2016年9月25日に渋谷TSUTAYA O-EASTで開催される新宿LOFT40周年を記念するイベント、「SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY MUSIC FESTIVAL 'DREAM MATCH'」。とうとう今週の日曜日に迫ってまいりました。
フジファブリック 志村正彦君と深いご縁のあるLOFTのイベントに、路地裏の僕たちもお声をかけて頂き、出展することが決まりました。ありがとうございます。
フジファブリックを語るとき、LOFTの存在を忘れることはできません。
ご存知の方も多いかと思いますが、インディーズ時代のフジファブリックは、LOFTで大きく成長していきました。
また、LOFTグループが運営するレーベル「SONG-CRUX」から、フジファブリックは第一号のバンドとしてCDを発売しました。(第二号は、メレンゲでした。)SONG-CRUX discography
2002年10月21日には1st mini album「アラカルト」、2003年6月21日には2nd mini album「アラモード」をリリースしています。(ちなみに2004年2月18日に通産三枚目のミニアルバムとしてリリースされた「アラモルト」は、「アラカルト」と「アラモード」に収録されている曲をリメイクして、東芝EMI(当時)から発売されたものです。)
Loft Project発のマガジン「Rooftop」WEB版で、「番外編 Rooftop特別付録:メレンゲ/フジファブリック 新宿ロフト&下北沢シェルター出演履歴」を見ることができます。Rooftop メレンゲ/フジファブリック 新宿ロフト&下北沢シェルター出演履歴 2004年11月15日付
この記事によりますと、フジファブリックは2001年11月17日にLOFTデビューを果たしていて、志村正彦君、若干21歳の時でした。
その後、メジャーデビューするまで新宿LOFTで28回、下北沢シェルターで9回、フジファブリックは彼らの個性あふれる音楽を披露することになるのです。
「Rooftop」WEB版で「フジファブリック」のウェブ内検索をすると、2004年11月15日「メレンゲ×フジファブリック:ヴォーカリスト対談 クボケンジ(メレンゲ)×志村正彦(フジファブリック)」に始まり、懐かしい記事もいくつかでてきます。
志村日記などにもちょこちょこと出てくる新宿Loftに関する記事(他のバンドのライブを見に行った、おいしい食事などなど)を読むと、Loftがフジファブリックにとって、志村君にとって、特別な思いのある場所だったのだと感じます。
今ではファンにはお馴染みとなった「赤富士通信」も、元はと言えばSONG-CRUX時代に、フジファブリックと樋口寛子さんが一緒に立ち上げ、毎月発行していたものでした。
Loftグループフリーペーパー「るーふとっぷ瓦版」2003年8月号、ページの上半分がフジファブリック、下半分がメレンゲと使われております。
フジフジ富士Qで「今日出演バンドの中で、フジファブリックと一番古くからの付き合いがあるのがメレンゲです。」と紹介されていた通り、こんな昔から紙面を同じくして一緒に活躍していたのですね。
2003年7月11日(金)にはタワーレコード新宿店にて、7月13日(日)にはタワーレコード大阪店にて、2ndミニアルバム「アラモード」インストア・ライブが行われました。その様子を志村正彦君と「レーベルスタッフ H」こと樋口寛子さんが書いています。
志村君によるレポートと樋口さんの書くレポートが、絶妙でおもしろい!!
引用させて頂きます。
人の多さに樋口さんも、びっくりしたと書いています。そんなお客さんの姿を見ていたら、徹夜作業で苦労したこともすっかり忘れ、喜ばしい出来事だったと印象深そうに締めくくっています。
そして、7月13日(sun)@タワーレコード大阪店
樋口さんによると、この頃のフジファブリック、睡眠時間もろくにとれない連日過密スケジュール。それでもライブになるとテンションが上がり、いろんな意味で「フジファブリックは強くなった」と言っています。久々にフジの生音が聞けると、リハの時から店内がワサワサしていたのと、早めに着いた一行皆でファーストフードで朝食をとったのが、スタッフとして印象的だったそうです。
次回に続きます。
今日の一曲は、「花屋の娘」です。
すみれさん、いい名前ですね!
