Wednesday, 30 March 2011

Dance 2000 (English Translation of the post on 29th March 2011)

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Let me introduce you a relatively old song of Fujifabric, today - 'Dance 2000', which sounds in their character (Fujifabric-like) to a great extent whenever you listen to.

'Dance 2000' is the 5th song in the first mini-album by Fujifabric, 'A la Carte' released on 21st October 2002.  The band consisted of different members at that time- vocal & guitar by Masahiko Shimura, Drums & Chorus by Takayuki Watanabe, Keyboard by Sachiko Tadokoro.  All the members are from Fujiyoshida City in Yamanashi Prefecture (Fujiyoshida City Official Website), and they have known Shimura kun before the world recognises him as "a vocalist, a guitarist and a main music writer of Fujifabric".
The band might be more "at home" like at that time.

Here is the article about "A la Carte", which can call to mind his younger days.
Fujifabric "A la Carte"

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Later, 'Dance 2000' has been arranged over several times - as the 4th song in 'A la Molto' released on 18th February 2004, and a coupling song of 'Niji' ('Rainbow') in Single CD released on 1st June 2005.
There are totally 3 different versions of 'Dance 2000", and it is our pleasure, as a Fujifabric's fan, to listen to and make a comparison between those.
Shimura kun is known as a musician who loves to arrange a song over and over. His attitude seems to me to resemble to the one of  proficient novelists and artists who are eager to make a thorough investigation of their work to the bottom.

'Dance 2000' was played by two bands in Fuji Fuji Fuji Q (a memorial concert for Shimura kun) on 17th July 2010 - Hanaregumi and Kishidan.  According to the leader of Kishidan, Shimura kun was moved by Kishidan's song called 'One Night Carnival' saying "Disco music is so nice!" in their concert, and he was strongly inspired and made 'Dance2000'.
Enjoy listening to 'One Night Carnival' by Kishidan for your interest.



The leader of the band, Sho Ayanokoji, said in Fuji Fuji Fuji Q, "I thought Masahiko is a genius who could make such a great song. (There is an episode that Sho asked Shimura kun to give 'Akane iro no Yuhi' to him, but he was eventually refused!)  I also never know a song on swinging 8 beats in low spirits like this! It is just like Masahiko's character and personality.", and the crowds burst into pearls of laughter.

The relationship between Kishidan and Shimura kun has been a long time since 1999.  Shimura kun was 19 years old at that time, just after graduated high school, and he was working at a live house and studio called 'Los Angeles Club'.  The guitarist of Kishidan, Tomy (Saionji Hitomi), was a manger of the studio and Sho and Ranma (Hoshi Guranmanie, a member of Kishidan) were working there, too.

It was written on Shimura Nikki that Shimura kun and Sho used to work in a same convenience store as a part-time job, too, so they were good friends over 10 years.
In Fuji Fuji Fuji Q, Sho talked some private episodes about Shimura kun with some jokes, and we could feel his deep affection and grief.  His words also gave us a glimpse of Shimura kun's younger musician days.

'Dance 2000' is the song which can represent those days.

There are lyrics of 'Dance 2000' written in three different designs in front of me -black letters on white paper of 'A la Carte', white letters on black paper of 'A la Molto', and black letters on grey paper of 'A Complete Collection of Poems by Masahiko Shimura', but what I can feel from these lyrics is only one - a young man, who is not used to dance in disco, is trying to dance in full effort!
I love it!!

'Dance 2000' is a kind of songs which make us indulge in nostalgic memories...

Enjoy listening today's song - 'Dance 2000'.


