Wednesday, 29 February 2012

サボテンレコード


皆様、ご無沙汰しております。

諸事雑用に追われる人間など関係なく、季節はどんどん過ぎていき、バンコクは一年で一番暑い真夏を迎えようとしています。
三日前、庭に咲き乱れるブーゲンビリアの木の下で、今年初めてのセミが鳴きました。日本のセミとは違い、タイのセミは日の高いうちはなりを潜め、朝日が昇る頃と火が沈む頃にだけ鳴きます。熱帯の華やかなイメージとは異なり、日本のセミよりひとまわり小さな体で、ひっそりしっとりと鳴きます。
「小さなセミ・薄明かり・ブーゲンビリア」が、私の中でタイの真夏のイメージになりました。

山梨は今朝、雪が降っていました。
結構積もったそうですが、立春を過ぎて降る雪はもう春の雪でしょうか。午後になると、もう溶け始めてきたようです。
明日から3月。春の足音がきこえます。

さて、久しぶりにフジファブリックの曲紹介と致しましょう。



今日の一曲は「サボテンレコード」。

私の大好きな曲のひとつです。
最初に聞いた時の衝撃は、今も忘れません。

なんといっても、フジファブリックは好きな曲を選ぶのが本当に難しい!
季節や気分によって好きな曲が変わるのは珍しくないのでしょうが、B面を含め、どの曲をとっても甲乙つけ難いため、「一番好きな曲」を選ぶのは非常に難しく、結局皆「好きな曲」になってしまう不思議なバンド、フジファブリック。

その中でも大好きな一曲です。
なんともセピアな雰囲気に包まれています。

フジファブリック独特のキーボードサウンドが光り、静かに聞こえてくるピアノとオルガンの音が、曲全体にまるでセピア色のスプレーをかけたように仕上がっていると思います。

「陽炎」でもなんともいえないセピアな雰囲気を醸し出すこのピアノとオルガンの音ですが、ダサくならず効果的に使うのは、きっと技術がいるのでしょうね。


FAB BOOKの中で、志村君は「サビのメロディは気に入ってて、そこにどうもっていくかっていうことで悩んでました」とコメントしていますが、サビにむかってだんだんリズムが早くなり、サビで「ハネハネビート」(Fujifabricバンドスコア、志村君解説)になります。
その後、歌詞の中にある時計の「チクチク タク」のような落ち着いた8ビートに戻る。
その戻り方がいかにもフジらしく、フジファブリックの魅力溢れるリズムと流れになっていると思います。

「サボテン持って レコード持って 
やりかけだったパズルは捨て
車に乗って 夕日に沿って
知る人もいないとこに着くまで」

最後にくるこのパートで歌詞の情景が鮮やかに目に浮かぶのも、「チクチク タク」と「ハネハネビート」の効果だからなのでしょうか。

私は音楽の専門家ではないので偉そうなことはいえませんが、素人にもこのように思わせる名曲です。

歌詞についての詳しい解説や感想は、志村君の望む歌詞の柔軟性(聴き手によって、想像をふくらませ、どのようにもとらえることができるよう、志村君は意図的に限定的な言葉を避けていた)を妨げるので避けたいと思いますが、外国にいるファンのために一つだけ注釈をさせて下さい。

それは歌詞の中に、日本人にとってセピアな外国の雰囲気を感じさせる単語が散りばめられているということです。



まず曲名の「サボテンレコード」。

サボテンは原産が南北アメリカ大陸であり、日本には16世紀後半頃に南蛮人によって持ち込まれたといわれています。もともと日本土着の植物ではないためか、今でも「異国」の香りのする植物の一つです。
日本では主に観賞用として売られています。(タイを含め、諸外国では、紐サボテン属の果実、ドラゴンフルーツが時期になるとスーパーなどでも出回るため、サボテン=観賞用+食用と考える人も多いのです)



「レコード」は、音楽の販売される媒体として非常にポピュラーでしたが、CDやMP3にとってかわられた今では、レトロなものとなってしまいました。こちらも「外国」からきた古いものです。

