Monday, 25 December 2017

2017年12月24日によせて

今年も、12月24日がきました。

イエス様のお誕生日前夜祭、ケーキにプレゼントにチキン・・・と、世の中がひときわキラキラ感を増すこの日、フジファブリックファンにとっても忘れることのできない日を迎えます。

8年という時間がすぎました。

高校の同級生と活動を始めた時から、いつでもフジファブリックは志村君と共にありました。インディーズ、メジャー時代を含め、志村君がフジファブリックとして活動した期間はたったの9年間。その限られた時間の中で、多くの曲を残してくれました。
CDで声を聞けば、DVDの映像をみれば、当時のまま変わらない志村君がそこにいます。

私の親友は、5年前に大切な息子を亡くしました。
彼女にとってかけがえのないわが子でしたが、別れはなんの前触れもなく訪れ、神様は大事なあの子を静かに向こうの世界へ連れて行ってしまいました。毎年、彼のご命日には思い出話をしますが、当時は今ほど携帯電話の性能もよくなかったので、幼少期の写真や映像はそれほどたくさん残されてはいません。

「今生きていたら、もっと背が大きくなっていたよね。」

「弟の方が大きくなっているのを知ったら、なんて言うかな。」

生前の彼をよく知っている人たちが集まり、心の中に生き続けているあの子の話をするのです。

もちろんご本人が意図したわけではありませんが、結果的に志村君はミュージシャンとしての職業柄、多くの映像と写真を残してくれました。それを目にするご家族・ご友人の悲しみは察するに余りあるものですが、志村君の姿を観たり、彼の音楽を聴いたり今でもできるのは、ファンにとってはありがたいことだと思います。(悲しみの中、ファンのためにと企画展などでは、快く正彦さんに関する品々を提供して下さる志村家の皆様。心より感謝しております。なかなかできることではないと思うのです。)

2006年12月25日に録画された渋谷公会堂でのライブDVDなどは、ライブに参戦しているような気持ちになるほど映像も音声も素晴らしく、海外のファンが好みそうな要素がたくさんありますね。でも・・・、色々なことが頭を駆け巡ることも事実です。

今年は、海外のファンからのメールやコメントが、例年よりも多くこのブログに届きました。海外で活動するのを、夢の一つとして掲げていた志村君。彼の思い描いていた形とは少し違うのかもしれませんが、8年という時を超えてフジファブリックファンが海外で増えていくのも、やはりこうして志村君がいたころのフジファブリックの音源、写真、ライブ映像などが、気軽に、簡単に、観たり聴いたりすることができるようになったからなのかなと思います。

これからも国内外を問わず、ファンは年々増え続けていくことでしょう。

最後に、TOKYO SESSION(2017年12月9日BSフジ放送)での奥田民生さんの言葉を、ここに記しておきたいと思います。

「とにかく その 個性っつうんですか。
まあ 代わりのいない感じっていうか
強烈にもってましたから
曲にしても
声にしても
すごい才能の塊でしたよ。」
今日の一曲は、「茜色の夕日」です。
今年も富士吉田の空に、「茜色の夕日」がチャイム音となって響きます。



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