一週間ほど前から、庭の蝉が鳴き出しました。
暑苦しさを象徴するように鳴きしきる日本の蝉とは違い、日の高い時はあまり鳴かず、日の出日の入り時だけ聞こえる熱帯地方の蝉の声に、真夏の到来を感じます。
関東甲信越地方も、三寒四温の陽気とききました。
気象庁によりますと、甲府市では3月30日に桜開花予想だそうですが、大体、例年通りでしょうか。
「Live at 富士五湖文化センター 上映會」が富士吉田で開催される4月13日頃には街が桜色に染まり、全国からいらっしゃるお客様をお迎えできたらいいですね。
「富士山と桜」という絵に描いたような「和」の絶景は、何度見てもいいものです。
山梨県桜開花情報については、こちらのサイトなどをお役立て下さい。
tenki.jp 日本気象協会 山梨県桜開花情報
山梨県の桜の名所と開花情報 お花見特集2014 Mapple
Live DVD 「Live at 富士五湖文化センター」にも収録されている「桜の季節」について、今日はスポットをあててみたいと思います。過去に書いたブログ記事をまとめ、加筆・修正してあります。
2014年春、特別な思いで書く「桜の季節」です。
尚、この記事は外国にいるファンに、フジファブリックの歌詞世界をより楽しんでいただく目的で書いた記事に手を加えたため、日本人のファンの皆様にとっては少々退屈な箇所もあるかと思います。
ご了承下さい。
日本人にとって、桜という花は数ある花の中でも、特別な意味合いをもっています。桜は日本の国花とも言われ、古くは「花」といえば桜をさす言葉でした。
熱帯地方の植物では、葉と花が同時に見られることが通常ですが、四季がある日本では、秋になると葉を落としてしまう落葉樹も多く、春先、葉が芽吹く前に花を咲かせる樹木はひときわ人目を惹きます。
まだ色があまりない、冬の匂いを残しつつある春先の風景の中で、葉の緑や多彩な色に邪魔されることなく、茶色の枝に咲く花の色が映えてみえるのはそのせいでしょう。上品で可憐な桜色が山や街を染め、風に散りゆく花びらは日本独特の幻想的な風景を生み出すのです。
日本列島は南北に長いため地域によって異なりますが、私のふるさと、山梨県では大体4月上旬から4月下旬にかけて、桜の季節を迎えます。
現代日本では、1月1日を始めとするグレゴリオ暦に加え、事務作業を目的とした「年度」と呼ばれる制度が採用されています。開国後の明治時代に施工されたこの制度は、近代を生きる日本人に浸透しています。
もっとも一般的な「会計年度」「学校年度」が切り替わる4月は、多くの日本人が新しいスタートを切る季節であり、この時期に咲く桜はまるでその門出を祝うかのようです。また、桜の木は多くの小中高校の校庭に植えられているために、「入学式と桜」は日本人が思い描く典型的な構図となっています。
古くは平安時代(794~1192AD)から、満開の桜の下で昼夜を問わず、花見をするのが日本人の春の楽しみのひとつです。
10世紀ごろ、桜が春の歌の重要なモチーフの一つとして注目されるようになりました。平安貴族たちは、美しく咲いたかと思えば散ってしまう桜の花に、自分の人生を重ね合わせ、世の無常を歌に詠みました。
開花から数えると、花の盛りは一週間ほどでしょうか。満開がすぎると一気に散ってしまうため、桜は「儚さ」の象徴でもあります。日本人は、美しさと共に無常観や物悲しさ、潔さを感じるのです。
まだ肌寒さを残す風の中、昨夜まで見事な花をつけていた桜の木は、ハラハラハラとうすピンク色の花びらを散らしていきます。
