Friday, 29 June 2012

記事の更新ができなくなります

諸事情により、明朝から8月下旬までの2ヶ月間、インターネットができない環境に行くこととなりました。 そのため記事の更新ができなくなりますので、ここにお知らせ致します。 だからといって、フジファブリックから縁遠くなるような私ではありません。 逆にこの機会を利用して、昔ながらの鉛筆と紙、分厚い辞書を使って、歌詞の英訳に励みたいと思います。情報過多の環境にいるよりも、神経と魂が研ぎ澄まされて、もしかしたらもっと良い英訳が出来るかも!? 夏の間、山梨の実家で自然に帰りパワーアップして、戻って参りますので、どうぞこれからもよろしくお願い致します。

Friday, 8 June 2012

お月様のっぺらぼう


ここのところ、フジファブリックの歌詞の英訳に集中しております。
毎回のことですが、志村君の書く歌詞は奥が深い!・・・深すぎる。「凡人の私には、とてもできないな。こんな大役をなぜ自ら・・・。」と、思う時もありますが、できるだけ志村君の使う言葉を崩さないように訳すのみであります。
能力の有無は別として、フジファブリックワールドを心から愛していることだけは確かなので、情熱一筋かんばろうと思います。

昨日は「花屋の娘」、そして今朝は「お月様のっぺらぼう」を訳していました。スーパームーンのこの時期に、ぴったりですね。



今日は、「お月様のっぺらぼう」です。初期の頃のフジファブリックらしい、いい曲です。

ミニアルバム「アラモード」(2003年6月21日リリース 詳しくはこちらを フジファブリック 「アラモード」)に収録されています。このアルバムがリリースされてから、もう9年も経つのですね。「アラモード」には、この他にも「花屋の娘」「追ってけ追ってけ」「消えるな太陽」「環状七号線」「笑ってサヨナラ」など、初期のフジファブリックを代表する曲が入っています。

夜遅く、一人ウトウトしながら夢うつつの世界を表現した幻想的な歌詞です。

では外国のファン向けに、まずは「のっぺらぼう」の説明から。
一般的に外見は普通の人間、でも振り返ってみると顔には目も鼻も口もないという日本の妖怪のことです。元々は妖怪の名前でしたが、凹凸がなく、すべすべした物体の形容にも用いられるようになりました。


西洋ですと、Nursery Rhyme (Mother Goose) の絵本などでお月様に顔が描かれ、擬人化されることも多いですね。志村君が知ってか知らずか、そこをあえて「のっぺらぼう」ということで、暗い夜空に白くのっぺりと?輝く印象を強くする効果があるのかな、と個人的には思いました。

「あー ルナルナ お月様のっぺらぼう」

この「ルナルナ」という言葉。
英語にも「Luna」「lunar」という月に関連する言葉がありますが(Lunaはローマ神話に出てくる月の女神)、元を辿れば月を表すラテン語の「luna」からきています。

中世以前のヨーロッパでは、月は不吉なものとして捉えられることが多かったようで、「満月の夜には殺人鬼が出る」「狼男に変身する」などの伝説が生まれました。この背景の中で、「lunatic」(狂気の、精神異常の、常軌を逸した)という英単語が生まれたのも理解できます。

この歌詞の場合には、語呂合わせ、言葉遊び的に使われているのだと思いますが、歌詞の与える不思議な感覚はそういうところに帰するのでしょうか。



「嵐がやって来そうな空模様」
前の「飴」と「雨」が韻をふんでいるだけかと思いきや・・・、

「あの空を見た 遠くの空には 虹がさした」
ご存知のように、虹は日の光がないと現れない自然現象です。夜の闇に光る月と、雨上がりに光る虹とが、昼と夜の美しいコントラストを描いています。

夢の中での出来事のように、あるいは宮沢賢治のいう心象スケッチのように(心の中に描き出される姿・形、心に浮かぶ像をまるでスケッチするように書き綴ること)、言葉が綴られていきます。
志村君だけが持ち得る天性の才能を感じる一曲だと思います。

英訳という作業を通して、志村君の書いた歌詞と真正面から向き合い、考え、感じることの幸せを、今朝改めて感謝しました。
フジファブリックとの出会いをありがとう。
こんな素晴らしい機会を頂いて、ありがとう。
そしてこんな素晴らしい曲たちを、私達に遺してくれてありがとう。
ただただ、感謝です。

今日の一曲は、「お月様のっぺらぼう」。
歌詞を見ながら、お聴き下さい。
志村君の「一人旅」、ぜひご一緒にお出かけ下さい。


Friday, 1 June 2012

樹齢500年カツラ倒木 小室浅間神社の市天然記念物

今日も山梨日日新聞の記事からひとつ。
2012年5月12日付の記事です。詳しくはこちら。
山梨日日新聞 5月12日付 記事

富士吉田市下吉田にある小室浅間神社(志村君が幼少時代によく遊んだという神社。地元では「下浅間」と親しまれています)にある、樹齢500~600年のカツラの木が折れて倒れたというニュースです。
このカツラの木は、1969年に富士吉田市の指定天然記念物になっている歴史的な逸話もある木ですが、自ら吸い上げた水の重みに耐えられず、倒れてしまったそうです。

あれほど大きな木でしたのに、周囲にほとんど被害がなかったのは不幸中の幸いでした。午後4時といえば、小学生たちが遊んでいる時間帯ですから、本当によかったですね。

佐藤宮司様が、「残念なことだが、木にも寿命がある。お札や絵馬として、有効に活用したい。」とコメントしていらっしゃいます。

500年も600年もそこにいて、ずっと下吉田の人々の暮らしを静かに見守り続けてきたご神木。何千人、何万人の人達のお宮参り、七五三、厄払い、などを見てきて下さって、この2012年に静かにその生涯を終えたのかと思うと、胸がいっぱいになります。今度行くときには、もうあのご神木があの場所にないのかと思うと、寂しいですね。


これからはそのお姿をお札や絵馬に変え、下吉田の方たちだけではなく、この神社さんにご縁のあった皆様を守り続けていってくれることでしょう。


フジファブリック 志村君を通して、この小室浅間神社を知った方も多いと思いますが、これもきっと何かのご縁だと思います。

時は流れ、志村君が知っている下吉田からどんどん変わっていってしまうのは寂しいです・・・。


今日の一曲は、「ルーティーン」。
木も人も、折れそうになりながら踏ん張って、一生懸命今を生きようとしています。木も、草も、花も、ありも、鳥も、犬も、そして人間も、みんなみんな同じです。