そして「時計」。
チクチク タク チクチク タク と音がするものは、デジタル時計が流通する今、やはり異国から来た昔の音ではないでしょうか。

「ステレオのスウィッチ 
入れて 30年遡り かけた音楽」

流れてきたのは、ボサノバ、ジャズと外国の音楽ばかりです。

「今夜 荷物まとめて あなたを連れて行こう」
その時に・・・
「サボテン持って レコード持って
やりかけだったパズルは捨て」ていきます。

日本では、「パズル」というと多くの場合、「ジグソーパズル」のことを意味します。
ジグソーパズルのジグソーは、英語のjigsaw(糸鋸)から由来しています。元々ジグソーパズルは木の板を糸鋸で切って作られていたために、この名前が付いたといわれ、1760年頃、イギリスで作られました。

近年、日本製のジグソーパズルも増えていて、日本のアニメや風景が絵柄のものなども登場し、日本でも年齢を問わず広く遊ばれる玩具となりましたが、一昔前までは輸入品が主でした。そのため、今でも「外国」のイメージが伴います。

これらの単語が絶妙のタイミングと適当な数で、ちょこちょこと歌詞に出てきては、ピアノやオルガンの音にのってセピア色の曲を作り上げています。

次回は、フジフジ富士Qで片寄さんの歌った「サボテンレコード」、そして1stアルバム「Fujifabric」について詳しくみてみたいと思います。

フジファブリック 「サボテンレコード」お聴き下さい。

Friday, 10 February 2012

2012年 愛染厄除け地蔵尊祭 追加記事


昨日の記事に、少し追加です。

無尽会で行く旅行について。
富士吉田に限らず、山梨では若い頃から(20歳ぐらいから)無尽会に所属し、毎月旅行のために積み立てをすることがよくあります。厄年の人達、特に60歳の厄年を迎えた人達に人気の行き先は、「伊勢神宮」だそうです。
江戸時代の「お伊勢参り」にルーツがありそうな、なさそうな・・・。
今年は20年に一度の式年遷宮ですから、今年、無尽会で伊勢にいらっしゃる方たち、うらやましい!

もうひとつ。
富士吉田の中でも、昔からの地区(明見など)では、厄除けのお祭りを新しい地区よりも、盛大に行います。
昼間も賑やかに、今年厄年を迎える人達がおみこしを担いで街をねり歩きます。

また、地元の子供たち(中学生以上かな・・・)にとって、夜に行われる厄地蔵さんのお祭りは、親公認で堂々と、夜遅くに外出できる絶好の機会でもあります。このワクワク感、言葉で伝えるのが難しいのですが、子供心にとても楽しみな行事です。


最後にもうひとつ。
吉田の街でスーパーに行くと、「愛染うどん」といううどんをよく見かけます。(こちらのホームページ参照 吉田のうどん)
吉田の街には、「愛染商店」「愛染通り」など「愛染」という言葉がついた名称をよく見かけます。「愛染」という呼称の来歴は不詳ですが、地元の人達には親しみのある名前です。


一年で一番寒さが厳しい季節ですが、富士吉田の街に活気が溢れる2日間です。

もし冬の富士吉田を訪れる計画がありましたら、昔ながらのお祭りが味わえる2月13、14日はいかがですか。街角で、きっといろいろなお話がきけることでしょう。



いつもの街並が暗闇に包まれ、なんとなく怪しげな雰囲気。いつもだったらとっくに寝ている時間、外にいる。こんな時間に外に出ていて、とても興奮している反面、なんかちょっと悪いことをしているような変な気分。しばらく歩いていくと、前方の暗闇の中に、ぼんやりと夜店の明かりが見えてくる・・・。

今日の一曲は、「水飴と綿飴」です。

Wednesday, 8 February 2012

2012年 愛染厄除け地蔵尊祭


今夜からまた冷え込む予報となっていますが、皆様いかがお過ごしですか。九州や関西でも厳しい寒さに見舞われ、インフルエンザが蔓延しているとききます。くれぐれもお体大事になさって下さい。

