自分の故郷、富士吉田を愛することで知られる 志村正彦君。
実は生前、フジファブリック フロントマンとしての雄姿を山梨で見せてくれたことは、数えるほどしかありませんでした。
2008年5月に行われた市民会館(富士五湖文化センター)でのライブDVDの中、「茜色の夕日」前のMCでご本人が言っている通り、「市民会館を普通のお客さんで満席にできる実力がつくまで、山梨でライブはしない。」と、堅い誓いをたてていたことが大きな理由でした。
あの凱旋ライブが大成功をおさめましたので、きっとこれから山梨でのライブにも出演してくれるようになるだろうと思っていた矢先に、志村君は突然神様の元へと旅立って行きました。
そんな中、第8回インターネット音楽祭(2005年12月8日)でFM FUJI賞を、フジファブリックが受賞したのを皆さんはご存知ですか。
詳しくは、こちらをご覧下さい。第8回インターネット音楽祭
FM FUJIは、山梨県を放送対象地域とするラジオ局です。
1988年8月8日8時8分に開局しました(漢数字の八が、富士山の形に似ているため、験担ぎです)。
当時の中高生にとっては、「イマドキの音楽を流してくれる山梨発のラジオ局!」という劇的な?印象で、バンドを組む学生たちには大人気でした。自分がリクエストした曲が流れたりすると大騒ぎして、翌日クラスで話題になるほどでした。
旧社屋は甲府市丸の内にあり、開局当時は私も友達と通りすがりを装い、見に行ったりしたのを憶えています。
インタビューの中で、志村君も「FM FUJIはずっと聴いていたので嬉しいです」と、コメントしていますね。私たちと似た感覚で志村君も学生時代、このラジオ局を聴いていたのかもしれません。
「地元の山梨県でライブをやってみたいです!まだやってないんで」とも語っています。
自分に厳しい人でしたから、生半可なことでは故郷の地を踏むことはできないと思っていたのでしょう。近しい人からの厚意に甘え、上辺だけ「故郷に錦を飾る」のはいやだ。「本物」になって、帰ってくるんだ。
素晴らしいミュージシャンとして高評価されていたにも関わらず、結局2008年5月まで山梨でライブをすることはなかったのです。
「陽炎」に関する箇所で(フジファブリック Special Interview 「虹」)、「山梨にいた時間は、自分の中で輝かしいもので、知り合いのミュージシャンなんかで『あの頃に戻りたくない』と言っている人もいるけど、僕は戻りたくってしょうがない」と言っています。彼の心の中で、富士吉田はかけがえのない大切な場所だったのだと思います。
私が地元ファンとして一番残念だと思っていることは、あれだけ故郷を愛した志村君に、山梨の私たちは何一つ大したことはしてあげられなかったということです。ただただそれが、悔やまれます。
ですからこのFM FUJI賞を志村君が受賞したという記事を見て、とにかく嬉しかった。私は直接何も関わっていないけれど、少しだけ「山梨」が恩返しできたような気がして、勝手に嬉しかったです。
そんな記事です。
今日の一曲は、久々に「茜色の夕日」です。
フジファブリックの名曲です。