Thursday, 11 April 2013

山梨に帰郷中

企画展レポートの途中ですが・・・、
山梨に戻って参りました。

最低気温が30度を下らない熱帯の真夏から、春爛漫の日本へ。
色とりどりの花が咲く美しい季節ですが、山梨は日中と朝晩の温度差が激しいな、と実感しました。
だからこそあのおいしい果実が実るわけですが、「木が激しい温度差から受けるストレスが、果実を甘くする」と聞いて以来、「人間は・・・?」と思うことがあります。

近々、春の富士吉田へ行って参ります。
8ヶ月ぶりの富士吉田。
もう桜は散ってしまったかな。

富士山の4合目にある滝沢林道で、300メートルにわたる亀裂が見つかったとの報道をみました。河口湖の低水位など、いつもと違う東部・富士五湖地方のニュースを聞くことが多く、心配です。

今週末は、富士山と河口湖を眺めながら、三つ峠に登る予定です。

短い滞在ではありますが、今週、来週と、芽吹きの山梨からお届け致します。




Monday, 25 March 2013

偶景web


企画展レポートの最中ではありますが、今日は小休止。
志村ファンの皆様に、ぜひご紹介したいブログがありますので記事にさせて頂きます。

2011年、2012年の志村正彦展にて、山梨県立甲府城西高校の小林一之教諭の指導の下、フジファブリックの曲について高校生が書いた小論文が展示されたのを、お読みになった方々も多いと思います。

小林先生ご自身がフジファブリック 志村正彦君のファンであり、職場である学校という場で年代を超えて生徒さんとロックを語り、フジファブリックを題材に小論文を書く場所を提供するという試みを続けていらっしゃいます。
また、文学に造詣が深く、企画展の時に「志村正彦の夏」という題で書かれた作品が展示され、読後感動のメールを私のブログに下さったファンの方もおりました。

その小林先生が、独自の視点からオリジナリティー溢れる方法論と鋭い洞察力をもって志村君の書く歌詞を分析するブログ、「偶景web」を開設なさいました。

「志村正彦(フジファブリック)の歌を始めとする、山梨と関わる作品を中心に、多様な対象についてのエッセイを掲載」

教師という枠を離れ、志村正彦君のファンとして、一人の聴き手として自由に語るブログの誕生です。
こちらがリンク先です。
偶景web

小林先生の真摯で謙虚なお人柄に加え、深遠な思想や志村君への愛情溢れる思いが伝わってくる記事ばかりです。山梨の地から発信される記事の数々は、四季折々、志村君の愛した地元の表情を織り込んでいくことでしょう。
ぜひ皆様、ご一読下さい。

甲府は桜が満開だそうです。
富士吉田もあと1週間ほどでしょうか。「桜の季節」ですね。

2012年 「若者のすべて」 空に響け~"夕方5時のチャイム" レポート3



2012年12月24日(月)

いよいよ志村正彦君のご命日を迎えました。

この日も富士吉田は快晴で、綺麗な富士山が志村君の晴れ姿を見に(聴きに?)訪れたファン達をお迎えしてくれました。

富士五湖文化センター(富士吉田市民会館)内 ふじさんホール入口と市民ギャラリー1階・2階などで12時から午後5時まで、志村正彦君の思い出の品々 展示コーナーが設けられました。

開演のセレモニーとして昨年に引き続き、実行委員による合唱「大地讃頌」からのスタートです。
皆さんもご存知かと思いますが、この曲は志村君も中学生時代に合唱で歌った曲で、富士五湖文化センターでの凱旋ライブ、フジフジ富士Qでも開演時に流れました。

「大地讃頌」は、混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」の第7楽章ある中での最後を締めくくる曲であります。中学生などの合唱コンクールや卒業式などで歌われている曲です。

富士吉田市では、中学校の合唱でこの曲を歌うのが伝統となっており、志村君の母校である下吉田中学校でも、中学3年生のときに歌う学年全体の合唱曲であります。年齢が違う人も知っている共通の歌であり、青春時代の思い出です。

