前回に引き続き、展示品のご紹介です。
「ご来場できなかった多くのファンのために、臨場感をもってお伝えしています!」と、いうと聞こえが良いのですが、記憶の糸を辿りながらこの記事を書いているため、順路通りに記事は続いてまいります。
楽しい赤ベンチの次は、正彦君の主に幼少時代から高校卒業までの写真コーナーです。
ご家族と一緒の七五三、保育園のお遊戯会(全身真っ白で、目の周りを黒く縁取ったパンダさん)、卒園式、下吉田第一小学校入学、「陽炎」でおなじみの「隣のノッポ」と一緒に写した納涼カラオケ大会、お祭り、小学校の遠足(正面でピースしている)、小学校の修学旅行、合宿(旅行?)の脱衣所、山日杯富士吉田市少年野球大会、吉田高校入学式、フジファブリック旧メンバー・現メンバーとのスナップ、などなど。
小中高の卒業アルバムも飾ってありました。
「小さい頃は、がっちりしていたんだな。」
「昔から、あまりお顔は変わっていないんだな。」
「こんな少女漫画から抜け出たような少年が、クラスにいるってありなの?」
「この子が、ああいう音楽をかいたんだ。」
皆さんいろいろな感想をお持ちになったと思いますが、私個人的にはこのコーナーを見るのが一番辛かったです。「Chronicle」からは、想像もつかない天真爛漫であどけない表情ばかりで、志村正彦という人が生きた29年間の重みを感じました。
また、この写真に一緒に写っている友人たちが、この企画展を支えてくれているのかと思うと・・・感無量でした。
幼年時代の写真が比較的新しかったのが、何より辛かった。
ウルウルしていてはいけません。列は前に進みます。
次は思い出の衣裳コーナーです。
「あ!これはあの時の・・・。」と思った方、多かったのではないでしょうか。代表的なものを、数枚掲載致します。
羽のついた帽子をかぶり、このカーディガンを着て、「Surfer King」(「ロックの学園」)を歌っていたのを思い出しました。案外生地が薄かったんだな、というのが第一印象でした(向こうが透けてみえるほど)。
2008年ぐらいから、洒落た衣裳を身にまとい、ステージに立つ事が多くなりましたが、「音楽だけで勝負する!」と頑なにいい続けていた初期の頃、Tシャツにジーンズ姿が定番だった志村君も、個人的には大好きでした。
最後の最後まで、音楽をこよなく愛し、音楽一本で勝負していた人でした。
着飾る必要のない内面から滲み出る美しさを持っている人ですので、外見をどうアレンジするかなんて些細なことは、どうでもいいと思う・・・なんていうと、若い女性ファンたちに怒られちゃいそうですね。
これは忘れもしない、2008年5月31日、富士吉田市民会館で行われた凱旋ライブの時に、着ていたTシャツです。ファンにとっても、きっとご本人にとっても、思い出の一枚でしょう。
このTシャツの開いた胸ぐりから見えた心もとない鎖骨が、私は忘れられません。変ないい方でごめんなさい。でもあの胸元が、今までの苦労を全部物語っているように思えてなりませんでした。「よく、がんばったね。」
「夢の地元ライブ、おめでとう!」
皆の思いが焼きついた、特別な一着です。市民会館で展示されるにふさわしい一枚だったと思います。
これは「両国国技館ライブDVD」で着ていたTシャツです。ノリノリの楽しそうな表情を思い出します。よく見ると、このTシャツも結構凝ってますね。
そしてこの帽子とズボン。「Chronicle」の付属DVDに出てくる帽子と同じ型のものでしょうか。(DVDに出てくる帽子は、「ストックホルムで無くした。」と、言っていましたから、別物かと思われます。)意外に頭の上のボンボンが大きくてびっくり。ざっくりと手編み風で、かわいらしい一品です。
このズボンも「Chronicle Tour」で、履いていましたよね。特徴のある形です。
そういえば、フジフジ富士Qのときに、Puffyも似たような形のズボンを履いていました。あの頃の、流行だったのでしょうか。
