(当日の空 新倉浅間神社にて撮影)
2013年7月14日(日)
この日も朝から晴天に恵まれ、気持ちのよい夏空の下、志村正彦君にとって特別な場所、三国第一山 新倉浅間神社(山梨県富士吉田市新倉)、通称「忠霊塔」でイベントが開催されました。
本番を控えて、出演者全員で本殿前にてお参り。
出演バンドはほぼ前日13日と変わりませんでしたが(本城さんと、中西さんがご都合により欠席。)、地元富士吉田の桑原さんと、フランスからいらしたショーン・レノー君が仲間に加わってくれました。
大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんの中に入って、ショーン君はフジファブリックの曲の中でもファンが多い「タイムマシン」を、見事ピアノ独奏してくれました。
(ショーン君はお客様のアンコールに応えて、二度演奏して下さいました。)
演奏の模様は、NHK「まるごと山梨」(7月23日に山梨地域限定で放送)と「情報まるごと」(8月1日に全国ネットにて放送)でも放送されましたので、ご存知の方も多いと思います。
その後TwitterやSNSなどのネットでも、人気を集めているあのフランスのショーン君。出演した感想を、寄せてくださいました。
「富士山と志村くんに近いあの神社で弾けて、よかったです。 僕は一人で弾いたので緊張しました。 たくさん間違えてしまったけれど、好きな曲を弾けてうれしかったです。」
(Sean Lenoir )
ショーン君は会場入りしたのが遅かったため、ほとんど練習もできずに臨んだステージでしたが、胸を打つ素晴らしい演奏でした。
志村正彦君が遺してくれた曲は、こんなにもいい曲ばかりだったかと思いながら各バンドの演奏を聞いていましたが、ショーン君の弾く「タイムマシン」を聴いていたら、自然に涙が出てきました。
優しい音色で始まる出だしから、あのメロディの旋律を奏でるピアノの音。
平凡な幸せに憧れ、悩みぬく日日を歌った歌詞。
志村君の声がピアノにのって聞こえてくるようで、なんとも切ない気持ちになりました。彼の不在が、胸をしめつける瞬間でもありました。
ショーン君の奏でるピアノは、まっすぐ私達の心に響いてきましたよ。
ショーン君、どうもありがとうございました。
(桑原真弘さん)
このほかの出演者も、感想を寄せて下さいました。(順不同、敬称略)
(尚、私の不手際より、感想を頂戴することができなかった出演者の皆様、この場に掲載できず、大変申し訳ありません。連絡先を持ち合わせていない等、諸々の理由により、掲載叶いませんでした。謹んで、お詫び申し上げます。)
(本城さん、下吉田倶楽部でのお写真を使用させて頂きます。)
「 本来 志村さんの故郷へ足を踏み入れる事ができただけでも嬉しいの に、その地でフジファブリックを唄い、 そしてギターを弾かせていただいたという事は本当に自分の誇りで す。
志村さんが富士五湖文化センターでのLIVEで語った“ 今までの事は報われた”という事を、恐縮ですが僕も思いました。 僕も音楽がしたくて、 生まれ故郷の鹿児島を出て名古屋に行きました。 そして志村さんと同じように、 大人になっていく友達をいつの間にか羨ましく思ったりもしました 。そんな自分にもずっと苛立ちを持っていました。 しかしながら、ファブリック専務バンドを組み、 その結果下吉田でのLIVEに出演ができ、 富士吉田の方々の優しさやフジファブリックへの思いが伝わり心一 杯演奏をすることができました。 緊張もしたのですが、 僕の目の前には高校の時に同じ部活で青春を過ごした親友2人と、 その後ろに志村さんが乗っていたバイクなどがあり、 そのバイクに肩肘立てて志村さんが観ているのではないかと思い感 情のバロメーターを振り切って演奏ができました 。
志村さんが生まれた場所に行けただけでも幸せですが、その地でギターを弾いて、唄を歌えて、言葉にならない幸せとフジファブリックを感じることができました。ありがとうございました。」
(フジファブリック専務バンド 本城靖明 )
「先日は皆様のお陰で、 普段体験できない環境で無事楽しく演奏をさせていただくことがで きました。
志村さんも少しでも喜んでくれてたらいいなぁ…と思います。
こんなに素敵なイベントを企画・運営してくださった皆様、 素敵な演奏を聞かせてくださった共演者の方々、 驚くほどのお心遣いをくださったご家族の皆様、 温かく見守ってくださったお客さま、 本当にありがとうございました!」
(サムライ祭り。があるので今日は定時で帰りたいです。 すいません部長。 )
(namellowさん、14日は私がステージ裏で準備中だったもので、お写真の撮影ができませんでした。前日のお写真にて、失礼致します。)
「メンバーみんなで話していましたが、改めて富士吉田の方々、 志村さんを想う方々の暖かさが素敵だと実感できました。
また、神楽殿では、 マッチレスのアンプにギブソンを繋いで志村さんの残した目印シー ルのセッティングのままに音を出してみたときと、 東京FMの茜色の夕日をあの場で聴いたとき、 本当に志村さんが目の前にいるような感覚を覚えました。
本当に、夢のような2日間でした。ありがとうございました!
