2012年12月24日(月)
いよいよ志村正彦君のご命日を迎えました。
この日も富士吉田は快晴で、綺麗な富士山が志村君の晴れ姿を見に(聴きに?)訪れたファン達をお迎えしてくれました。
富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)内 ふじさんホール入口と市民ギャラリー1階・2階などで12時から午後5時まで、志村正彦君の思い出の品々 展示コーナーが設けられました。
開演のセレモニーとして昨年に引き続き、実行委員による合唱「大地讃頌」からのスタートです。
皆さんもご存知かと思いますが、この曲は志村君も中学生時代に合唱で歌った曲で、富士五湖文化センターでの凱旋ライブ、フジフジ富士Qでも開演時に流れました。
「大地讃頌」は、混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」の第7楽章ある中での最後を締めくくる曲であります。中学生などの合唱コンクールや卒業式などで歌われている曲です。
富士吉田市では、中学校の合唱でこの曲を歌うのが伝統となっており、志村君の母校である下吉田中学校でも、中学3年生のときに歌う学年全体の合唱曲であります。年齢が違う人も知っている共通の歌であり、青春時代の思い出です。
志村君も中学時代に歌っていた時は、歌詞の意味なんて考えていなかったかもしれませんが、この生まれ育った故郷を愛し、感謝し、褒めて、頌(たた)えるという郷土愛そのものの歌であり、きっとそんな気持ちでこの富士吉田を思っていたのではないでしょうか。
一番最初に並んでくれていたファンの方は、この大地讃頌をどうしても聞きたかったとのことで、早く来てくれたそうです。昨年の展示会と今回の企画展もみんなの中で繋がっているんですね。
「大地讃頌」の歌詞です。
母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら 人の子 その立つ土に感謝せよ
(人の子ら 人の子ら 土に 感謝せよ)
平和な大地を 静かな大地を
大地を誉めよ 頌(たた)えよ 土を
恩寵の豊かな 豊かな 大地 大地 大地
(我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)
頌えよ 頌えよ 土を
(誉めよ 頌えよ)
母なる大地を 母なる大地を
頌えよ 誉めよ 頌えよ 土を
母なる大地を ああ 頌えよ大地を ああ
受付では、昨年も配布された下吉田てくてくMAP~志村正彦編~が2012年バージョンとなって配られました。志村君の同級生のお店や、縁の地などが書かれており、手書きの感じがすごく良くて、温かみのあるMAPです。
昨年好評だったので、和紙っぽい感じで今年もつくりました。
皆さん、2012年バージョンで変わっていた点は気付きましたか?
2階への階段を上がるとギャラリー中央には、志村君の大きな写真が飾られました。2010年1月21日に東京・中野サンプラザで執り行なわれた「志村會」で、帽子をかぶってちょっとよそ行きの顔をしながら、お花でできた富士山の頂上から皆を見つめていたあの写真です。
「やはり、これを展示するのが一番苦労しました。
実家から運んでくるにも技術が必要であり、そこは昨年の苦労を経験している同級生メンバーで運びました。
場所を決めるにも悩みました。
高さがあって1回には置けないことや、見に来た人が驚くような場所はどこかな~なんて。
実は、あの写真の後ろには、有名な人の高価な絵画が展示してあって、それを取り外すことはNGということで、急遽「織物」の布を絵画にかぶせちゃいました。
その綺麗な布を展示物の下にも敷くなどしたそうです。
さすが!「フジファブリック」ですね。」
(実行委員 談)
実行委員の判断は見事です。
主な展示物は、
幼少期よりインディーズ時代とメジャーまでの写真の数々、
愛用のギター、キーボードなどの楽器や機材、
ピアノの練習時に使った楽譜、
同級生との思い出の赤いベンチ(今年も登場!)、
凱旋ライブの時に掲げられた横断幕、
ステージやインタビュー時に着用した衣装や靴や帽子、
国内外のファンから贈られた寄せ書き・絵、
幼い頃の工作、
等々でした。
展示した写真については、昨年開催した展示会に使った写真のほか、新たに20枚を厳選して追加しました。
選んだ同級生は、プライベートの正彦っぽい感じの写真を選んだとのことでした。
実は企画展前日の準備では、写真を昨年の展示で飾ったものと、今回追加したものを分けて飾っておりましたが、当日の朝に変更して、年代順に並べ替えたときいております。
コンセプトとして、大人になった正彦が若返っていき、子供の頃に戻る「原点回帰」をイメージしたようです。
衣裳については一部ではありますが、前回の企画展のレポートをご参照ください。(
2012年1月10日付 志村正彦展 企画展レポート2 2012年1月16日付 志村正彦展 企画展レポート3)
今年は衣裳の横に、その衣裳を着てステージに立つ志村君の写真も併せて貼られていて、来場者によりわかりやすい展示の仕方になっていました。
年を重ねるごとに、進化しています!