そして、一度散り始めると急ぐかのように、次から次へと花びらは散っていきます。
雨が降ったりすると、一夜で花が散ってしまうことも、珍しくありません。
全てのものに華の時期があり、時は瞬く間に流れ、なくなっていく。
諸行無常を感じる桜なのです。
フジファブリックの「桜の季節」をみてみましょう。
2004年4月14日、「桜の季節」はフジファブリックのファーストシングル、四季盤の春盤として、発売されました。
ファーストアルバム「フジファブリック」のプロデューサー片寄さんは、ご自身のブログの中で「決してシングル向きの派手なメロディーを持つ曲ではないが、一見ぶっきらぼうな志村君の声で歌われると、とたんにクセになる不思議な魅力を持っていた」といっています。
こちらのブログにフランス人のファンの方が、「『桜の季節』は、漫画のような魅力」というコメントを下さいました。漫画のように、情景が鮮やかに目に浮かんでは次々と消え、日本人の桜に対する心をさりげなく歌い上げているという的確な感想に、うなづいてしまいました。
東芝EMIでデビュー当時からフジファブリックを担当し、「フジファブリックデビュー10周年記念」一連の企画に携わっていらっしゃいます今村圭介さんによると、「桜の季節」の仮タイトルは「子犬のしつけ」だったそうです(「Talking Rock!」2010年7月号)。
「桜の季節 過ぎたら♪」は、「子犬のしつけ 手伝え♪」。
フジファブリックの場合、かなり適当に仮タイトルというものをつけていて、今村さんも「あまり深く考えないほうがいい」と言っていますが、リズム感とメロディーでそうなってということらしいのです。
ただ、桜の曲にしたいという構想が早い段階からあったというのは事実です。
フジファブリックらしいものでデビューしたいという強い思いが、「満開の桜を愛でるよりも、散りゆく桜に感じ入る」フジファブリック独特のせつなさ志向として表現されました。
前述の桜に対する日本人特有の心が、現代音楽、ロックでも唄われているということ。
時代の変遷に伴って表現方法が変化しつつも、千年来、日本人の美意識の根本は変わらないということに大きな感動を受けます。
フジファブリックが「叙情的」といわれる由来は、この四季盤の影響が大きいのではないか思います。「春」を歌った日本の歌は数えればきりがありませんが、四季の始まりである「春」を、志村君独特の繊細な感性で歌いあげた、世界に誇る楽曲となりました。
失恋のショック、近しい人の死、新しい出会いなどが曲を書くきっかけになっていると言っていた志村正彦さん。
一人でいるのは孤独感がありつつ、このようにも言っています。
彼独特の曲作りに対する哲学をもっていました。
「桜の季節」では手紙と桜を通して、その想いが歌われています。
手紙について、志村君らしいエピソードが記事になっていました。(「音楽と人」2004年5月号)
今はメールがあるから、なかなか皆、手紙を書くということがないけれど、そんな中、時折誰かから手紙を受け取るとハッとする。その「ハッとする」感じを、曲で表現したかったのだそうです。
志村君ご本人は上京中も、富士吉田にいるお母様からよく手紙をもらっていたとインタビューでも言っていますが、恐らくそれがこの曲の歌詞作りに影響したのではないかと思います。
ちなみにインタビュアーに「お母さんに返事書かなきゃ。」と言われると、「書かないです!恥ずかしい。」と、テレながら答える様子が書かれていますので、息子が母親に手紙の返事を書くというのは、志村君の男の美意識に少々反することだったようです!
