ずいぶんと間があいてしまったこのレポートも、今日で最終稿を迎えることとなりました。
志村正彦君の母校、富士吉田市立下吉田第一小学校で行われたDVD上映会で、私が一番思い出深かったエピソードを皆様にご紹介してこのレポートを終了させて頂きたく思います。
第二部終了間近のこと。
小さなお孫さん二人を連れたおばあちゃんが、話しかけて下さいました。
「お友達が葬儀場の近くに住んでてね。
何年か前のある冬の日、『今日は葬儀場へ大勢の人が来てるんだよ。並んでいる人にきいてみたら、みんな全国から集まってきてるだって。なんだか有名な歌手が亡くなったって言ってるよ。』って、その人からきいてさ。
誰だろう。どんな人だろう、とずっと思ってたの。
そうしたらここで上映会やるっていうちらしを見つけて、この人じゃないかなと思って。それで孫連れて見に来たの。
今日は謎が解けて良かったし、嬉しかったよ。こんな偉い人が富士吉田から出てくれて。
惜しいことしたよね。
でも、これからも頑張って。」
この言葉を聞いたとき、今日のこのイベントに微力ながらも携わることができたことに、誇りと喜びを感じました。
「富士吉田を愛し、富士吉田を歌ったミュージシャン志村正彦をもっと地元の人たちに知ってもらいたい。志村正彦とフジファブリックの音楽を通して、郷土愛や誇りを再認識して頂き、次世代を担う子供たちや若者の夢と希望を後押しするきっかけになりたい。」
路地裏の僕たちが、いつでも思っていることです。
2011年、2012年の企画展、2013年の歌う会と、「路地裏の僕たち」は三度にわたり志村正彦さんとフジファブリックの音楽の魅力を知ってもらおうと、地元富士吉田でイベントを開催してきました。何度となく見舞われたアクシデントのたびに、路地裏の僕たちは抜群の行動力と運(?)、そして何よりも同級生の連帯感で見事に切り抜けてきました。
至らない点、未熟な点もあったかもしれません。
ただ最後にぜひ、皆様にお伝えしたいことがあります。
第一回目の企画展から今日まで、マサト隊長率いる路地裏の僕たちが、「正彦のために、できることはないか。志村正彦と故郷富士吉田そしてフジファブリックを愛し続けてくれる全国のファンに対して、恩返しとして何ができるか。」ということを、その都度真剣に考えてきて今日に至ります。
今回の上映会には、多くの方々が「路地裏の僕たち」の意思に賛同し、ご協力下さいました。
この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。