このほか、まだまだ多くの衣裳が展示されました(計Tシャツ8枚、カーディガン1枚、長袖Tシャツ1枚、ショートコート1着、革ジャン1着、ズボン1本、帽子3つ)。
志村君が亡くなった後フジファブリックと出会ったファンにとって、ライブで志村君に会える機会は、残念ながらもうありません。そんな中、映像や画像でしか見ることのない洋服を至近距離で見ることによって、志村君の存在をより身近に、現実味を帯びて感じられたのではと思います。
大切なものを、快く私達ファンに見せて下さったご両親様、本当にありがとうございました。思い出の洋服が、今でもまだ志村家のたんすにあるんだと思うだけで、ファンは幸せな気分になれるのです。
この衣装の数々と一緒に、柴宮夏希さんの描いた1st album「フジファブリック」のジャケ原画(発売されて皆さんのお手元にあるものとは、微妙に違うバージョン)と、志村君から夏希さんに贈られたとっとこハム太郎のニット帽、フジフジ富士Qの時、関係者や出演者だけに配られたスペシャルギフトボックス(夏希さんのデザイン)が、ご本人からのメッセージ付きで飾られていました。
柴宮夏希さんは、インディーズの頃から1st albumまでのCDジャケットを手がけたアーティストです。志村君とお年が近いこともあり、インディーズ時代はバンドスタッフも平行して担当していらっしゃったという、フジファブリックを語るには欠かせない方です。
ジャケ原画は、フジファブリックのメンバーひとりひとりの個性を上手く描き出してある、見事なものでした。絵の力は、やっぱり実物を見て感じるものだな、と思いました。(それを言ったら、レポートを書く者として失格ですが・・・)
あの紙にあの絵の具で描いてある原画は、フジファブリックというバンド、そしてアルバムに収められた楽曲の素朴な魅力を、的確に伝えています。
1st albumのクレジットタイトルを見ると、「art direction 志村正彦 柴宮夏希」とありますので、志村君自らアルバムのデザインに携わっていたと思われます。仕事仲間であり、気の合う友人だったのでしょう。
志村正彦夢のステージ、「フジフジ富士Q」のスペシャルギフトボックス(フジフジ富士Q関係者、出演者にのみ配られたもの。DVDを買うと、おまけで付いてくるカードと同じデザイン画が施されている箱)も、夏希さんのデザインです。
温かみの伝わる楽しい絵です。
次回は、いよいよ楽器です!
フジファブリックの素晴らしい音色は、この楽器たちがいたからこそ!
ギターアンプ、エフェクター、作曲に使われたPCもご紹介致します。
今日の一曲は、「記念写真」です。
「記念の写真 撮って 僕らはさよなら
忘れられたなら その時はまた会える
手紙に添えられた 写真見たりするんだろうな
染められた君を見たのなら 何を思う?」
そんなことを考えながら、この写真を撮っていたのかなと、会場で感じずにはいられませんでした。
(You Tubeの映像が見つかりませんでしたが、皆さん、ぜひ聴いてみて下さい)
「ご来場できなかった多くのファンのために、臨場感をもってお伝えしています!」と、いうと聞こえが良いのですが、記憶の糸を辿りながらこの記事を書いているため、順路通りに記事は続いてまいります。
楽しい赤ベンチの次は、正彦君の主に幼少時代から高校卒業までの写真コーナーです。
ご家族と一緒の七五三、保育園のお遊戯会(全身真っ白で、目の周りを黒く縁取ったパンダさん)、卒園式、下吉田第一小学校入学、「陽炎」でおなじみの「隣のノッポ」と一緒に写した納涼カラオケ大会、お祭り、小学校の遠足(正面でピースしている)、小学校の修学旅行、合宿(旅行?)の脱衣所、山日杯富士吉田市少年野球大会、吉田高校入学式、フジファブリック旧メンバー・現メンバーとのスナップ、などなど。
小中高の卒業アルバムも飾ってありました。
「小さい頃は、がっちりしていたんだな。」
「昔から、あまりお顔は変わっていないんだな。」
「こんな少女漫画から抜け出たような少年が、クラスにいるってありなの?」