Tuesday, 29 March 2011

ダンス2000 

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今日は、ちょっと古いナンバーから。
いつ聴いてもフジファブリックらしさ全開のこの曲、「ダンス2000」です。

2002年10月21日に発売された初ミニアルバム「アラカルト」、5曲目に収録されています。当時は今のメンバーと大きく異なり、ボーカル&ギター志村正彦くん、ドラムス&コーラス渡辺隆之くん、キーボード田所幸子さんでした。
渡辺くんは志村君と同様、山梨県富士吉田市出身で、「フジファブリック 志村正彦」以前の正彦くんを知るメンバーのいる、いってみればより「アットホーム」な時代のフジファブリックです。

当時を偲ばせる記事を見つけましたので、よろしかったらご参照ください。
フジファブリック アラカルト

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その後、プレデビューアルバム『アラモルト』4曲目(この時にはすでに今のメンバーと同じ)、また5thシングル「虹」のカップリングとして再びリメイクされました。
「ダンス2000」は全部で、3バージョンあるということですね。そして3バージョン全てにおいて、曲調等に微妙な違いがあります。
これも非常に志村君らしいと思います。
一つの曲を、とことんまで突き詰めていろんなバージョンを作っていく姿は、著名な作家や画家が自分の作品を納得いくまで変え続けるのと似ている気がします。

違うバージョンを聞き比べるのも、ファンにとっては楽しみの一つですね。

昨年の7月17日に山梨県富士吉田市富士Qハイランド コニファーフォレストで開催されたライブイベント「フジフジ富士Q」にて、ハナレグミと氣志團が歌ったのが皆さんの記憶に新しいでしょうか。

氣志團の團長こと綾小路翔さんのお話によると、氣志團の「One Night Carnival」という曲に志村君が感銘を受けて、しきりに「ディスコっていいっすね。」と言って作った8ビート(四つ打ち)の曲が、「ダンス2000」」だったそうです。(氣志團 「One Night Carnival」は、こんな曲です。)


團長も「すげー曲つくってきたな、と思ったけど、こんなに軽快な8ビートなのに乗り切れない曲は珍しい。正彦の性格みたいだ。」という趣旨のことを、フジフジ富士QライブのMCで言っていました。

氣志團と志村君の関係は古く、1999年にさかのぼります。当時19歳だった志村君は、高校卒業後、東京東高円寺にある「ロスアンゼルスクラブ」というライブハウス兼スタジオでアルバイトをしていました。ちょうど氣志團のトミーさん(西園寺 瞳)が店長をやっている時で、ランマさん(星グランマニエ)や團長も同じライブハウスで働いていたため、その時からのお付き合いだそうです。

「志村日記」にも出てきたと思うのですが、バイト先のセブンイレブンでも團長さんとは一緒だったのではなかったでしょうか。
フジフジ富士Qの時も、團長は志村君とのいろいろなエピソードを時には面白おかしく話してくれました。
その言葉には友人としての深い愛情が感じられ、志村君の初々しいミュージシャン時代を思い起こさせました。



そんな時代を代表する曲、「ダンス2000」です。

今、私の目の前に「アラカルト」「アラモルト」「志村正彦全詩集」、それぞれに収録された「ダンス2000」の歌詞があります。(「虹」のシングルは、残念ながらもっていません・・・。)
「アラカルト」は白地に黒文字、「アラモルト」は黒地に白文字、「志村正彦全詩集」は灰色のわら半紙風の紙に黒文字です。


全く違うデザインで書かれた歌詞から、個人的に私が感じることはただ一つ。
ディスコで踊りなれない青年が、フルパワー全開で踊る姿です。
いいですね~~。
山梨のお国言葉でいう「とっぽい」(ちょっと不良っぽくて、かっこつけてること)からかけ離れた真面目な若者が、ちょっと都会の「大人の不良な世界」に足を少し踏み込んで、それを周りに悟られまいと一生懸命している姿。

私達の年代にとっては、なんだか懐かしい気持ちにしてくれる、そんな一曲です。
お聴きください。

フジファブリック 「ダンス2000」

Monday, 21 March 2011

ルーティーン ('Routine' - Please wait for an English translation!)