「展示物の一部に、富士五湖文化センター(市民会館)凱旋ライブの時にグッズとして作られたうどんのどんぶりの中に、においのする木の実や葉っぱ(ポプリ?)が入っていましたが、最初は何も表示してなかったので、皆さん素通りでしたが、途中から『正彦の東京の部屋のにおい』とのコメントを表示した途端、みんな足を止めてにおいをクンクン。
少しの気配りによって、何でもないものが大切なものへと大変身。何か不思議ですね。」
(実行委員 談)
今年新たに加わった展示物の中で、私が一番心打たれたのは「幼少時の志村正彦君」コーナーでした。
保育園の時(2歳)に作った貼り絵、母の日に寄せてクレヨンで描いたお母さんの予定表かけ(「おかあさん ありがとう」というメッセージつき)。
実はこの予定表かけ、正彦君が小学校に上がってからも、お母さんが子供達の予定表をかけて使っていたそうですが、引越しの時に処分されそうに。それをお母さんが、また大切に保管しておいたそうです。
小学校のときに、粘土で作った自画像は、大きな口を開けていて、まさに歌を歌っているようです。
これらを見ていると、他の子供たちと何も変わらないあどけない幼少期が垣間見られて、私の中の「志村君」がより立体的になった気持ちになりました。
子供の頃のものがこんなにきれいに保存されていることだけをみても、思い出を大切にした志村君、またご家族の思いが伝わってきます。
「虹」のPVに登場したギターも展示されました。
「おやじのギターです。親から受け継いだギターです。」と、「虹」のメーキング映像の中で志村君が語っていたあのギター。(DVD「FAB CLIPS」より)
2005年4月17日の春にしては暑かった日、フジファブリックと共に撮影に臨んだギターです。
ギターの横に置かれていた添え書きを記しておきます。実行委員作成です。
初めて手にしたギターであり、元々は親父のギターであり、高校のとき、ご実家の倉庫で発見したもので、『虹』のPVでも登場したものです。正彦にとって、アーティストを夢見るきっかけにもなったギターです。正彦は『志村日記』(『ビザールギター』2005年9月15日付)の中で紹介しています。
また、『虹』のPVを見たご家族が、「これお父さんのギターじゃないの?」と気付き、お父さんは「一番壊れてもいいギターだから使った」と、照れてましたが、きっと正彦は今までの感謝の気持ちを家族に伝えたかったんだと思います。
また、同じ日記の中で、地元に帰ってきた正彦はこう言っています。
2月8日 「人はこうやって成長するのか」
雑誌の取材で、地元・富士吉田に行く。自分が通っていた高校で撮影したのが、ちょうど授業中というのもあり、先輩の母校訪問でも、まったく騒がれることはなし。校舎の一部が取り壊しになっている最中。なんか、不思議な気分だった。
卒業して8年ぐらい経っているわけだが、上京した頃から自分の中身はほとんど変わっていないと思ってた。それこそ女の子に対する感情も。けど、母校の高校生をみて、自分も変わったんだなと思ってしまった。やっぱり東京に来て、感覚でいろんな音楽を聴いて、いろんなことを知ってきたのと同時に、自分も変わってきてるんだと実感した。そして、実家には帰らずに、名物の吉田うどんをたべて帰ってきた。
「倉庫で長く日の目を見ることのなかった昔のこのギターが、まだPVだけですけど登場させられてちょっと嬉しいです。そのうちライブでも登場させようか。音は良いです。今売ってるギターではこの音は絶対出ません。」と、「志村日記」の中で語られていたギター。
メーカーの名前が「honey」で、機種名が「happening」という、ハニーにハプニング?というネームセンスが気にいっているともいっていましたね。
フジファブリックだけでなく、お父様と息子さん、お二人にとって思い出のギターです。
大切なものを公の場で見せてくださり、本当にありがとうございました。
今回の展示コーナーには、読み物も多数展示されました。
下吉田倶楽部にあった甲府市立城西高等学校の小論文が、24日には市民会館で展示されたのに加え、
アニーさんによる「マリブロ マリオン編集部員のお仕事日記」、ファンの間では「志村君と信玄餅」として広く知られる記事も掲示されました。
志村正彦追悼「THE SONG REMAINS THE SAME」第2回 桔梗屋信玄餅
地元らしいトピックで志村君が語っている楽しい記事は、会場に一花添えてくれました。
志村君がむこうの世界へ旅立つたった10日前にインタビューを受けた記事。悲しみに暮れる中、私が強烈に憶えている記事の一つであります。将来のお嫁さんに買ってあげたいという箇所は、何度読んでもグッときてしまいますが、本当に温かかった。
この記事を会場に貼ってくれた実行委員の感性に、感激です。
山梨県民にとって、桔梗屋信玄餅は他県の方におみやげで買うことはあっても、自分で食べる目的のために買うということはほとんどないので(どうですか?山梨の皆さん)、志村君も東京に行ってから初めて「地元のお菓子」として意識したのではないでしょうか。
さて次回は、企画展レポート最終回となります。