「この子が、ああいう音楽をかいたんだ。」
皆さんいろいろな感想をお持ちになったと思いますが、私個人的にはこのコーナーを見るのが一番辛かったです。「Chronicle」からは、想像もつかない天真爛漫であどけない表情ばかりで、志村正彦という人が生きた29年間の重みを感じました。
また、この写真に一緒に写っている友人たちが、この企画展を支えてくれているのかと思うと・・・感無量でした。
幼年時代の写真が比較的新しかったのが、何より辛かった。
ウルウルしていてはいけません。列は前に進みます。
次は思い出の衣裳コーナーです。
「あ!これはあの時の・・・。」と思った方、多かったのではないでしょうか。代表的なものを、数枚掲載致します。
羽のついた帽子をかぶり、このカーディガンを着て、「Surfer King」(「ロックの学園」)を歌っていたのを思い出しました。案外生地が薄かったんだな、というのが第一印象でした(向こうが透けてみえるほど)。
2008年ぐらいから、洒落た衣裳を身にまとい、ステージに立つ事が多くなりましたが、「音楽だけで勝負する!」と頑なにいい続けていた初期の頃、Tシャツにジーンズ姿が定番だった志村君も、個人的には大好きでした。
最後の最後まで、音楽をこよなく愛し、音楽一本で勝負していた人でした。
着飾る必要のない内面から滲み出る美しさを持っている人ですので、外見をどうアレンジするかなんて些細なことは、どうでもいいと思う・・・なんていうと、若い女性ファンたちに怒られちゃいそうですね。
これは忘れもしない、2008年5月31日、富士吉田市民会館で行われた凱旋ライブの時に、着ていたTシャツです。ファンにとっても、きっとご本人にとっても、思い出の一枚でしょう。
このTシャツの開いた胸ぐりから見えた心もとない鎖骨が、私は忘れられません。変ないい方でごめんなさい。でもあの胸元が、今までの苦労を全部物語っているように思えてなりませんでした。「よく、がんばったね。」
「夢の地元ライブ、おめでとう!」
皆の思いが焼きついた、特別な一着です。市民会館で展示されるにふさわしい一枚だったと思います。
これは「両国国技館ライブDVD」で着ていたTシャツです。ノリノリの楽しそうな表情を思い出します。よく見ると、このTシャツも結構凝ってますね。
そしてこの帽子とズボン。「Chronicle」の付属DVDに出てくる帽子と同じ型のものでしょうか。(DVDに出てくる帽子は、「ストックホルムで無くした。」と、言っていましたから、別物かと思われます。)意外に頭の上のボンボンが大きくてびっくり。ざっくりと手編み風で、かわいらしい一品です。
このズボンも「Chronicle Tour」で、履いていましたよね。特徴のある形です。
そういえば、フジフジ富士Qのときに、Puffyも似たような形のズボンを履いていました。あの頃の、流行だったのでしょうか。
このほか、まだまだ多くの衣裳が展示されました(計Tシャツ8枚、カーディガン1枚、長袖Tシャツ1枚、ショートコート1着、革ジャン1着、ズボン1本、帽子3つ)。
志村君が亡くなった後フジファブリックと出会ったファンにとって、ライブで志村君に会える機会は、残念ながらもうありません。そんな中、映像や画像でしか見ることのない洋服を至近距離で見ることによって、志村君の存在をより身近に、現実味を帯びて感じられたのではと思います。
大切なものを、快く私達ファンに見せて下さったご両親様、本当にありがとうございました。思い出の洋服が、今でもまだ志村家のたんすにあるんだと思うだけで、ファンは幸せな気分になれるのです。
この衣装の数々と一緒に、柴宮夏希さんの描いた1st album「フジファブリック」のジャケ原画(発売されて皆さんのお手元にあるものとは、微妙に違うバージョン)と、志村君から夏希さんに贈られたとっとこハム太郎のニット帽、フジフジ富士Qの時、関係者や出演者だけに配られたスペシャルギフトボックス(夏希さんのデザイン)が、ご本人からのメッセージ付きで飾られていました。