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超多忙な日々がやっと終わり、今日から平常に戻りました。
ずっと更新できずに、志村君、ごめんなさい。

以前、私の拙いブログを東北地方から見に来てくださっていた方々がいらっしゃいましたが、皆さんどうなされたのでしょうか。「袖すり合うも多少の縁」といいますが、フジファブリックを通してご縁のあった皆様が、どうかご無事でいらしてくださいますようにと、お祈りしております。
もちろんフジファブリックファンだけでなく、被災なされた全ての方々を取り巻く状況が、少しずつでもいい方向に向かっていってくれますように、心からお祈りしております。

皆が力を合わせて復興のために頑張っているのに、同じ日本人でありながら、何もできない自分がとても悔しく、歯がゆく思っていました。でも今は、こちらにいる日本人だからこそできることをしなければいけないと思い直し、自分なりに少しずつ活動を始めました。
バンコクでは主要なモノレールの駅前などで、日本人の有志たち(子供たちも含め)が街頭に立ち、募金をお願いしております。


先日、近所の池に行きましたら、私たちが日本人と知ってタイ人(初老の方)が話しかけてきました。
「このたびの地震や津波にあわれた日本人の方々に、心からお見舞い申し上げます。タイと日本は皇室も含めて、昔から友好関係にあります。タイの近年の発展は、日本のおかげといっても過言ではありません。
見てください。
高速道路だって、ビルだって、地下鉄だって、小さいものでは家電だって、バンコクの町に出て日本のものを見ないことはないのです。今度は私たちが恩返しをする番です。待っていてください。」と、言って下さいました。

ありがたくて、涙が出ました。
こう言って頂けるのも、私たちの両親や祖父母、その前のご先祖様が頑張ってくれたおかげなんだと、改めて日本人に生まれたことに誇りを感じました。


そしてこのブログも、少しでも皆さんの力になれたらな、と思っております。

先日、NHK国際放送を観ていましたら、被災した方が、「被災した私達は、悲しいニュースをあまり見たくありません。代わりに、音楽を流してください。テレビがない避難所でも、ラジオで音楽だったら聴こえるので。」とおっしゃっていました。
音楽の力はすごいです。

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フジファブリックの音楽は、人生で平坦ではない道を歩いている時、とりわけ心に寄り添ってくれる音楽です。元々フジファブリックのファンだった方々だけではなく、まだお聴きになっていない皆様にも、ぜひ聴いていただきたいな、という願いをこめて、今日は「ルーティーン」を選曲しました。

この曲は、シングル「Sugar!!」のカップリング曲です(またまたB面です!)。
アコースティックギターとアコーディオンだけで奏でられるシンプルな音が特徴で、だからこそ志村君の伝えたいことがダイレクトに伝わってくる曲です。
アコーディオンと言えば、志村君のおじいちゃまは元アコーディオン奏者だったと以前、山梨日日新聞の記事で読んだことがあります。
小学校で音楽の時間に弾く機会があったアコーディオンですが、ドイツで発明されヨーロッパで活躍することが多いためか、未だに異国のイメージが強く、ピアノやギターほど一般的ではないですよね。そのアコーディオンが、調度いい具合に渋い音色を聞かせてくれる名曲です。

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「Chronicle」のDVDにも出てきますが、この曲はスウェーデンで行われたレコーディング、最後に録音された曲です。3人(加藤さんを除く)の緊張感が伝わってくるようで、目が釘付けになってしまいます。また、歌いれで一生懸命声を張り上げながら歌う志村君の姿が、とても印象的でした。心をこめて歌っているのが伝わってきます。


英単語 routine には(「ルーティーン」は routine のカタカナ表記と思われます)、「日課」「日常の仕事」「お決まりの仕事」の意味があります。

辛く寂しい気持ちを抱えて、へこたれてしまいそうになる。
それでも時は止まらず、いつもと変わらず朝が来て夜が来る。
いつ折れてしまうかも分からない心だけど、君からもらった心がある。

去年、タイで赤シャツ隊の暴動が大変だった時、「どんな境遇で聴いても、フジファブリックは、その時その時に必ず心に寄り添ってくれる音楽だな。」と感激したのを思い出しました。
被災地の方々、そしてその被災地を一生懸命支え励まそうと、一丸となって頑張っている他の地方の皆様に届きますように・・・。

フジファブリック 「ルーティーン」


Monday, 14 March 2011

東北関東大震災

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フジファブリックを世界に紹介するブログながら、今日は日本人としてどうしても言いたいことがあり、予定を変更致します。お許しください。