さて、今年も富士吉田市下吉田にある愛染地蔵さん(「あいぜんじぞう」とよみます)厄除け祭りの季節となりました。

昨年も記事に書きましたが(愛染厄除け地蔵尊祭 2011年2月11日付ブログ記事)、今年はもう少し地域に密着し、詳しくご紹介したいと思います。

厄年とは、災難にあったり健康を害したりするおそれが多いので、注意しなければならないとされる年齢です。一般的には数え年(元日から誕生日前日までは、実年齢+2、それ以降は+1)で、男性は25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳です。男性の42歳、女性の33歳は特に悪い歳とされ、「大厄」とよばれます。


平安時代にはすでに存在し、起源は陰陽道だという説もありますが、定かではありません。
迷信と言ってしまえばそれまでですが、これらの年齢が実際に健康上、仕事上の転機に当たることも多いため、(例えば昔の女性は、19歳前後で初めてのお産を経験するなど)、今でも日本中で根強く信じられている風習です。

この時期、山梨県では甲府市も含め、県内全域で厄除けの行事が行われます。地方色豊かな行事で、地域によって微妙に異なりますが、今日は富士吉田下吉田界隈での厄除けの行事をご紹介致します。

富士吉田では女性の厄年に特徴があり、19歳、33歳、は一般的なものと同様ですが、37歳はせず、代わりに60歳に最後の厄除けをします。本厄前後の前厄、後厄もいれると、3年の間厄除けをすることになります。一生涯に9年間、厄除けをするという計算になりますね。

厄年の人がいる家は、みかん駄菓子(ポテトチップやあめなど)、、年齢と同じだけのお金(19歳だったら19円。42歳や60歳は、通常100円ぐらいをいれる)を準備し、ナイロンの袋に入れておきます。
そして班内(山梨県には、隣近所の人達で作る「班」や「組」とよばれる、小さな組合のようなものがあります。どぶさらい、ゴミ出し、回覧板などすべて班や組を一つの単位とし、皆で助け合いながら行います。都市化の進んだ甲府でも、班制度は今でも現役です)の家々に、家族の代表(普通はお母さん)が、先程のセットを配り歩きます。


「みかんまき」の風習もあります。
「今からみかんまきをしますから、来て下さいね。」と、厄年の人がいる家は、まずご近所さんに声をかけます。その後、2階の窓からみかんをまきます。多い家では10箱ものみかんをまくこともあるそうです。

もちろん近所の神社にも、厄除けのお参りにいきます。
事前に各家庭で、「だんごばら」という白いだんご(上新粉から作る。1月15日の小正月の時、どんど焼きに使うだんごと同じようなもの)を年の数だけ作り、先程のナイロン袋のセットも一緒に、神社へ奉納します。
それを神社でまいていただき、厄除けとします。

大学生や社会人など、事情がありどうしても本人が参拝できない場合には、吉田にいる家族が同級生などに頼んで(同い年である同級生は、みんな一緒に厄年ですから)、だんご等を神社へ持っていってもらい、厄除けとします。

2歳違いの兄弟3人ですと、かなりの期間、ご家族は厄除けの行事をすることになります。
19歳の女の子や25歳の男の子は、自分で準備をするというよりは、同居している祖父母や両親がしてくれるのをみて育ちます。地方色豊かな厄除けのお祭りは、伝統を受け継ぐというだけでなく、今では稀薄になりがちな地域の絆を深める大切な行事だと思います。

昨年、ベトナム・ハノイ在住の富士吉田市出身の方が、「私は今年60歳です。今日は富士吉田にいる家族が、私のために厄除けに行ってくれているでしょう。」と、ブログにコメントを下さいました。海外にいながらも思いを馳せる馴染みの深いお祭りなのです。(あの時は、コメントありがとうございました。富士吉田の方から頂いた初めてのコメント、とても励みになりました。)