柴宮夏希さんは、インディーズの頃から1st albumまでのCDジャケットを手がけたアーティストです。志村君とお年が近いこともあり、インディーズ時代はバンドスタッフも平行して担当していらっしゃったという、フジファブリックを語るには欠かせない方です。
ジャケ原画は、フジファブリックのメンバーひとりひとりの個性を上手く描き出してある、見事なものでした。絵の力は、やっぱり実物を見て感じるものだな、と思いました。(それを言ったら、レポートを書く者として失格ですが・・・)
あの紙にあの絵の具で描いてある原画は、フジファブリックというバンド、そしてアルバムに収められた楽曲の素朴な魅力を、的確に伝えています。
1st albumのクレジットタイトルを見ると、「art direction 志村正彦 柴宮夏希」とありますので、志村君自らアルバムのデザインに携わっていたと思われます。仕事仲間であり、気の合う友人だったのでしょう。
志村正彦夢のステージ、「フジフジ富士Q」のスペシャルギフトボックス(フジフジ富士Q関係者、出演者にのみ配られたもの。DVDを買うと、おまけで付いてくるカードと同じデザイン画が施されている箱)も、夏希さんのデザインです。
温かみの伝わる楽しい絵です。
次回は、いよいよ楽器です!
フジファブリックの素晴らしい音色は、この楽器たちがいたからこそ!
ギターアンプ、エフェクター、作曲に使われたPCもご紹介致します。
今日の一曲は、「記念写真」です。
「記念の写真 撮って 僕らはさよなら
忘れられたなら その時はまた会える
手紙に添えられた 写真見たりするんだろうな
染められた君を見たのなら 何を思う?」
そんなことを考えながら、この写真を撮っていたのかなと、会場で感じずにはいられませんでした。
(You Tubeの映像が見つかりませんでしたが、皆さん、ぜひ聴いてみて下さい)
2 comments:
第3弾ありがとうございます☆
写真は結構笑っちゃいました。
まず小さい頃の体型にビックリしました。
ほんとにがっちり(笑)
あと、高校の卒業アルバムの写真の髪型(笑)
可愛かったです。
その時の表情はフジファブリックの志村正彦になってからも良く見る顔でしたね。
でも確かにジャックさんのおっしゃる通り、CHRONICLEからは想像もつかない表情ばかりで切なくなりますね。
私は志村くんを生で見ることは出来ませんでしたが、映像や画像で見たことある衣装がたくさんあったのですごく嬉しかったです。
ほんとに大切にとっておいてくださってるご両親に感謝します。
すでに第4弾もアップされてるんですね!
読ませていただきます。
有難うございました。
くるみさん、
コメントありがとうございます。
「絶対泣かないでおこう。」と、思って気合を入れて会場入りしたのに、結局このコーナーで撃沈しました・・・。
やっぱり・・・ご親戚や、幼い頃から親しくしてきた仲間たちの前で、私のようなただのファンが涙を見せるのは心苦しく、がんばったのですが・・・だめでした。
29年間の「志村正彦」という人の人生の重みを、感じました。
大切にとってあるお洋服も、ファンのために見せてくださって、本当にありがたいと思いました。
ご両親にしてみれば、「フジファブリック 志村正彦の思い出の品」ではなく、かわいい息子のかけがえの無い洋服なのですから。
ミュージシャン以前に、かわいい息子さんなのです。
企画展の後、ご自宅に持って帰ってから、小学生の息子の洗濯物をたたむのと同じように、あの衣裳をたたんで又たんすに入れたのかと思うと・・・切ないです。
神様は時々、「どうしてこんな辛いことを」ということをなさいます。
志村君は皆に愛され、それだけ愛される価値のある素晴らしい人だと、何よりもそれを感じる企画展でした。
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