東北関東大震災で被災なさっている方々に、心よりお見舞い申し上げます。
大自然の威力の前で、人間はこんなにも無力なのかと呆然とし、家族を失った多くの方々の気持ちを思うといたたまれません。

日本人が四季や自然の美しさを愛で、儚さや無常を感じる繊細な心は、何十世紀もの間に数々の天変地異を経験し、その記憶が日本人の遺伝子の中に残り培われたものなんだと、改めて感じました。

そして、たくましい精神も併せ持つ高潔な民族です。

1,000年に一度といわれる大惨事の中でも、日本人は一生懸命に自然の猛威に立ち向かっています。
外国でみられるような地震後の略奪も皆無で、水や食料のために整然と一列に並ぶ姿。
誰もわがままも言わずに弱い立場にある子供やお年寄り、病人を優先し、女性達が助け合って炊き出しをする。

あの皆さんの姿を見て、日本人として生まれたことをとても誇りに思いました。

東京、山梨など、関東で使う電力を賄っていた福島原発。自分たちが使っていた電気のために、地震や津波の被害だけでなく、放射能汚染という大変な重荷を福島の方々に負わせてしまったことが、ただただ申し訳なくてたまりません。
輪番停電という多くの国民が初めての経験になるこの試みですが、これを機会に大都市の住民はじめ、国民ひとりひとりが生活のあり方そのものを、考え直すいい機会ではないでしょうか。

そして被災された方々を見習い、日本人皆で力を合わせて前を向いて歩いていけたらと思います。東北の皆さんの心に、少しでも暖かい光がさしてくれますように。
心からお祈りしています。

Monday, 7 March 2011

甲州弁サイト 

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今日はちょっと趣向を変えて、山梨で話されている方言「甲州弁」についてです。

フジファブリックのライブDVDなどを見ても、MCで話す志村君の日本語、まったくなまりがなく(少なくとも、私にはそのように聞こえます)とても美しい標準語で、甲州弁を話している志村君の姿はちょっと想像もつかないのですが・・・。山梨県の文化を皆さんにお伝えするということで、今日は志村君も学生時代話していたであろう(?)甲州弁についてみてみたいと思います。

以前、「記念写真」を聴いた時に、私が勝手に単語を勘違いして聴いていたことを記事にしたのですが(こちらの記事)、甲州弁は山梨県内でも御坂山系と大菩薩嶺を境に東西で大きく方言が異なります。
西側の国中地方(甲府盆地)では東海東山方言の一種が、東側の郡内地方(富士吉田市、山中湖村、西桂町、富士河口湖町、鳴沢村、道志村、忍野村などの南都留郡、大月市、都留市、上野原市、丹波山村、小菅村などの北都留郡)では西関東方言の一種(郡内弁)が話されています。

要するに、郡内地方で話される甲州弁は、東京都多摩地域や神奈川県の方言に似ているのだそうです。
国中(甲府盆地)で話される甲州弁は、富士川や諸街道を介した文化的交流が静岡とあったために、静岡の方言に近いようですね。そういえば、鰍沢の人達が話している話し言葉、甲府では聞かない言葉があったのを思い出しました。

そうはいっても、甲府出身の私が富士吉田に行って地元の方とお話をすると、やはり懐かしいふるさとの音を感じるので、似ている言葉も多いとは思います。

最近、山梨県ではこの甲州弁サイト「ウィキぺズラ」(リンクはこちら)が話題だと、地元の友達からききました。
ウィキペディアと同様(?)、読者が自分の知っている甲州弁を書き込むというシステムです。
興味のある方はぜひ、ごらんになってみてください。

郡内(東部と書かれていることも)地方の甲州弁には注釈がそえてありますので、志村君の足跡をたどる富士吉田の旅に出かけられた方も、まだいらっしゃったことがない方も山梨の言葉を肌で感じてみてください。

これを見ていると、自分で「標準語」と思い込んで使っていた単語がちらほらとあって、自信喪失・・・。今までの記事で、意味不明の箇所があったらごめんなさい。

今日の一曲は、「お月様のっぺらぼう」です。
なんとなく歌詞のイントネーションがふるさとを思い出させる、大好きな曲のひとつです。


Thursday, 3 March 2011

英訳 English Translation

3rd アルバム「Teenager」の「ロマネ」と「東京炎上」の英訳、アップしました。

次回は、「クロニクル」についての曲紹介をしたいと思います。

Now, "Romanee" and "Tokyo In Flames" are translated into English in the 3rd album, "Teenager".
Next post will be on the song, "Chronicle" in the 4th album, "Chronicle".