今も昔も、ふるさとから送られてくる手紙や小包は、都会で一人奮闘している時、心を和ませてくれたり慰めてくれたり、逆に里心がついて寂しくなったり・・・。メールにはない趣があるものです。
「桜の季節」の歌詞を、文学的な見地から分析した興味深いブログを、ぜひこの記事と併せてお読み頂けたらと思います。歌詞を英訳する時に注意したり、深く考察した点が、日本語の歌詞分析で取り上げられることが多いというのは、新たな発見でした。
偶景web [桜が枯れた頃] CD『フジファブリック』6 志村正彦LN73
偶景web手紙-CD『フジファブリック』5 志村正彦LN70
「歌詞を英訳した際に考えたこと、感じたこと」を、中心に次の記事は書き進めていきたいと思います。
今日の一曲は、「桜の季節」です。
富士五湖文化センターで聴くのを、今から心待ちにしています。
暑苦しさを象徴するように鳴きしきる日本の蝉とは違い、日の高い時はあまり鳴かず、日の出日の入り時だけ聞こえる熱帯地方の蝉の声に、真夏の到来を感じます。
関東甲信越地方も、三寒四温の陽気とききました。
気象庁によりますと、甲府市では3月30日に桜開花予想だそうですが、大体、例年通りでしょうか。
「Live at 富士五湖文化センター 上映會」が富士吉田で開催される4月13日頃には街が桜色に染まり、全国からいらっしゃるお客様をお迎えできたらいいですね。
「富士山と桜」という絵に描いたような「和」の絶景は、何度見てもいいものです。
山梨県桜開花情報については、こちらのサイトなどをお役立て下さい。
tenki.jp 日本気象協会 山梨県桜開花情報
山梨県の桜の名所と開花情報 お花見特集2014 Mapple
Live DVD 「Live at 富士五湖文化センター」にも収録されている「桜の季節」について、今日はスポットをあててみたいと思います。過去に書いたブログ記事をまとめ、加筆・修正してあります。
2014年春、特別な思いで書く「桜の季節」です。
尚、この記事は外国にいるファンに、フジファブリックの歌詞世界をより楽しんでいただく目的で書いた記事に手を加えたため、日本人のファンの皆様にとっては少々退屈な箇所もあるかと思います。
ご了承下さい。
日本人にとって、桜という花は数ある花の中でも、特別な意味合いをもっています。桜は日本の国花とも言われ、古くは「花」といえば桜をさす言葉でした。
熱帯地方の植物では、葉と花が同時に見られることが通常ですが、四季がある日本では、秋になると葉を落としてしまう落葉樹も多く、春先、葉が芽吹く前に花を咲かせる樹木はひときわ人目を惹きます。
まだ色があまりない、冬の匂いを残しつつある春先の風景の中で、葉の緑や多彩な色に邪魔されることなく、茶色の枝に咲く花の色が映えてみえるのはそのせいでしょう。上品で可憐な桜色が山や街を染め、風に散りゆく花びらは日本独特の幻想的な風景を生み出すのです。
日本列島は南北に長いため地域によって異なりますが、私のふるさと、山梨県では大体4月上旬から4月下旬にかけて、桜の季節を迎えます。
現代日本では、1月1日を始めとするグレゴリオ暦に加え、事務作業を目的とした「年度」と呼ばれる制度が採用されています。開国後の明治時代に施工されたこの制度は、近代を生きる日本人に浸透しています。
もっとも一般的な「会計年度」「学校年度」が切り替わる4月は、多くの日本人が新しいスタートを切る季節であり、この時期に咲く桜はまるでその門出を祝うかのようです。また、桜の木は多くの小中高校の校庭に植えられているために、「入学式と桜」は日本人が思い描く典型的な構図となっています。
古くは平安時代(794~1192AD)から、満開の桜の下で昼夜を問わず、花見をするのが日本人の春の楽しみのひとつです。
10世紀ごろ、桜が春の歌の重要なモチーフの一つとして注目されるようになりました。平安貴族たちは、美しく咲いたかと思えば散ってしまう桜の花に、自分の人生を重ね合わせ、世の無常を歌に詠みました。
開花から数えると、花の盛りは一週間ほどでしょうか。満開がすぎると一気に散ってしまうため、桜は「儚さ」の象徴でもあります。日本人は、美しさと共に無常観や物悲しさ、潔さを感じるのです。
まだ肌寒さを残す風の中、昨夜まで見事な花をつけていた桜の木は、ハラハラハラとうすピンク色の花びらを散らしていきます。
そして、一度散り始めると急ぐかのように、次から次へと花びらは散っていきます。
雨が降ったりすると、一夜で花が散ってしまうことも、珍しくありません。