僕個人としては、 実は喉の調子が最近あまりよくなかったことを懸念していたのです が、神楽殿では練習よりずっとうまく唄えました。
もしかしたら志村さんが手助けしてくれたのかな。 なんて都合良いように思ったりしています笑」
(namellowの唄い手 はみんぐばーど )
「非常に楽しい日が過ごせました。
1日目は、緊張し、志村君のファンの皆様の前で、 演奏を間違わないようにだとか、歌詞を忘れないようにだとか、 もうテンパっていまして訳も分からず終わってしまいました。
夜、ふと考えたんです、楽しかったなーって、 でもこの楽しさを与えてくれたのは、
志村君がいて、フジファブリックがいて、ファンがいて、 家族がいて、スタッフさんがいて
なんかもう、お陰様がありすぎてありすぎて、 俺ってどうしようもねーなーなんて思って、
ありがとうございましたと、こころで唱えました。
2日目は、ふわふわと雲の中にいるような気分で、 続々とファンの方たちがあの坂道を上ってくる姿を見て、 イヤーほんとスゲーって これだけ人の心を動かす志村君の存在がスゲーって、 みんな気を付けて帰ってねーとか、 もうそういう言葉がひびきまして
ほんと勉強になりました。
ありがとうございました。」
(藤本マリオ )
「前回に引き続き僕達が出演できたのは本当に沢山の方々のおかげな んだというのをずっと考えていました。 本番の前後はあまり気持ちに余裕もなくそんなに気が回らなかった のですが、終わってから一人になった時に企画や準備、片付け、 富士吉田に集まってくれた人達に改めてお礼を言いたいと思いまし た。
僕達はわずかな時間で、しかもちょっと恥ずかしい演奏でしたが、 このイベントに参加できた事にとても感激をしています。 同じ地元という事を抜きにしてのめり込んだ15歳の時、 あの時から憧れてばかりです。 そんなただの一ファンですが、 参加させて頂き本当に皆さんに感謝しています。 そして何よりも志村正彦さんに感謝しています。 人生を変えられました。 どうもありがとうございました。」
(Fox Pharmacy 渡邊大地 )
アコースティックギター二本で出来ることは限られていますが、 フジファブリックの魅力の一つは楽曲の振り幅にあると思うので、 今回は色々なタイプの曲に挑戦してみました。 フジファブリックの曲は決して簡単ではありませんが「 つい弾きたくなる」フレーズが多く、どれも大好きな曲です。 沢山のフジファブリックファンの前で演奏させて頂きましたが、 自分たちも、 たまたま少し楽器をやっているだけのただの一ファンなので、 ものすごく緊張しました。 失礼のないように沢山練習してきたつもりですが、 本番となると間違ってしまった所も多かったと思います。 それでも演奏が終わった後は、 皆さん温かい拍手を下さって本当に嬉しかったです。 色々な人のお陰で、いくつもの貴重な経験が出来た三日間でした。 本当にありがとうございました。 僕はフジファブリックのお陰で音楽の楽しさを知って、 それからどんどんのめり込んで今に至ります。民生さん、 GREAT3、TRICERATOPS、メレンゲ、 スパルタローカルズ…もちろん洋楽も、 沢山の素敵な音楽を志村さんに教えて頂きました。 それだけで十分感謝なのですが、色々な出来事が重なり、 いつしか自分も音楽を志すようになりました。 以前、僕は生意気にも『僕にとって志村さんは、 志村さんにとっての民生さんです』 とメッセージノートに書いたことがあるのですが、 その言葉が誰にとっても失礼にならないように、 これは決して簡単なことではないと思いますが、 一生懸命努力していきたいと思います。
(Fox Pharmacy 三橋亮太 )
会の最後に私が、志村家の皆様からファンの皆様へのメッセージを代読させて頂きました。
いつもは決して表舞台に立つことのない志村家の皆様ですが、「いつも遠くからお墓参りに来て下さるファンの方々に、常々お礼を伝えたかった。本来ならば一人一人にお礼を言いたいけれど、なかなかそうもいかないので、この機会を通して皆様へ気持ちを伝えたい。」というご意向から、実現致しました。
ご家族からの丁寧な感謝の言葉と、正彦君のご友人からの手紙を紹介させて頂きました。2006年の7月頃、「地元にいつか帰りたいけど、しっかり音楽で恩返しできるまでは帰れない。いつかは地元でスタジオを開いて、若いミュージシャンを応援してあげたい。」と、志村君はご友人に語っていたそうです。(ご友人のお手紙より)
夢が叶うことはなかったけれど、遥かなる時と距離を越えて、志村君の思いはあの日の私達に届きました。ただただ、「ありがとう」を言いたいです。
志村君、どうもありがとう。
叶うことのなかった夢へ会場中が思いを馳せていた時、ご家族が大切に保管してあったテープが流されました。2005年、FM 東京で放送された、志村君の奏でるアコースティックバージョン「茜色の夕日」でした。ご家族から会場に集った皆様への、心のこもったプレゼントでした。
志村君の歌声が聞こえてきた時、フジフジ富士Qの最後に「若者のすべて」が流れてきた時と同じ気持ちになっていました。
彼の音楽と歌詞に、そして彼の真面目な人間性と純粋な心に、これからも多くの人が魅了され続けていくと思います。
「世界の皆さんに、フジファブリックの音楽の素晴らしさをご紹介する」というのがこのブログの趣旨ですが、志村正彦君が彼の楽曲の中で、彼を大好きなファンやミュージシャン、ご友人、ご家族の中で、今までもこれからも、ずっとずっと生き続けていることをお伝えできるブログでありたいと思います。
今日の一曲は、「茜色の夕日」です。志村君自身のような曲です。
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