上映会に来ることができなかったファンの皆さんから、特に要望の多かったものが、志村君ゆかりの方々のご挨拶でしたので、ここに記しておきたいと思います。
小宮山先生は現在、小学校の教師をしていらっしゃいます。志村正彦君が小学4年生の当時は、富士吉田市立下吉田第一小学校で教鞭を執っていらっしゃいました。
以下は、小宮山尚先生のご挨拶を、私の言葉でまとめたものです。(青文字は、先生の言葉をそのまま、ご挨拶より文字起こしさせて頂きました。)
五年前に富士河口湖町に赴任なさっていた時、富士吉田の防災無線チャイムが「若者のすべて」に変わったことを耳にして、元々フジファブリックのファンでいらした奥様と一緒にチャイムを聴きに行こうかとお話になったそうです。
その後、ご自身もフジファブリックの様々な楽曲に親しむようになられました。
昨年の夏、山梨県立図書館で開催された「ロックの詩人 志村正彦」展をご夫婦で訪れた際、多くの展示品の中に、当時の担任の先生が書いた下一小の学年便りを発見します。そこには、手作りの小宮山先生の顔をかたどった手作りの似顔絵スタンプが押してありました。
「僕のスタンプだ!」そのスタンプには、小宮山先生の顔と一緒に「ベリーグッド」の文字も刻まれていました。
「(志村君は)当時から目が大きくて、割と色白な子だな、という印象がありました。」
「作詞依頼、作詞のオファーをしたんですね。」
数ある歌詞の中、
「きちっとやってきてくれて、これだ!と決めたのが、正彦君が作ってきてくれた白組の応援歌だったんです。」
(志村君にとっても心に残る思い出の一つだったらしく、『東京、音楽、ロックンロール 完全版』 ロッキングオン社 志村正彦著 の中にも書かれています。)
先生はそのスタンプを志村君のご両親にプレゼントするためお持ち下さり、会場に集まった観覧者の皆さんにも見せて下さいました。
「『あなたの作った白組の応援歌は、やっぱりベリーグッドだったよ。』と、ぜひ伝えたいです。」
正彦君のためにお花を買おうと、河口湖にある花屋さんに立ち寄り、「お花を下さい。」と言ったその瞬間、柴咲コウさんがカバーした「若者のすべて」が店内に流れるというミラクルが起こりました。お店の中を、静かに、心地よく、流れていたそうです。
「こんな巡り合わせを感じて、今日はやってまいりました。みなさん、一緒に楽しんでいきましょう。」
そんな素敵な言葉で、先生のご挨拶は締めくくられました。
小宮山先生は33年間、教師として多くの生徒さんを指導していらっしゃいました。その数は一体、どのぐらいになるのでしょう。私には想像もつきません。25年も前、特に担任していた生徒だった訳ではなく、応援団員の一人であった生徒、志村正彦君を、先生がここまで鮮明に覚えていらっしゃるということに深く感動致しました。
「志村君が知ったら、どんな顔をするだろう。」
そんなことを、考えました。
「志村正彦 作詞」という歌詞の中で、現在確認されている一番古いものがこの「学園天国」の曲に合わせた応援歌です。
小宮山先生がたまたま下吉田第一小学校に赴任なさり、応援団の指導にあたられたからこそ、志村少年は歌詞を書く機会を与えられました。またその後、ご本人、そしてご家族の手できちんと保管されていたからこそ、後のフジファブリックに繋がる貴重な資料として現存することができたのです。
色々な偶然と巡り合わせが重なり、形となっていく。
不思議なものだと思います。
このブログにてごあいさつ文を紹介すること、快く承諾して下さった小宮山尚先生に、この場を借りて、お礼を言わせて頂きたいと思います。
ご協力いただきまして、本当にありがとうございました。