全てのものに華の時期があり、時は瞬く間に流れ、なくなっていく。
諸行無常を感じる桜なのです。
フジファブリックの「桜の季節」をみてみましょう。
2004年4月14日、「桜の季節」はフジファブリックのファーストシングル、四季盤の春盤として、発売されました。
ファーストアルバム「フジファブリック」のプロデューサー片寄さんは、ご自身のブログの中で「決してシングル向きの派手なメロディーを持つ曲ではないが、一見ぶっきらぼうな志村君の声で歌われると、とたんにクセになる不思議な魅力を持っていた」といっています。
こちらのブログにフランス人のファンの方が、「『桜の季節』は、漫画のような魅力」というコメントを下さいました。漫画のように、情景が鮮やかに目に浮かんでは次々と消え、日本人の桜に対する心をさりげなく歌い上げているという的確な感想に、うなづいてしまいました。
東芝EMIでデビュー当時からフジファブリックを担当し、「フジファブリックデビュー10周年記念」一連の企画に携わっていらっしゃいます今村圭介さんによると、「桜の季節」の仮タイトルは「子犬のしつけ」だったそうです(「Talking Rock!」2010年7月号)。
「桜の季節 過ぎたら♪」は、「子犬のしつけ 手伝え♪」。
フジファブリックの場合、かなり適当に仮タイトルというものをつけていて、今村さんも「あまり深く考えないほうがいい」と言っていますが、リズム感とメロディーでそうなってということらしいのです。
ただ、桜の曲にしたいという構想が早い段階からあったというのは事実です。
フジファブリックらしいものでデビューしたいという強い思いが、「満開の桜を愛でるよりも、散りゆく桜に感じ入る」フジファブリック独特のせつなさ志向として表現されました。
前述の桜に対する日本人特有の心が、現代音楽、ロックでも唄われているということ。
時代の変遷に伴って表現方法が変化しつつも、千年来、日本人の美意識の根本は変わらないということに大きな感動を受けます。
フジファブリックが「叙情的」といわれる由来は、この四季盤の影響が大きいのではないか思います。「春」を歌った日本の歌は数えればきりがありませんが、四季の始まりである「春」を、志村君独特の繊細な感性で歌いあげた、世界に誇る楽曲となりました。
失恋のショック、近しい人の死、新しい出会いなどが曲を書くきっかけになっていると言っていた志村正彦さん。
一人でいるのは孤独感がありつつ、このようにも言っています。
「でも、『一人でもいいや』と本気で思うようになったらそこに安住し、心の中の満たされない想いはなくなってしまうわけで、それでは曲作りに結びつかなくなる。『誰かに、何かを分かってほしい。』という気持ちが曲を生み出すためには大切。」
彼独特の曲作りに対する哲学をもっていました。
「桜の季節」では手紙と桜を通して、その想いが歌われています。
手紙について、志村君らしいエピソードが記事になっていました。(「音楽と人」2004年5月号)
今はメールがあるから、なかなか皆、手紙を書くということがないけれど、そんな中、時折誰かから手紙を受け取るとハッとする。その「ハッとする」感じを、曲で表現したかったのだそうです。
志村君ご本人は上京中も、富士吉田にいるお母様からよく手紙をもらっていたとインタビューでも言っていますが、恐らくそれがこの曲の歌詞作りに影響したのではないかと思います。
ちなみにインタビュアーに「お母さんに返事書かなきゃ。」と言われると、「書かないです!恥ずかしい。」と、テレながら答える様子が書かれていますので、息子が母親に手紙の返事を書くというのは、志村君の男の美意識に少々反することだったようです!
今も昔も、ふるさとから送られてくる手紙や小包は、都会で一人奮闘している時、心を和ませてくれたり慰めてくれたり、逆に里心がついて寂しくなったり・・・。メールにはない趣があるものです。
「桜の季節」の歌詞を、文学的な見地から分析した興味深いブログを、ぜひこの記事と併せてお読み頂けたらと思います。歌詞を英訳する時に注意したり、深く考察した点が、日本語の歌詞分析で取り上げられることが多いというのは、新たな発見でした。
偶景web [桜が枯れた頃] CD『フジファブリック』6 志村正彦LN73
偶景web手紙-CD『フジファブリック』5 志村正彦LN70
「歌詞を英訳した際に考えたこと、感じたこと」を、中心に次の記事は書き進めていきたいと思います。
今日の一曲は、「桜の季節」です。
富士五湖文化センターで聴くのを、今から心待ちにしています。