志村君も中学時代に歌っていた時は、歌詞の意味なんて考えていなかったかもしれませんが、この生まれ育った故郷を愛し、感謝し、褒めて、頌(たた)えるという郷土愛そのものの歌であり、きっとそんな気持ちでこの富士吉田を思っていたのではないでしょうか。

一番最初に並んでくれていたファンの方は、この大地讃頌をどうしても聞きたかったとのことで、早く来てくれたそうです。昨年の展示会と今回の企画展もみんなの中で繋がっているんですね。

「大地讃頌」の歌詞です。

母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある

大地を愛せよ 大地に生きる

人の子ら 人の子 その立つ土に感謝せよ
(人の子ら 人の子ら 土に 感謝せよ)

平和な大地を 静かな大地を 
大地を誉めよ 頌(たた)えよ 土を

恩寵の豊かな 豊かな 大地 大地 大地
(我ら人の子の 我ら人の子の 大地を誉めよ)

頌えよ 頌えよ 土を
(誉めよ 頌えよ)

母なる大地を 母なる大地を 
頌えよ 誉めよ 頌えよ 土を

母なる大地を ああ 頌えよ大地を ああ

受付では、昨年も配布された下吉田てくてくMAP~志村正彦編~が2012年バージョンとなって配られました。志村君の同級生のお店や、縁の地などが書かれており、手書きの感じがすごく良くて、温かみのあるMAPです。
昨年好評だったので、和紙っぽい感じで今年もつくりました。
皆さん、2012年バージョンで変わっていた点は気付きましたか?

2階への階段を上がるとギャラリー中央には、志村君の大きな写真が飾られました。2010年1月21日に東京・中野サンプラザで執り行なわれた「志村會」で、帽子をかぶってちょっとよそ行きの顔をしながら、お花でできた富士山の頂上から皆を見つめていたあの写真です。

「やはり、これを展示するのが一番苦労しました。
実家から運んでくるにも技術が必要であり、そこは昨年の苦労を経験している同級生メンバーで運びました。
場所を決めるにも悩みました。
高さがあって1回には置けないことや、見に来た人が驚くような場所はどこかな~なんて。
実は、あの写真の後ろには、有名な人の高価な絵画が展示してあって、それを取り外すことはNGということで、急遽「織物」の布を絵画にかぶせちゃいました。
その綺麗な布を展示物の下にも敷くなどしたそうです。
さすが!「フジファブリック」ですね。」
(実行委員 談)

実行委員の判断は見事です。

主な展示物は、

幼少期よりインディーズ時代とメジャーまでの写真の数々、
愛用のギター、キーボードなどの楽器や機材、
ピアノの練習時に使った楽譜、
同級生との思い出の赤いベンチ(今年も登場!)、
凱旋ライブの時に掲げられた横断幕、
ステージやインタビュー時に着用した衣装や靴や帽子、
国内外のファンから贈られた寄せ書き・絵、
幼い頃の工作、

等々でした。

展示した写真については、昨年開催した展示会に使った写真のほか、新たに20枚を厳選して追加しました。
選んだ同級生は、プライベートの正彦っぽい感じの写真を選んだとのことでした。
実は企画展前日の準備では、写真を昨年の展示で飾ったものと、今回追加したものを分けて飾っておりましたが、当日の朝に変更して、年代順に並べ替えたときいております。
コンセプトとして、大人になった正彦が若返っていき、子供の頃に戻る「原点回帰」をイメージしたようです。

衣裳については一部ではありますが、前回の企画展のレポートをご参照ください。(2012年1月10日付 志村正彦展 企画展レポート2  2012年1月16日付 志村正彦展 企画展レポート3
今年は衣裳の横に、その衣裳を着てステージに立つ志村君の写真も併せて貼られていて、来場者によりわかりやすい展示の仕方になっていました。

年を重ねるごとに、進化しています!


