ここ二週間というもの、私の住んでいるタイでは、夜になると土砂降りの雨と空を裂くような雷に見舞われ、雨季の終わりを感じています。雨が降り止むと、家の裏の草原にはチカチカと蛍の光が飛び交い、カエルの声が聞こえてきます。
のどかな田舎の風景です。
のどかな田舎の風景です。
今からちょうど一か月前の9月26日には、富士山の初冠雪が観測され(「富士山 初冠雪」 日本気象協会 2018年9月26日付記事)、麓の街、山梨県富士吉田市では一気に秋が深まりました。ここ最近は、朝晩の冷え込みが厳しくなり、今週の日曜日(2018年10月28日)からは、最低気温が10度に届かない日ばかりが予想されています。来年の春まで、温かい朝はおあずけですね。
タイのように四季のない国にいると、時々無性に四季が懐かしくなります。
庭に咲く金木犀の香り、神社の境内に落ちていた和グルミの殻、高く澄んだ空、赤や黄に紅葉する葉。
そして、夕方になると暗い草陰から聞こえる虫の音。
夏の間聞こえていた蝉の声とは、同じ虫の声でもなぜこんなに趣が違うのでしょう。
タイにも音を奏でる虫は居ますが、これほどの種類の虫の音は聞いたことがありません。
「多くの種類の虫たちが、それぞれの声と節、トーンでいっせいに鳴いているのにも関わらず、美しいハーモニーになっている。」という当たり前のことが、なんと感動的でしょうか。
鈴虫「リイイン、リイイン」
松虫「チンチロリン、チンチロリン」
こおろぎ「キリキリキリキリコロコロコロ」
他にも、邯鄲、クツワムシ、大和鈴、キリギリス、馬追など、秋の夜長に美しい音色を奏でる虫は、日本全国で実に30種類余りもいるそうです。
諸事情により、すぐに虫の音を聴くことができないファンの皆様に、或るサイトをご紹介したいと思います。日本鳴く虫保存会本部
万葉の古代から歌人や作家の心を代弁し、これを読む人に感動と希望を与えてくれる虫の音。最近では開発、都市化により虫たちが減少していることを憂い、鳴く虫を保存したいと考える方々が、昭和42年に「日本鳴く虫保存会」を発足しました。色々な活動をしていらっしゃいますが、このサイトにある「フォトギャラリー」では、35種類の虫の音を聴くことができます。
このような会やサイトが存在することが驚きであり、日本人の虫に対する並々ならぬ情熱を感じます。
日本人が古くから虫の音を愛でた理由というのは、声音が美しいということだけではありません。虫たちの生命の儚さが大きく関係しています。
美しい音色を聞かせてくれる虫たちは、晩秋になると静かに草むらの陰で死んで生きます。あの音色はオスがメスを誘う恋の歌であり、恋が実った後には肉体は消えて無くなってしまうのです。
美しい声音と、一瞬しか続かない生命の儚さが、秋の夜長に聞こえる虫たちの声を一層美しく、そして愛おしくします。四季の移ろいに心打たれ、芸術を愛でる繊細な感性に加え、もののあはれを感じる虫の音は、日本人の心をとらえて離しません。
フジファブリックの「虫の祭り」でも、志村君の研ぎ澄まされた感性が光ります。
「虫」と「祭り」は、一見「物寂しさ」と「賑やか」に代表されるような「対照的なもの」というイメージがありますが、実は古くから日本人に好まれてきた組み合わせでした。
その様子を小泉八雲が、「虫の演奏家」(小泉八雲 (1990). 日本の心 講談社)の中で幻想的に描写しています。
明治時代、お祭りでは鳴き声観賞用の虫たちが小さな竹籠に入れて売られていました。
次回に続きます。
松虫「チンチロリン、チンチロリン」
こおろぎ「キリキリキリキリコロコロコロ」
他にも、邯鄲、クツワムシ、大和鈴、キリギリス、馬追など、秋の夜長に美しい音色を奏でる虫は、日本全国で実に30種類余りもいるそうです。
諸事情により、すぐに虫の音を聴くことができないファンの皆様に、或るサイトをご紹介したいと思います。日本鳴く虫保存会本部
万葉の古代から歌人や作家の心を代弁し、これを読む人に感動と希望を与えてくれる虫の音。最近では開発、都市化により虫たちが減少していることを憂い、鳴く虫を保存したいと考える方々が、昭和42年に「日本鳴く虫保存会」を発足しました。色々な活動をしていらっしゃいますが、このサイトにある「フォトギャラリー」では、35種類の虫の音を聴くことができます。
このような会やサイトが存在することが驚きであり、日本人の虫に対する並々ならぬ情熱を感じます。
日本人が古くから虫の音を愛でた理由というのは、声音が美しいということだけではありません。虫たちの生命の儚さが大きく関係しています。
美しい音色を聞かせてくれる虫たちは、晩秋になると静かに草むらの陰で死んで生きます。あの音色はオスがメスを誘う恋の歌であり、恋が実った後には肉体は消えて無くなってしまうのです。
美しい声音と、一瞬しか続かない生命の儚さが、秋の夜長に聞こえる虫たちの声を一層美しく、そして愛おしくします。四季の移ろいに心打たれ、芸術を愛でる繊細な感性に加え、もののあはれを感じる虫の音は、日本人の心をとらえて離しません。
フジファブリックの「虫の祭り」でも、志村君の研ぎ澄まされた感性が光ります。
部屋の外にいる虫の音が 祭りの様に賑やかで皮肉のようだ
「虫」と「祭り」は、一見「物寂しさ」と「賑やか」に代表されるような「対照的なもの」というイメージがありますが、実は古くから日本人に好まれてきた組み合わせでした。
その様子を小泉八雲が、「虫の演奏家」(小泉八雲 (1990). 日本の心 講談社)の中で幻想的に描写しています。
いつの日か日本へいかれるのなら、是非一度は縁日へ足を運ばれるとよい。縁日は夜見るに限る。無数のランプや提灯の光のもと、ものみなこの上なく素晴らしくみえる。
小泉八雲(1990). 虫の演奏家 日本の心 講談社 pp.312
明治時代、お祭りでは鳴き声観賞用の虫たちが小さな竹籠に入れて売られていました。
次回に続きます。