もし2月13、14日に富士吉田へいらっしゃるようなことがあったら、ぜひ小さな路地裏通りに入って、周りを見回してみて下さい。きっと「下吉田の厄除け祭り」が見られることと思います。
山梨県には「無尽」(「むじん」とよむ)という独特な集まりがあるのですが、無尽会などで、厄年の人達が皆で厄除けのために、京都へ旅行へ行ったりするのも人気です。
無尽については、また後日ご紹介致します。

正彦君が25歳の時、2004年2月13日から14日(数えで25歳は、実年齢24歳)、何をしていたのかなと思って「志村日記」を見ましたら、ちょうど「『桜の季節』のPVが完成した」と書いてありました。まさに「仕事の転機」だったのですね。転機というより本格始動でしょうか。

富士吉田では、厄除け祭りに行くということであれば有給が取れますから、きっとあの日、正彦君の同級生は、皆で連れ立って神社へ行ったのでしょうね。そして彼の分も厄除けをしてきてくれたことでしょう。

そんなことを、2012年の愛染地蔵尊厄除け祭によせて、考えました。

今日の一曲は、「桜の季節」です。いつもと違って聴こえる「桜の季節」です。

Friday, 3 February 2012

節分祭り



今日は節分です。
節分とは本来、「季節の分かれ目」(各季節の始まりの日の前日)を意味していましたが、江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになりました。

現在では2月3日頃が、これにあたります。
この日の夜、炒った大豆を家の内外に撒きながら「鬼は外!福は内!」と唱えます。その年の健康を祈り、自分の年の数だけ大豆を食べるという習慣もあります。

「季節の変わり目には邪気(鬼)が生じる」
節分はそれを追い払うための悪霊払いとして、平安時代頃から、宮中の年中行事として始まりました。日本独特の風習であり、他国には節分のような行事はありません。
土着の自然崇拝や神道など、日本固有の自然環境(はっきりとした四季があることなど)から受ける影響が大きかったと思われます。

確かに季節の変わり目には体調を崩す人も多く、子供やお年寄りには厳しいときですよね。神事から遠のいてしまっている私たちでも、納得できます。

元々宮中行事だったものが、庶民の生活に採り入れられました。
神社仏閣では「節分会」(せつぶんえ)として、大々的に豆まきが行われます。



山梨県内では「身延山久遠寺」の節分会が有名で、毎年、荒行修法師のほか、力士、タレント、歌手などが特設ステージより豆を撒きます。

そして、富士吉田市上吉田にある冨士浅間神社(地元の方たちは、「かみせんげん」と呼ぶ)などでも行われる賑やかな行事です。



フジファブリック 志村正彦君の地元、富士吉田市下吉田にある小室浅間神社(地元の方たちは「しもせんげん」と呼ぶ)でも、今日は節分会が行われます。
昨年の「志村正彦展」で配られた「てくてくマップ 志村正彦編」にも書いてありますが、小学生の時の遊び場であった下浅間神社です。

近年、学生さんや会社員の方々が平日は休めないという理由から、豆まきは日曜日、節分祭は例年通り2月3日に執り行われることとなったそうです。
詳しくはこちらのホームページをご覧下さい。

小室浅間神社 ホームページ 節分祭

最低気温-13℃、最高気温-2℃という厳しい寒さの中で、今頃豆撒きをしているのかな。

今日富士吉田にいらしているフジファブリックファンの方、よろしかったら年に一度の節分祭で、厄除けをしてみてはいかがでしょうか。

今日の一曲は、「午前3時」です。
この頃のフジファブリックの曲は、改めて聴いてみるといいですねぇ。「志村正彦全詩集」を片手に聴くと、もっといい。シブい上になんともチャーミングで、二十歳そこそこの青年が作ったとは信じ難い・・・。でも若者の「開放感」みたいなものも感じられて、「アラカルト」は大好きなアルバムです。