「展示物の一部に、富士五湖文化センター(市民会館)凱旋ライブの時にグッズとして作られたうどんのどんぶりの中に、においのする木の実や葉っぱ(ポプリ?)が入っていましたが、最初は何も表示してなかったので、皆さん素通りでしたが、途中から『正彦の東京の部屋のにおい』とのコメントを表示した途端、みんな足を止めてにおいをクンクン。
少しの気配りによって、何でもないものが大切なものへと大変身。何か不思議ですね。」
(実行委員 談)

今年新たに加わった展示物の中で、私が一番心打たれたのは「幼少時の志村正彦君」コーナーでした。
保育園の時(2歳)に作った貼り絵、母の日に寄せてクレヨンで描いたお母さんの予定表かけ(「おかあさん ありがとう」というメッセージつき)。

実はこの予定表かけ、正彦君が小学校に上がってからも、お母さんが子供達の予定表をかけて使っていたそうですが、引越しの時に処分されそうに。それをお母さんが、また大切に保管しておいたそうです。

小学校のときに、粘土で作った自画像は、大きな口を開けていて、まさに歌を歌っているようです。

これらを見ていると、他の子供たちと何も変わらないあどけない幼少期が垣間見られて、私の中の「志村君」がより立体的になった気持ちになりました。

子供の頃のものがこんなにきれいに保存されていることだけをみても、思い出を大切にした志村君、またご家族の思いが伝わってきます。


「虹」のPVに登場したギターも展示されました。
「おやじのギターです。親から受け継いだギターです。」と、「虹」のメーキング映像の中で志村君が語っていたあのギター。(DVD「FAB CLIPS」より)
2005年4月17日の春にしては暑かった日、フジファブリックと共に撮影に臨んだギターです。

ギターの横に置かれていた添え書きを記しておきます。実行委員作成です。

初めて手にしたギターであり、元々は親父のギターであり、高校のとき、ご実家の倉庫で発見したもので、『虹』のPVでも登場したものです。正彦にとって、アーティストを夢見るきっかけにもなったギターです。正彦は『志村日記』(『ビザールギター』2005年9月15日付)の中で紹介しています。
 また、『虹』のPVを見たご家族が、「これお父さんのギターじゃないの?」と気付き、お父さんは「一番壊れてもいいギターだから使った」と、照れてましたが、きっと正彦は今までの感謝の気持ちを家族に伝えたかったんだと思います。
 また、同じ日記の中で、地元に帰ってきた正彦はこう言っています。

2月8日  「人はこうやって成長するのか」

雑誌の取材で、地元・富士吉田に行く。自分が通っていた高校で撮影したのが、ちょうど授業中というのもあり、先輩の母校訪問でも、まったく騒がれることはなし。校舎の一部が取り壊しになっている最中。なんか、不思議な気分だった。
卒業して8年ぐらい経っているわけだが、上京した頃から自分の中身はほとんど変わっていないと思ってた。それこそ女の子に対する感情も。けど、母校の高校生をみて、自分も変わったんだなと思ってしまった。やっぱり東京に来て、感覚でいろんな音楽を聴いて、いろんなことを知ってきたのと同時に、自分も変わってきてるんだと実感した。そして、実家には帰らずに、名物の吉田うどんをたべて帰ってきた。


「倉庫で長く日の目を見ることのなかった昔のこのギターが、まだPVだけですけど登場させられてちょっと嬉しいです。そのうちライブでも登場させようか。音は良いです。今売ってるギターではこの音は絶対出ません。」と、「志村日記」の中で語られていたギター。
メーカーの名前が「honey」で、機種名が「happening」という、ハニーにハプニング?というネームセンスが気にいっているともいっていましたね。

フジファブリックだけでなく、お父様と息子さん、お二人にとって思い出のギターです。
大切なものを公の場で見せてくださり、本当にありがとうございました。

今回の展示コーナーには、読み物も多数展示されました。
下吉田倶楽部にあった甲府市立城西高等学校の小論文が、24日には市民会館で展示されたのに加え、


アニーさんによる「マリブロ マリオン編集部員のお仕事日記」、ファンの間では「志村君と信玄餅」として広く知られる記事も掲示されました。
志村正彦追悼「THE SONG REMAINS THE SAME」第2回 桔梗屋信玄餅 

地元らしいトピックで志村君が語っている楽しい記事は、会場に一花添えてくれました。

志村君がむこうの世界へ旅立つたった10日前にインタビューを受けた記事。悲しみに暮れる中、私が強烈に憶えている記事の一つであります。将来のお嫁さんに買ってあげたいという箇所は、何度読んでもグッときてしまいますが、本当に温かかった。