フジファブリック 志村正彦君と深いご縁のあるLOFTのイベントに、路地裏の僕たちもお声をかけて頂き、出展することが決まりました。ありがとうございます。
フジファブリックを語るとき、LOFTの存在を忘れることはできません。
ご存知の方も多いかと思いますが、インディーズ時代のフジファブリックは、LOFTで大きく成長していきました。
また、LOFTグループが運営するレーベル「SONG-CRUX」から、フジファブリックは第一号のバンドとしてCDを発売しました。(第二号は、メレンゲでした。)SONG-CRUX discography
2002年10月21日には1st mini album「アラカルト」、2003年6月21日には2nd mini album「アラモード」をリリースしています。(ちなみに2004年2月18日に通産三枚目のミニアルバムとしてリリースされた「アラモルト」は、「アラカルト」と「アラモード」に収録されている曲をリメイクして、東芝EMI(当時)から発売されたものです。)
Loft Project発のマガジン「Rooftop」WEB版で、「番外編 Rooftop特別付録:メレンゲ/フジファブリック 新宿ロフト&下北沢シェルター出演履歴」を見ることができます。Rooftop メレンゲ/フジファブリック 新宿ロフト&下北沢シェルター出演履歴 2004年11月15日付
この記事によりますと、フジファブリックは2001年11月17日にLOFTデビューを果たしていて、志村正彦君、若干21歳の時でした。
その後、メジャーデビューするまで新宿LOFTで28回、下北沢シェルターで9回、フジファブリックは彼らの個性あふれる音楽を披露することになるのです。
「Rooftop」WEB版で「フジファブリック」のウェブ内検索をすると、2004年11月15日「メレンゲ×フジファブリック:ヴォーカリスト対談 クボケンジ(メレンゲ)×志村正彦(フジファブリック)」に始まり、懐かしい記事もいくつかでてきます。
志村日記などにもちょこちょこと出てくる新宿Loftに関する記事(他のバンドのライブを見に行った、おいしい食事などなど)を読むと、Loftがフジファブリックにとって、志村君にとって、特別な思いのある場所だったのだと感じます。
今ではファンにはお馴染みとなった「赤富士通信」も、元はと言えばSONG-CRUX時代に、フジファブリックと樋口寛子さんが一緒に立ち上げ、毎月発行していたものでした。
Loftグループフリーペーパー「るーふとっぷ瓦版」2003年8月号、ページの上半分がフジファブリック、下半分がメレンゲと使われております。
フジフジ富士Qで「今日出演バンドの中で、フジファブリックと一番古くからの付き合いがあるのがメレンゲです。」と紹介されていた通り、こんな昔から紙面を同じくして一緒に活躍していたのですね。
志村君によるレポートと樋口さんの書くレポートが、絶妙でおもしろい!!
引用させて頂きます。
2003年7月11日(fri)@タワーレコード新宿店
まず一日目のタワレコ新宿店のインストアにはとてもたくさんの人が来てくれて驚きました。リハーサルから見に来てる方もいたりして、とても緊張しました。ただ、内容の方が良くなく悔しかったので、また新宿店でインストアをやってリベンジしたいです。終わった後は、延々と続いていくサイン会に驚きました。買って頂きありがとうございました。(志村)
人の多さに樋口さんも、びっくりしたと書いています。そんなお客さんの姿を見ていたら、徹夜作業で苦労したこともすっかり忘れ、喜ばしい出来事だったと印象深そうに締めくくっています。
そして、7月13日(sun)@タワーレコード大阪店
遂に来ました大阪・梅田店。東京を深夜1時に出発し、道が空いていたので、9時過ぎには到着しました。11時にタワレコ・インストア会場に入れたのですが、少し遅れたほうが大物っぽいかなぁと思い、13時に入りました(笑)。ライブの内容ですが、新宿店での反省も含めて頑張りました。良かったと思います。大阪も本当にたくさんの人が来てくれました。また宜しくお願い致します。(志村)
樋口さんによると、この頃のフジファブリック、睡眠時間もろくにとれない連日過密スケジュール。それでもライブになるとテンションが上がり、いろんな意味で「フジファブリックは強くなった」と言っています。久々にフジの生音が聞けると、リハの時から店内がワサワサしていたのと、早めに着いた一行皆でファーストフードで朝食をとったのが、スタッフとして印象的だったそうです。
今日の一曲は、「花屋の娘」です。
すみれさん、いい名前ですね!
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