Wednesday 26 December 2018

2018年12月24日によせて

穏やかな陽の光を浴びながら、甲府から車を走らせること30分。御坂トンネルを抜け、坂を下り、富士見橋に差し掛かると、真っ白な綿帽子をかぶり、雪煙をたなびかせる富士山が目の前に現れました。冬の富士山は圧倒的な美しさです。大きな富士山を見ると、なぜこんなに心がウキウキするのでしょう。やっぱりフジファブリックファンにとっては、大切な場所ですからね。

毎年、複雑な思いで迎える1224日は、とりとめのないことを考えあぐねる一日です。

122123時からTBSで放映された「A-Studio」という番組の中で、ゲストの古舘伊知郎さんが亡くなったお姉様の話をしていた時、目の前でわが子が煙になるということにご両親が耐えられず、火葬場へは向かわずに二人で静かにその場を後にしたそうです。その後姿をみて、涙が止まらなかったと古舘さんは仰っていました。「旦那さんを亡くした奥さんは『未亡人』。奥さんを亡くした旦那さんは『男やもめ』。親を亡くした子供は『孤児』。でも、子供を亡くした親を呼ぶ名称はない。子供を亡くすということは、名前を付けることができないほどの悲しみだということだと思う。」。
私の亡くなった祖母が、満州人は子供が親より先に亡くなるのは親不孝だからと、お葬式をしないと言っていたのを思い出しました。亡くなった子に「親不孝者」というレッテルを貼ることで、残された親がむやみに自分自身を責めることなく、なんとか悲しみを乗り越えられるように後押しする究極の術なのかもしれません。子供を亡くすことは、きっとこの世にある一番の悲しみだと思います。

3日後にご命日を控え、古舘さんの言葉を聞きながら志村君のご両親のことを考えていました。どんなお気持ちで、この8年間を過ごされてきたのでしょう。ファンにとっては「フジファブリック 志村正彦」ですが、ご両親にとってはかけがえのないたった一人の息子さんです。

山梨県というところは今でも封建的な土地柄で、都市部や他地方と比べると、「長男」は次世代を担う一家の長として、多くの責任と義務を背負っています。物心つく頃になると、盆暮れ正月には父親と共に菩提寺へ季節のご挨拶に伺ったりと、決して強制ではないけれど「一家の跡取り」としての自覚を促すように長男は育てられるのです。私の実家も、炊き立てのご飯をよそる時には必ず祖父、父、孫息子(長男、次男の順)、祖母、母、孫娘の順でした。3年経って芽が出なかったら、吉田に帰ってくる。」とご両親に約束をして、ふるさとを後にした志村君の気持ちを考えると、相当の覚悟があったことと想像します。そして夢に全力で挑んだ11年間でした。

親にとって、子供のしたいことをやめさせるのは、簡単なことではありません。でも困難な道とわかっていながら陰になり日向になり子供を応援するよりことは、実はそれよりもっと大変なことではないでしょうか。そしてそのお子さんが亡くなってしまったとなれば・・・。これ以上はどのような言葉を使おうとも、表現することは不可能です。

愛を教えるためにお生まれになったイエス様のお誕生日に、彼を愛するみんなを残し、天に召された志村君。富士吉田にいるご両親、お姉様、妹さん、路地裏の僕たち含むご友人。東京に行った後、音楽を通して知り合った大勢の方々。どうか皆様に、心穏やかな時間が流れますように。そして、志村君が一生懸命作ってくれた曲たちが、日本中、世界中の人たちにきいてもらえますように。

そして全国からいらしたファンの皆様。路地裏の僕たち、マシト隊長はじめメンバー一同、心よりお礼申し上げます。寒い中、お墓参りをするために行列ができ、一時間も待って下さったファンの皆様。お花とコーラで埋め尽くされた志村家のお墓は、遠目でみてもそこだけが別世界で、お花畑のようでした。たまたまご縁があって、お墓の前で話ができたファンの皆様(熊本のIさん、札幌のTさん)、ありがとうございました。志村君の偉大さ、彼の遺したものの大きさを改めて感じた富士吉田でした。

今日の一曲は、「夕方5時のチャイム 茜色の夕日」です。

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