この記事を会場に貼ってくれた実行委員の感性に、感激です。

山梨県民にとって、桔梗屋信玄餅は他県の方におみやげで買うことはあっても、自分で食べる目的のために買うということはほとんどないので(どうですか?山梨の皆さん)、志村君も東京に行ってから初めて「地元のお菓子」として意識したのではないでしょうか。

さて次回は、企画展レポート最終回となります。

Saturday, 23 February 2013

2012年 「若者のすべて」 空に響け~"夕方5時のチャイム" レポート2

2012年12月23日(日) 

富士吉田は快晴。
凍てつく空気の中、雪煙をあげながら富士山が見守ってくれています。

富士急行線下吉田駅の構内にある下吉田倶楽部では、前日から色々な準備が行われていました。

同級生運んできて下さったものは…。
そうです!

昨年(2011年)も展示された志村君のバイクです。
前回見逃してしまったファンも見られるようにと、実行委員からの優しい心遣いでした。

ひょんなことから、志村君をプチセレブにしてしまった(志村日記より)あのバイクですが、年月の経過など全く感じさせずピカピカに輝いていて、ご家族が大切にしていらっしゃるのが伝わってきます。
今回は加えて愛用の自転車も展示。

「このバイクや自転車に乗って、事務所やコンビニに行ったり東京の家に帰ったりしていたのかな。」

と思うと、志村君の生活を近くで支えていたバイクと自転車に、なんだか頭が下がる思いです。
ありがとう。



写真も、展示されました。


2011年の企画展で、会場に上がる階段の壁に展示され、大好評を博した山梨県立甲府城西高校の小林一之教諭と生徒さんによる小論文。
今回は、23日に下吉田駅にて、24日に市民会館にて閲覧コーナーが設けられました。

企画展にいらっしゃっていた男性ファンの方がCATV富士五湖のインタビューに、「高校生の小論文が、心に響きました。愛を感じました。」とこたえていらっしゃったのが、印象的です。
小林先生は小論文演習の時間に、志村君の書くフジファブリックの歌詞を題材として扱い、山梨日日新聞に取り上げられたこともあります。
(そのときの記事はこちら。
2011年7月5日記事 「山梨日日新聞 授業で寄り道」

小林先生のお書きになった「志村正彦の夏」は、こちらでご覧になれます。
2012年1月30日 「志村正彦展」 企画展レポート6 最終回

今日は先生の文に加えて、数ある生徒さんの作品の中から一つ紹介させて頂きます。

命ある温かいもの
        近藤 光

 フジファブリックの曲は、どれもが不思議と強く惹かれるものばかりだ。それはおそらく、誰しもが過去へと置いてきてしまう後悔や思いを、志村さんの歌には自然と重ねられるからなのかもしれない。『陽炎』は暑い夏の日の情景が目に浮かぶ曲だ。初めてこの曲を耳にしたとき、「きっと今では…」のところが特に印象に残った。少年時代の楽しかった記憶と同時に、その瞬間はもう二度と手に入らないものなのだという切なさも感じられる。「無くなったもの」とは、誰かへの気持ちや、昔の風景なのだと思う。そこに当たり前のように存在していたものが、時間とともにやがては消え去ってしまうのだという寂しさと、子供の頃の自分を思う一種の懐かしさがこの歌からは伝わってきた。

 
 そして『若者のすべて』は、私が一番心を打たれた大好きな曲である。今では夕方になって5時のチャイムを聴く度に、この歌を思い出している。歌詞に何度もでてくる会って何かを伝えたい人とは、恋人や友達といった一緒にいた相手だけではなく、もしかしたら昔の自分自身でもあるのではないかと感じた。決して戻ることのできない過去へ抱く切なさと同時に、「そっと歩き出して」という歌詞からは、これからの未来へ向かっていこうとするひたむきな強さも伝わってくるような気がして、その静かなメロディと詩を聞くたび私自身も勇気をもらえる一曲である。
 
 志村正彦さんは自らの思い出の痕を、歌うことで形にしている。だからどの曲も命ある温かいものになり、どこか聴く人の背中を押してくれる強さをもっているのだと思う。フジファブリックのたくさんの歌が、私達10代に今の一瞬一瞬を大事に生きることの大切さを語りかけてくれているように感じた。ここから、大きな歌の力と出会うことができた、そんな気がしている。



