今日はフジファブリックファン、志村正彦君のファンの皆様に宛てて、あるお願いがあります。
皆様の心の中にある、純粋無垢で素直な場所をオープンにして、私の言葉に耳を傾けて頂けたら幸いです。
以下青色の文字で書かれた文章は、昨年開催された「志村正彦展」実行委員の一員であり、同級生の方からのお願いです。
ファンがお供えした色とりどりの花に囲まれて、花畑のようだった正彦のお墓が、今年の夏ぐらいから様子がおかしいのです。
以前は花だけでなく、コーラもコーヒーも煙草も、時にはファンが置いていったCDや手紙などを見かけたこともありました。それを見る度に、「正彦は今でも、こんなに大勢の人に愛されてるんだなぁ」と、彼の友人として嬉しく思っていました。
ところが、ある一部のファンの人が、ご家族に断りもなく、勝手にお墓の管理をしているようなのです。
善意でやっているとは思いますが、正彦のご家族が望んでいないのであれば、今までどおり、そっとしといてもらいたいです。お墓の管理をするのもご両親の生きがいであり、ファンからのお供え物など、迷惑だなんて感じておらず、感謝の気持ちでいっぱいのはずです。
その方がどんなことをしているのかというと、頻繁に富士吉田に来てはお墓参りをし、お墓に供えてある花が枯れないうちに片付けたり、お墓参りのルールをつくり注意文を提示したり、(お供え物はお花とお線香以外は持って帰るなど)灰皿を勝手においたりしています。
また菩提寺に置いてあるノートについても、ファンが挟んだ手紙を勝手に抜き取ったりしているようです。
そのような行動は、ファンとして一線を越えており、自己満足に近いと思います。
その方のガイドにより、志村正彦の縁の地など、富士吉田市を案内してもらっているファンの人達も、多いと思われますが。
その方のルールはあくまで自分でつくったものであり、ご家族の意思ではないことを認識しておいてほしいです。
多分、正彦だったら、「俺のお墓参りは程々でいいから、自分の先祖のお墓をきれいにしなよ」って言いそうかな?
正彦ゆかりの地も、ファンが自分で行くからこそ感じるものがあるわけだし、それを写真に撮ってみたところで、ただの風景に過ぎません。大多数のファンは、写真では伝わらないものを感じるために、富士吉田を訪れたいと思っているのじゃないですか。
「志村正彦展」でも感じましたが、富士吉田市に訪れてくれている志村正彦ファンは、本当に心暖かい愛情のある人達ばかりで、こんなにすばらしいファンが大勢いる正彦は、俺たちの誇りです。
正彦は、みんなの心の中で永遠に生きているはずなので、みんなの志村正彦として、これからも音楽を通じて大切にしていってほしいです。
同級生の方の思いです。
通常、私達がお墓参りに行くのは、自分の先祖や生前親交のあった大切な方のお墓がほとんどです。なぜならお墓とは、ご先祖様や大切な人がご供養されてある場所であると同時に、お参りする人にとって心の拠り所となる神聖な場所だからです。
亡くなった方のご冥福を祈り、自分とその方との絆を感謝する場所なのです。
それは世に名を知られる人の場合でも同様で、当然のことながら、志村正彦君についても例外ではありません。
皆様ご存知の通り、フジファブリック公式の場所では、志村君のお墓の所在や菩提寺について、一切発表はされておりません。
なぜならば、お墓とは本来、神聖でプライベートな場所であるからです。
今まで正彦君のお墓参りをしたことのあるファンは、
「知り合いから教えてもらった」
「ネットで知った」
という、ある意味、間接的なご縁でいらっしゃった方がほとんどだと思います。
ただ、志村君の場合は若くに急逝したということもあり、昔からのファンはもちろんのこと、亡くなった後にファンになった人は、やり場のない気持ちをどうしていいかわからず、お墓参りをすることで、その悶々とした思いを昇華させているのではないでしょうか。
そのファンの気持ちを温かく受け止め、本来ならばプライベートな場所であるお墓ではありますが、訪ねてくるファン達の意を汲み取り、志村家のご家族はじめご親戚の皆様、また菩提寺さまも、お墓参りを見守って下さってきました。
それは、大勢の皆様の温かいご厚意により、はじめて成り立っていたわけなのです。
お墓以上の適所が思い当たらないファン達は、自分の思いを綴った手紙や、「志村君のために・・・」と持ってきたプレゼント(嗜好品や、小さな贈り物)などを、墓前にお供えしてきました。そしてそれらの品々は、ファンの気持ちに深く感謝する志村家の皆様が、正彦君の代わりに大切に保管してきて下さったときいています。
それがある日を境に、極端に少なくなってしまったのです。
上記で言及されている「菩提寺に置いてあるノート」について。
お参りをすませたファンの皆様はご存知のことと思いますが、菩提寺のご本堂には、或るノートがおいてあります。
これはファンの人達が自由に自分の思いを書き込むためのノートです。
現存する数少ない「志村君とファンが繋がることの出来る場所」として、ファンにとっては心の拠り所となっている大切なものです。
ご住職の深い理解を賜り、ご厚意で置いてくださってあります。法要や年中行事などご多忙にも関わらず、いつ伺ってもご家族皆様で温かく迎え入れてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
「あたたかい心も やさしい思いも 行いになって はじめて見える」
菩提寺の門に、掲げてあった言葉です。
仏法を自ら見せて下さる菩提寺の皆様。
ぜひ皆様のご負担にならぬよう、時間帯(早朝、夕方5時以降は避けるなど)に配慮をするなどして、ファンの皆様、報恩と致しませんか。
また、志村正彦君に宛ててあるこのノートは、菩提寺と志村家の方々が管理をし、保管すべきものであるということを、ぜひファンの皆様一人一人にご理解頂きたいと思います。
家から書いてきた手紙を貼ったり、長い時間をかけて志村君への思いを直接ノートに書き込むファンもいます。
皆さんの思いの詰まったノートは、手紙と一緒です。
ファンの皆様は、志村君がファンに頂いたものを、どれほど大切にしていたか知っていらっしゃるでしょう。
特に手紙は、彼にとって特別なものでした。
2009年3月16日付の「志村日記」を読んでみて下さい。
「手紙を下さい。手紙は勇気づけられます。お恥ずかしながら。インディーズの頃から今までファンの皆様から頂いた手紙は全て取って置いてあります。一通たりとも捨ててません。家に保管してあります。」
お墓参りにいらっしゃる志村正彦ファンの皆様。
志村家のお墓には、正彦君の他に志村家のご先祖様も供養されています。
お墓にお供えしてある花、お線香、その他の品々は、全て正彦君と志村家のご先祖様のためにお供えしてあるものです。
お墓を管理し、片付けるのは、志村家のお勤めです。
皆様と同様、一ファンである私が、同級生の方のお願い文に添えて、このようなことをいうのは差し出がましいと重々承知しておりますが、志村君のファンだからこそ、黙って見過ごすわけにはいかないと思いました。
ファンの皆様、どうぞお願い致します。
良識ある行動をもって、志村君への感謝の気持ちとしませんか。
人間には「想像する・推察する」という、素晴らしい能力があります。
最愛の家族や友人を亡くした方の気持ちは、どういうものか。
どうぞお察し下さい。
宜しくお願い致します。