最近、たまたま日本文化について考える機会が多くなり、アジア圏、ヨーロッパ圏の方々からいろいろな意見をおききすることができました。自国のことだからこそ逆に気付かないこと、知らないことも多く、とても勉強になりました。その中で、とても興味深いトピックがあったので、記事にしてみようと思いました。
それは、「俳句」についてです。
日本人であれば誰でも知っている俳句ではありますが、おさらいするつもりでお付き合いください。
俳句は五・七・五の17音で綴られる短詩です。世界でもっとも短い詩といわれ、その最大の特徴は、季節感にあります。
季語と呼ばれる季節を象徴する言葉を、一句に一つ(原則として)折り込むことにより、どの季節のことをうたっているのかが、読み手にわかるようになっています。季語ばかりを集めた「歳時記」には、春夏秋冬を表す言葉が並びます。ただし二十四節気をもとに季節を区分するため、現代の四季よりも一ヶ月以上早くなります。また、日本の四季限定なので、万国共通で使うことはできません。
たとえば常夏の地域(タイのような国)において、季語の数は日本に比べると大幅に限られますし、季語を用いたところで、それほどの情緒を生みません。それに反して、四季がはっきりとある地域では、効果的な表現法となるのです。
「切れ字」も、特徴のひとつです。
句の中にどこか一箇所、言葉の流れが止まる場所を作ります。
松尾芭蕉の有名な一句を、例としてご紹介します。
古池や 蛙飛び込む 水の音
この「古池や」の「や」が、切れ字といわれるものです。切れ字という表現方法を使うことにより、言葉と言葉の間に余白を生むことばできます。読み手に、言葉では表現されていない部分を想像させる「間」が生まれるのです。
日本文化・日本文学に精通しているドナルド・キーンさん(キーンさんについては、こちらをご覧ください。ドナルド・キーン)英訳を、併せてお読みになってみて下さい。
The ancient pond ―
A frog jumps in,
The sound of the water.
切れ字の生み出す「間」が、ダッシュ記号で見事に表現されています。
日本文化は、「間」に美しさを見出し、余白を楽しむ文化です。物事をはっきりと言わないでおくことを美とし、想像力を働かせることを楽しみます。それは能、歌舞伎、落語などの伝統芸能だけでなく、懐石料理の盛り付け方や和食器の絵付けにまで、影響をみることができます。
この一瞬の間こそが、聞き手の想像力をふくらませ、一人一人の思い描く情景を特別なものとし、深く心に刻み込まれるのです。
日本人の好む「簡潔さ」というのも、俳句の魅力の一つです。たった17音という音の中に、果てしない世界が広がるのです。
話が進むにつれ、フジファブリックの歌詞が頭に浮かびました。
ロックというジャンルは、西洋を起源としています。フジファブリックの音楽にもブラジル、ジャズ、ラップなど、多国籍な雰囲気をかもし出す要素があふれ、それが魅力の一つですが、志村正彦君の書く歌詞は圧倒的に「日本人の美意識」をくすぐり、独特の世界観を作っているといつも思っています。
俳句とフジファブリックの音楽には、多くの共通点があります。
まず、季節感にあふれること。
「四季盤」に限らず、多くの曲に独特の季節感をみることができます。
例えば、「若者のすべて」。夏の終わりを、見事に折り込んだ楽曲です。
そして、「間」の表現。
これは「聴き手に想像力をふくらませる余裕を与えるために、状況を限定しないような言葉をあえて選択している。」と、いろいろなところで志村君自身も語っていますが、それが見事に日本人の美意識に合っているのです。「間」の使い方と聴き手が持つ無限の想像力が相互作用を生み、それぞれにとっての「特別な」曲となって、生まれ変わるのです。
また志村君の書く歌詞は、簡潔です。
「これは省いてもいいな」という言葉は、一つも見当たりません。
難解な言葉もなく、隠喩も、言葉遊びも、すべて意味をなすように使われています。これは、簡単にみえますが、実はとても大変なことで、書き手の技量と才能が問われるのです。
日本語や日本文化は、ほかの言語や文化と比べて、右脳をフル活用するというのを、日本語学科に通う友人からきいたことがありました。
「幼い時から、多言語があふれる環境に育つ子供たちは、単言語の環境に育つ子供たちと比べたとき、脳の発達が違う」ということはよくいわれることです。最新の研究によると、日本語+他言語という環境にいる子供たちは、日本語以外の言語の組み合わせがとりまく環境に育つ子供たちと比べ、圧倒的に、右脳を使うということがわかったそうです。
左脳が文字や言葉などを認識するのに対し、右脳は、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚などの五感を司ります。日本語や日本語を通して伝わる日本文化は、五感的なのかもしれません。
嗅覚に訴える「赤黄色の金木犀」を、思い出しました。
先日読んでいた本で(「トラッドジャパン 2011年9月号)、「ある日本人朗吟者が、伝統的な日本の詩歌は8ビートのリズムが基本なので、和歌は31音節ではなく、ポーズを含めて40ビートであり、そのように読むべきだと言った。」ということが書いてありました。この文章を執筆したアットキンさんは、「源氏物語の和歌795首の翻訳を、シェイクスピアとラップミュージシャンにならい、韻を踏んだ二行連句にした。」そうです。
伝統的な日本の詩歌が、ロックのビートと共通しているとは!考えてもみませんでした。
外国人のファンの皆様、俳句や短歌同様、フジファブリックの楽曲にあふれる日本人の美意識を、ぜひ感じてみて下さい。
今日の一曲は、「雨のマーチ」。雨に煙る富士吉田の街に思いを馳せます。次に行く頃には、富士山が凛々しい夏の姿を見せてくれることでしょう。
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