高校生がここまで深い洞察力をもって志村君の書く歌詞を読み込んでくれているということが、ファンとしては大感激です。また地元山梨でこのような取り組みがなされていることはとても嬉しいことです。
これからもぜひ若い世代の方々に、志村君の書く独特の世界を楽しんでもらえたらいいなと思いました。

それにしても、感受性の豊かな青春時代にフジファブリックを聴いていたらどんなだっただろう。
想像にあまりあります。

「角川文庫 夏の名作100選」などにある「名作」といわれる小説が、学生時代と大人になってから読むのとではずいぶん違う感想を抱くのと同様、小論文を書いた生徒さん達がこの先10年後、20年後にフジファブリックをどういうふうに聴いていくのだろうかと、とても興味がわきました。

数年後にもう一度、この生徒さんたちに同じ題材で小論文を書いてもらえたらステキだな、と思いました。


午後は15時より下吉田倶楽部にて、富士五湖アコースティックギタークラブなどによるライブが開催されました。
ライブバー ジュゲムの店長 伊藤進さんと、ギタークラブのメンバーがトップバッターで、ライブが始まりました。

「自分の作った音楽をきいてもらいたい」と、ひたすら純粋に思い続けた志村君。
デビュー当時はステージ衣裳にもあまりこだわらず、「音楽をするのに、ほかは関係ない」というポリシーを生涯貫きました。
私の勝手な想像ですが、今でも「俺の作った曲を聴いて欲しい」とは思っていても、「フジファブリックの音楽を通して、俺を思い出して欲しい」とは、思っていないのではないでしょうか。

そう思わせるほど音楽に没頭した人生でしたので、プロもアマチュアも飛び入り参加も問わず、フジファブリックの音楽を皆で楽しんでしまおう!という企画は、志村君にふさわしい企画だったと思います。

山日記事にも取り上げられていた東京の大学生・三橋亮太さんと、富士吉田市出身で東京在住の渡辺大地さん。(山梨日日新聞 2013年1月8日付記事 「『フジファブ』志村 富士吉田でしのぶ 心つなぐ故郷のチャイム」 より)
「透明感あふれる、まっすぐで素朴な歌声や演奏が、観客には大好評だった」と、あります。

「フジファブリック 志村正彦さんに憧れて、この世界に入りました。」と、言ってくれるミュージシャンの活躍は、志村君が大切にしていたものが生き続けている一つの証として、とても嬉しいことです。
ヤングミュージシャン達、応援しています!!

志村君を慕う人たちが集まったライブ。
志村君への最高のメッセージだったでしょう。

ライブの詳しいようすは、後日別の記事にて特集いたします。

次々と曲が演奏される中、2日目の夕方5時のチャイムの時間を迎えました。


「いつもの丘」のモチーフとなった忠霊塔(正式名称は「新倉富士浅間神社」)から眺める富士吉田の街です。

「独りで行くと決めたのだろう」(「浮雲」より)

そんな覚悟を決めてこの風景を見ていた当時の志村君が、数年後に、それも自分がこの世を去った後に自分の作った曲がチャイムとなって富士吉田の街に響き渡ると知ったら、どんな顔をしたでしょうね。

防災無線のスピーカーが近くにないためチャイム音が反響し、少々聞こえづらいですが、ぜひこの風景と共にお聴き下さい。

志村君の思い出の地、新倉富士浅間神社では宮司様の温かいお心遣いにより、チャイムが変更された3日間、境内でフジファブリックの音楽を流して下さいました。忠霊塔で流れる曲の数々、お聴きになったファンの方も多いと思います。

地元の皆さんが志村君を思ってくれるお気持ちが、何より嬉しい企画展であることは、前回も今回も共通しております。「何か」を求めて富士吉田の地を訪れるファンの心を、優しく温めて下さったに違いありません。