Tuesday, 1 March 2011

Chronicle, recordings in Sweden (Translation of the post on 28th Feb)

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Today is the final post on the 4th album, "Chronicle", and we are going to focus on recordings in Sweden from 19th January to 12th February 2009.

First of all, how come had Fujifabric decided to do recordings in Sweden?
Shimura kun explained in DVD attached to a CD of 'Chronicle', "I wanted to work with people who possessed an atmosphere which we don't have. No drummer in Fujifabric at the moment, so if there is an opportunity offering a drummer, producing, recording, and a new input to our music at one place all together, then it is killing three birds with one stone, I thought.", "It was the first experience for Fujifabric to make something in cooperation with other artists.".

It was The Merrymakers, a Swedish based musical duo composed of Anders Hellgren and David Myhr, chosen to work with Fujifabric.  (The band decided to dissolve in 2010 to go on different ways, though. Please find more details in their website, The Merrymakers.)

クリックすると新しいウィンドウで開きますThis is merely my guess, but Puffy, who belong to Sony Music Artists, as well as Fujifabric, has worked with The Merrymakers before (music of "Boom Boom Beat" released on 18th July 2007, "My Story" released on 6th August 2008, were made and arranged by The Merrymakers.  The latest single CD of Puffy, "Happy Birhtday" is also composed by David Myhr.).  That's might be why Fujifabric was offered an opportunity to do recordings not in the other countries, but in Sweden.



All the songs in "Chronicle" were recorded in The Merrymakers' private studio called "Monogram Recordings" in a suburb of Stockholm in Sweden, except two songs, "Sugar!!" and "Onaji Tsuki" (The Same Moon).
Referring to this cozy little studio, Shimura kun said, "there are studios in Japan which satisfy our requirements, but regardless of technology and facility, we could do recordings being surrounded by land, town, buildings, people and atmosphere of Europe.  So thanks to the surrounding environment,  this album must be different to the one recorded in Japan, I think.".
The 15th song in the album called "Stockholm" was made there in Stockholm, and the state that snow falls silently and piles up on the ground, and Scandinavian white silence in Sweden is beautifully described in the song, I personally feel.  Not only in the lyrics, but more on the musical aspect.  It is lucky that the songs was chosen to be included in the album because of a silly reason that there are not songs like this in Japan!



クリックすると新しいウィンドウで開きますDuring their stay in Sweden, Fujifabric members visited the world's first open-air museum (find more details in their homepage Skansen in English) to celebrated Daisuke Kanazawa's (keyboardist) 29th birthday.  Sweden is a country with splendid culture in Scandinavia.  Swedish people have accumulated great wisdom under harsh weather over centuries.

Ricard Huxflux Nettermalm, who was a native-born man of Stockholm, joined in Fujifabric as a support drummer to make the album.  All the members praised loud him, and Shimura kun said in his book that he even wanted to take him back to Japan!  "Drum sound that Ricard played is the sound that Japanese drummer will not be able to make, but not like the one of American - it was the sound of Swedish, maybe.", said Shimura.

When being surrounded by foreign language, weather, people and food, we can see what we normally don't see...Good and bad sides of our own country, also ones of foreign coutries, vice versa, including ourselves.



クリックすると新しいウィンドウで開きますAfter having done a hard work, "It is not a pipe dream for us to do our concerts at abroad.  This journey broadened my view, and was meaningful really.", he recalled.

If he had a chance to move to somewhere young artists (not only music, but paintings, ballet, theatre acts, and so on) have freedom to do their work, like in UK.  In fact, "wish to go somewhere like Italy or France to observe many things there.", Shimura kun said in interviews in DVD.

"Chronicle" is the album that makes us feel a grief and evanescence of life.

Today's song is "Anthem".