Thursday, 8 November 2018

虫の祭り Vol.2 (2018年版 改稿記事)

(2018年10月26日付記事より続き)

「虫の音」
「祭り」
「花火」

フジファブリック「虫の祭り」を聴いたときに、歌詞や曲名に登場するこの意外な組み合わせに、ハッとさせらた方も大勢いらっしゃるかと思います。夏と秋の季語が同居しているこの曲の歌詞の魅力を、今日は考えてみたいと思います。

小泉八雲の記述によると、八雲が日本に滞在していた明治20年から30年代にかけて、日本の縁日では木でできた虫籠に鳴く虫を入れて売る「虫屋の屋台」なるものが、軒を連ねていたそうです。

日本では古くから、虫はその出す音色のため珍重されてきました。


千年の歴史を持つ文学が、ものめずらしく繊細な美で充ちあふれる文学が、このはかない命の虫という題材から成り立っている、などとはどんな外国人に想像できるだろうか。 
小泉八雲(1990). 虫の演奏家 日本の心 講談社 pp.313


10世紀後半には、野辺に出て行って虫の音を楽しんだり、虫とり(鳴き声を頼りに草原に入り、虫を取って虫籠に入れ、家に持ち帰ること)に行ったりという娯楽があり江戸時代には虫の捕獲や飼育だけではなく、養殖まで行われていたそうです。

なぜ日本人は、そこまで虫の音に心惹かれるのでしょう。

虫の声を聴くとき、私たちは虫の境遇や儚い命を思うだけではなく、秋という季節のもつ憂愁に思いを馳せるのではないかと八雲は言っています。


この憂愁をうたった言葉のほぼ全ては、別れの悲しみを暗に言っているにすぎない。秋になれば色が変わり、木の葉が舞い、虫の声がかもしだす霊的な悲哀がある。そのため秋は、仏教からすれば無常、つまり死の必然、あらゆる欲望につきまとう苦しみ、そして孤独の苦しさを象徴している。
たとえこういった虫をうたった詩が本来は恋の気持ちをほのめかすつもりだったとしても、その時はまた、ありのままの純な自然が人の想像力と記憶とに及ぼす、ごくごくわずかな影響力をうつし出してはいないだろうか。
小泉八雲(1990). 虫の演奏家 日本の心 講談社 pp.343

「虫の声ひとつあれば優美で繊細な空想を次々に呼びおこすことが出来る国民」と、八雲は日本人を称賛しています。(小泉八雲(1990). 虫の演奏家 日本の心 講談社 pp.344)
「虫の祭り」(作詞作曲:志村正彦 編曲:フジファブリック)2004年9月29日、フジファブリックの通算3枚目のシングル「赤黄色の金木犀」のカップリング曲としてリリースされました。ちょうど金木犀の季節に合わせて、リリースされたのですね。


「赤黄色の金木犀」について、「匂いが香ってくるような曲にしたい」と、志村君は語っていましたが、嗅覚をくすぐるA面に併せて作ったカップリング曲「虫の祭り」は、いうなれば想像の中で聴覚を呼び起こすという粋な手法が使われています。

恋人が去って行ってた後、部屋に一人残された自分。開けてある窓からカーテン越しに入り込むのは、秋の風にのってきこえてくる虫達の声。
祭りの様に賑やかに、花火の様に鮮やかに、聞こえてくる。


「花火の鮮やかさ」は視覚で
「祭りの賑やかさ」は視覚、聴覚、触覚で

感じるもの。

聴覚で感じる「虫の音」を表現するために、あえてこのふたつを使うセンス。

その上、「祭り」も「花火」も言わずと知れた夏の季語であるにも関わらず、秋の季語の代表格である「虫」(の音)を描写するために使おうとする感性がさすがだなと思うのです。

「にじんで 揺れて 跳ねて 結んで 開いて 閉じて 消えて」いくものは、なんだったのでしょう。

花火だったのか。
虫の音だったのか。
祭りだったのか。
それとも、祭りの様に過ぎ去った記憶の中にある何かだったのか。

あえてそれが何であるかを限定せずに、リスナーが自分の経験と記憶と想像力の中で、自分なりの「何か」をあてはめることのできる歌詞こそが、フジファブリックがフジファブリックである所以です。


ファブリックの作り出す音楽は、西洋にルーツのあるロックというジャンルでありながら、日本人が昔から愛でてきた「季節の移ろいから感じる色彩や音」が、歌詞の中で大切に歌われています。そこが私たちの感じる懐かしさであり、心地よさであり、共鳴するところなのではないでしょうか。

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