次回はレポート第三弾。レポートもいよいよ佳境に入ります。富士五湖文化センター(市民会館)の展示やライブの様子などについてです。

Saturday, 16 February 2013

2012年 「若者のすべて」 空に響け~"夕方5時のチャイム" レポート1

フジファブリック 志村正彦ファンの皆様、お待たせ致しました。

2012年、志村正彦君のご命日に合わせ、彼の故郷、山梨県富士吉田市では12月22、23、24日の3日間限定で、夕方5時のチャイムがフジファブリックの「若者のすべて」に変わりました。
富士五湖文化センター(市民会館)での作品展、有志によるライブなど、その他様々な催しについて、実行委員より提供して頂きました資料を元に、今年も企画展レポートを書かせて頂きます。

今回の企画展につきましては、私が直接足を運べませんでしたので、皆様に当日の様子がどれほど伝わるのか自信がありませんが、精一杯努めさせて頂きます。

よろしくお願い致します。


2012年12月22日(土) 夕方5時 

チャイム音にアレンジされたあの聞き慣れたメロディー、フジファブリック「若者のすべて」が、静かに、厳かに、富士吉田の街に響き渡りました。

こちらの映像をご覧下さい。


(この映像は、2012年12月22日、富士五湖文化センターにて、富士吉田市役所若手職員プロジェクトチームによって、撮影されました。)

志村君が生前、「ここから眺める富士山が、一番きれい」と言っていた富士五湖文化センターからの風景です。

志村君が大好きだった富士吉田の街、いつも後押ししてくれた富士山、奥田民生さんと衝撃的な出会いをした富士急ハイランド。みんな一緒に、ひとつの風景の中に収まっています。
彼の遺したメロディーが、街を包みこんだ瞬間でした。

正彦君の同級生でもある企画展実行委員長 渡辺雅人さんは、このチャイムが街に響き渡るのを聞いて、「2008年の市民会館凱旋ライブ、2010年の富士急コニファー(フジフジ富士Q)に続いて、正彦の夢の続きをちょっと実現できたのかなと思って、非常に嬉しいです。」と、感慨深そうにおっしゃっていました。

(思い出の横断幕を、月江寺駅に掲げる「路地裏の僕たち」実行委員)

2011年に開催された志村正彦展 「路地裏の僕たち」。
この企画展を通して、マサト隊長(親しみをこめて、以下この呼称にて)は志村君を愛し続けている大勢のファンに出会い、直接そのぬくもりに触れ、「富士吉田市民に、もっと正彦のことを知って欲しい。この街に、こんな偉大な音楽家がいたのだと伝えなければならない。」と、強く思うようになったといいます。

それからというもの、市内全域に流れる防災無線のチャイム、「夕方5時のチャイム」を、「若者のすべて」に変えることができないかと、勤務先である市役所に提案してきました。

時を同じくして、富士吉田市民からも、同じ内容の要望が市役所に寄せられていたこともあり、とうとう夢の企画が実現することとなりました。

「原曲の良さはそのままで、チャイム音に編曲したかった。」という思い通り、素朴で、切なくて、心に響くチャイムが出来上がりました。
原曲はこちらです。


12月21日の夕方と22日のお昼、富士吉田市の防災無線で、夕方5時のチャイムが変更になることを、市民に告げる放送も流れました。

「こちらは、ぼうさいふじよしだです。

夕方のチャイムの変更についてお知らせいたします。
12月22日(土曜日)から24日(月曜日)までの3日間、夕方5時のチャイムの音が、富士吉田市出身のアーティスト、フジファブリック 志村正彦さんの『若者のすべて』に変わります。
市民の皆様のご理解をお願いします。」


ところで、ファンの皆さん。
「防災行政無線」というものが、山梨県においてどれほど県民の生活に密着したものなのか。
ご存知ですか。

元々、防災行政無線とは、通信事業者の回線が使用できない災害時において、県庁の災害対策本部と各市町村にある連絡本部、消防本部などとの間で、災害情報の収集・伝達を行うために整備してある無線通信網のことです。(山梨県 ホームページ参照)

