け取るとハッとする。その「ハッとする」感じを、曲でだしたかったのだそうです。
志村君ご本人は上京中も、富士吉田にいるお母様からよく手紙をもらっていたとインタビューでも言っていますが、それがモチーフになったのかな、と個人的に思いました。

きっと本人に問えば、「そんなことないっすよ。」と、いわれそうですが。

ちなみにインタビュアーに「お母さんに返事書かなきゃ。」と言われると、「書かないです!恥ずかしい。」と、テレながら答える様子が書かれていますので、息子が母親に手紙の返事を書くというのは、志村君の美意識に少々反することだったようです。

千昌夫さんの「北国の春」ではないですが、ふるさとのお母さんから送られてくる手紙や小包は、都会で一人奮闘している時、心を和ませてくれたり慰めてくれたり、逆に里心がついて寂しくなったり・・・。やはりメールより、手書きの手紙は心が伝わるものですね。

曲の中で「僕」が書いた手紙は、自分自身で読み返しては感動しているのみで、結局出さずに終わり、相手に届くことはありませんでした。手紙を書いて、そこで終了している曲。
そこで「ひとりぼっち」が表現されています。
4th アルバム「Chronicle」で歌われるものとは全然違う孤独感。
富士吉田の春を感じるこの曲です。

「桜の季節」、お聴きください。



2 comments:

ice blue norm said...

ice blue normです。

今、関西は桜が満開です。
毎年この季節を楽しみにしていますが、今年は例年以上に感慨深くなってしまいます。

今回の記事で、疑問が解消されました。
「作り話に花を咲かせ、読み返しては感動している♪」のところが、どういうことなのかな、といつも考えていました。やはり、そういうことだったのですね。

別れた人を思う気持ちが強すぎて、あまり余って
こうなってしまうのでしょうね。分かります。

Jack Russell in Bangkok said...

ice blue norm さん、コメントありがとうございます。

関西も桜が満開なんですね!
同じ花を見るのでも、民族によって捉え方がまったく違います。
白人がバラを愛でるのは、満開の時。日本人は散り行く桜に、心を奪われます。

そんな桜にのせて孤独感を歌う志村君の才能は、桜と同様、世界に伝えたいものですね。
今頃志村君、富士吉田の桜を堪能しているかなぁ。