今年もこの日になりました。
今年は志村正彦さんの17回忌になってしまいました。時間がたつのは早いような遅いような気がしています。
この2か月ほど、ディケンズの「クリスマスキャロル」に触れる機会がありました。英国の誇る文豪チャールズ・ディケンズが1843年に発表した「クリスマス・ブックス」の第1作で、ディケンズを世界的に有名な作家として世に知らしめた名作です。
物語を少しだけご紹介します。
ロンドンに暮らすスクルージは、お金しか信じない冷淡な老人。
クリスマスでさえ意味のないものだと考え、人とのつながりを避けて生きています。
しかしクリスマス・イブの夜、彼のもとに不思議な訪問者たちが現れます。
彼らはスクルージを導き、これまでの人生や、今この瞬間の世界、そして「これから先に待つかもしれない未来」を見せていきます。
そこでスクルージが目にするのは、自分が気づかずに失ってきたものや、人の温かさ、そして選択の重さでした。
夜が明けたとき、スクルージはある大きな決断を迫られます。
果たして彼は、これまでと同じ生き方を続けるのか、それとも――。
この物語は、「人は変われるのか、そして本当の豊かさとは何か」を、クリスマスの奇跡とともに描いた名作です。
クリスマスは、キリスト教徒にとって愛を与え、分かち合う季節。貧しい人や困っている人を助け、孤独な人に心を向け、家族や周囲の人と時間を分かち合い、許し合い、和解する時です。クリスマスには家族や親せきが集まり、一緒ににぎやかな食卓を囲み、大切な時間を共に楽しむ日です。
スクルージは、幼年期から現在、果ては未来に至るまでに味わった、または味わう「孤独」を、過去、現在、未来の幽霊に見せつけられます。幽霊達は何もしないで、ただスクルージ本人の気づきを促すのです。スクルージは孤独を直視し、愛を選び直します。
志村君という人は、人間が誰しも心の奥に持っている孤独について考え、深く理解していた人だったと思います。
ひとりひとり違う個性を持ち、思いも考えも違う。それは当たり前のことなのに、なぜ相手を分からない自分と、自分を分かってもらえない相手に、これほどのやりきれなさと悲しみをともなうのか。生まれ育ちも違う人に、なぜ深い理解と愛情を求めてしまうのか。人は「完全には理解され得ない存在」であることを知っているのに。
人は一人で生まれ、一人で死んでいく。
生きていれば決して避けることのできない大切な人や動物達とのお別れ。
志村君は、その孤独を受け入れて、立ち上がろうとした勇気ある人でもあったと思います。
私たちが必ず体験しなければならない数々の孤独と悲しみを、楽曲の中に唄ったミュージシャンだったからこそ、20年以上もの長い間、年代を超えて聴く人の心に響き、共鳴してきたのだと思います。
人は深い孤独を理解して、初めて深い愛情や優しさを理解できるようになるかのかもしれません。黒がなければ白が白だとはわからず、白がなければ黒が黒だとはわからないまま、過ごしてしまうのが人間だからです。
「クリスマスキャロル」の中に登場する過去・現在・未来の幽霊が教えてくれた大切なこと、白と黒が共に存在する意味を、志村君が神様の元へ還って行った日に再び考えました。
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