これは他県でも同じだと思います。

しかしこの防災無線、これだけに留まらず大活躍をするのです。

まず、朝と夕方の時報。場所によっては、昼にも鳴ります。
各市町村で、鳴る音や音楽は異なります。

終戦記念日、広島・長崎原爆投下の日などには、市民に黙祷を促す放送が流れます。

これに加えて、熊・イノシシ・猿出没につき注意(「今日何時ごろ、どこどこ地区に熊がでましたので、注意してください。」など)、

振り込め詐欺、不審者目撃など犯罪に対する注意喚起、

尋ね人に関する情報(例えば、「何々町の何々さん 性別 年齢 が今日何時ごろ、自宅を出たままいなくなりました。いなくなった時の服装は何色のシャツに、何色のズボンでした。見かけた方は、最寄の警察署にご連絡下さい。」「先程放送した何々さんは、何時ごろ無事保護されました。市民の皆様、ご協力ありがとうございました。」)、

富士吉田特有のものですと北富士演習場への立ち入り許可日のお知らせ、などなど。

地域の情報をネットなどを介さずに、老若男女に伝えてくれる防災無線。高齢化の進む山梨では、とても重要な位置を占めています。

勤めや用事などで自分の街を離れる人たちのために、防災無線の内容をメールでお知らせしてくれるサービスもあります。
(こちらをご参照下さい。
富士吉田市民でなくても、富士吉田の防災無線で流した情報を、登録すればいつでも見ることができます。やまなしくらしねっと
吉田の方々の暮らしが垣間見えて、ほのぼのした気分になります。)

チャイムの音で、現時刻を知ることもしばしば。
お年寄りも聞こえるようにという配慮からか、結構大きな音で鳴り響き、スピーカーもあちらこちらにあるので、どこにいても大抵聞こえるものです。

その夕方5時のチャイムが志村君の曲になったということは、私達山梨県民にとって、どれほどすごいニュースだったのか。そして、どれほどの反響だったのか、皆さん、ぜひ想像してみてください!

正彦君が育った町では、幼少の頃から彼を知る町のみなさんが、この3日間、チャイムが鳴る時間になると外に出てきて、皆で空を見上げながら手を合わせ、拝みながらあのチャイムを聞いたときいております。


「途切れた夢の続きを取り戻したくなって」・・・

志村君の「夢」のひとつを、地元の友人、ご家族、ご近所の親しい方達、富士吉田市民、そしてフジファブリックファンが、一緒に見届けた一日目でした。

次回は、いよいよ12月23日について。
作品展に展示された品々、下吉田倶楽部・市民会館で開催されたライブなどについてレポート致します。

Wednesday, 6 February 2013

「ツナグ」を観ました


今週末は、旧正月のお祝いを控えております。
華僑の多いタイでは、この時期、街は赤と金色に彩られ、とても賑やかに華やかに、そして「縁起が良さそう」な気分になります。

春節の場合、元旦よりも大晦日の方が忙しいので、華僑はお世話になった方々に手土産を持ってご挨拶に行ったりと、気忙しい数日を過ごします。
中華系の会社は長いお休みに入り、皆がウキウキするボーナスの季節でもあります。

そんなバンコクから、またまた雪の山梨に思いを馳せております。

富士河口湖町では、すでに5センチ積もったとききました。
皆様、安全運転でお気をつけ下さい!



先日、日本へバタバタ帰国をした時に、日本行きの飛行機の中で、辻村深月さん原作の「ツナグ」という映画をみました。

詳しくは、こちらのホームページをどうぞ。
映画「ツナグ」 公式サイト

ストーリーのあらすじは、

「たった一人と一度だけ、死者との再会を叶えてくれる人がいるらしい━━。
その時、最後に伝えたい想いは何ですか?」

詳しいストーリーは、こちらをご参照下さい。
映画「ツナグ」 公式サイト ストーリー

死者との再会を橋渡ししてくれる「ツナグ」。でもそのチャンスは、死者にとっても生きている側にとっても、たった一度だけです。
「ツナグ」という世襲の仕事を通して、様々な人の人生を垣間見る主人公。
人の生き様や死に様、また「ツナグ」という仕事を通して、いろいろな物事の深さをしっていきます。

原作を書いた辻村さんは、2012年直木賞受賞作家で、1980年生まれ 山梨県笛吹市出身。そんなこともあり昨年は、地元紙「山梨日日新聞」でも多数の記事や特集が組まれました。笛吹市役所には垂れ幕がかかるほど、地元は盛り上がりました!

同じく1980年生まれ 山梨県富士吉田市出身の志村正彦君。

「山梨出身の同い年作家とミュージシャンの興味深いコラボ(同じ1980年生まれでも、学年は志村君が一つ下ですが)」など、地元ならではの企画もありえたかもしれないなと、ふと考えたりもしました。

そしてやはり映画の間中、考えていたのは志村君のことでした。

原作の第一章に、急死した人気女性タレントとファンのことが、取り上げられていたことも大きかったからでしょうか。

志村君だったら、誰に会いたいだろうか。
たった一度しかないチャンスを、誰のために使うのかな。

皆さんだったらその時、誰に何を伝えますか?
色々考えさせられる内容の映画でした。


今日の一曲は、「セレナーデ」です。

これは私の勝手な推測ですが・・・。
志村君だったら・・・、誰にも会わないのではないかな。

「会えた人は嬉しいけど、会わなかった人はそれを知った時、『自分を選んでくれなかった』と悲しい気持ちになるのだから、いっそ会わないままの方がいいや。どうせこっちに来たら会えるから、その時まで待ってるよ。」とか、言いそうだな・・・。

セレナーデを聴いて、勝手に思ったのでありました。

企画展レポート、お待ち下さい!
マサト隊長ご指導の下、着々準備しております。


Friday, 25 January 2013

本年もよろしくお願い致します


気が付けば、1月も残すところあと6日!
大変遅くなってしまいましたが・・・

フジファブリックファンの皆様、
新年のご挨拶を申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。
2013年が、皆様にとって実り多き、素晴らしい年となりますように、心よりお祈り申し上げます。

大忙しの年末年始を経て、仕事も始り少したった頃、緊急帰国をしてまいりました!
今までで最短のバタバタ帰国でしたが、その短い間にわがふるさとは、大雪に見舞われ大混乱。

1月14日、甲府は午前6時半頃から雨が雪に変わり、夕方4時過ぎまで降っていました。
気象台の発表では積雪7センチだったそうですが、庭の雪を見ると15,6センチは積もった感じでした。

何十年ぶりにした雪かき。
大変な重労働で、寒さが身に沁みました・・・。


そして甲府盆地は瞬く間に、陸の孤島と化すのだなぁと、実感。
雪のため電車も止まり、中央道が雪で閉鎖されると、昔からどこへも行けずどこからも来られないという土地柄なのです。

中央道が閉鎖する雪ですと、東京方面からくる旧甲州街道のくねくね道はもちろん危険なわけで・・・。甲府盆地は完全に孤立します。長野方面へ行くのはもう・・・、しばらく忘れたほうがよさそうです。
昔は大変だったろうな。

他県どころか、同じ県内なのに富士吉田へ行くことすら叶わず、泣く泣くタイに帰国しました。
「ああ、これを越えたら富士吉田なのに。」と、御坂峠を恨めしく見上げていました。
郡内と甲府盆地の間にある御坂峠は、かなりの難関です。命がけの運転です!

富士吉田は、中央道大月インターで降りれば富士吉田線がありますし、カーブもそれほどない道なので、甲府ほど「閉ざされる」イメージがないのですが、どうなのでしょう。

一度雪が降ると、道路が凍結してツルツルです。
甲府も寒い日が続き、最高気温が5度未満の日ばかり。
河口湖は最高気温が氷点下の日も何日かあったので、私が帰ってくる頃にはまったく雪が溶けずに残っていました。

22日の夜半にはまた降ったそうですから、山梨の皆さん、くれぐれもお気をつけて!

(御坂峠から眺める富士)


さて、このブログですが、2013年第一弾としまして、「2012年 志村正彦展」企画展レポートを予定しております!
実行委員代表、マサト隊長の下、写真付きでお届けする予定です。

企画展に来られなかったファンの皆様、どうぞ当日の富士吉田の雰囲気を、感じてください。

そして来て下さったファンの皆様。
あの日の感動を、もう一度どうぞ。

という訳で、いましばらくお待ち下さい。
よろしくお願い致します。

今年初めての一曲は、「ダンス2000」。
志村君の高音が、なんともいえない味の或る一曲です。